人間関係は、誰にとっても厄介なものです。個々の性格や主義主張が違います。お互いの意思疎通をする上で、上手なコミュニケーション能力が求められますが、それも一石二鳥に得られるものではありません。そこで人間関係につまずき、教会に通うのを止めたりするわけです。しかし、そのような個人的な能力に頼らず、主イエス様に学び、クリスチャン同士は信頼関係を築けるのではないでしょうか。
主イエス・キリストが愛したように
クリスチャンの基本的な人間関係は、「隣人を自分のように愛しなさい」隣人愛に基づいています。ではクリスチャン同士の人間関係についてはどうでしょうか。教会内での人間関係の根幹を主イエス様は教えています。
あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。ヨハネ13章34節 聖書協会
「主イエス様が愛したように」とは、どんな意味があるのでしょうか。主イエス様は私たちをどのように扱ったでしょうか。
- 憐れんでくださった
- 恵みを与えてくださった
- 罪を赦してくださった
クリスチャンには、主イエス様の人間関係のお手本があるのです。この原則を守ることが私たちの使命であり、また霊的な成長の糧にもなるのではないでしょうか。クリスチャン同士の人間関係には、もう一つ大切は側面があります。エペソ5章21節を読んでみましょう。

エペソ5章21節に示された原則
キリストに対する畏れをもって、互いに仕え合いなさい。エペソ5章21節 聖書協会
エペソ5章21節は、エペソ4章17節ー5章20節(悔い改め新しく生まれたクリスチャンの生活)と5章21ー6章9節(具体的なクリスチャンの人間関係夫、つまり婦関係、親子関係、主人と奴隷の関係)を結び付けている点で、非常に重要です。
霊的に新しく生まれたクリスチャンの人間関係は、2つの戒めから成り立っています。第一に、主なる神を畏れる信仰によって始まります。主を畏れ敬う態度がなくては、健全なクリスチャンの人間関係は不可能です。第二に、主にある兄弟姉妹を愛し仕える信仰によって、クリスチャンは霊的にさらに成長していきます。成熟した信頼関係が築けるのです。このプロセスを検証してみましょう。
主を畏れて、信頼関係を築く
クリスチャンの生活は、2つの関係が交差してバランスが保たれています。縦と横の線がある十字架のようなイメージです。神様との関係(縦の線)と人間関係(横の線)は、相互に影響しあっています。「縦の関係だけが正常であれば良い」と考える人がいるかもしれませんが、それは明らかな過ちです。なぜなら、隣人を愛せない人は、神を愛することは出来ないからです。

しかし、私たちの生活の起点、出発点は神様を愛し慕い求める信仰から始まります。この純粋な信仰は、神様を畏れ敬います。天の神様は、創造主なる主なる方です。天地万物を創造され、今もすべてを支配されておられます。この方は愛と憐みに満ちており、同時に罪を嫌う聖なる神です。クリスチャンは、聖なる義なる愛なる神を慕い求め、また畏れ敬うのです。
全知全能の神は、私たちがどこにいても何をしていても、私たちを見ています。神様は、私たち人間一人ひとりを愛されています。この愛は、一人ひとりに注がれているのです。自然の恵みは、悪人にも無条件に注がれています。
特に主イエス様を信じる人は、神様の子供として受け入れられ、神様の大いなる祝福を受けています。主イエス様は、その方のために十字架上で死なれました。現在もクリスチャン一人ひとりに、聖霊なる神様を通して主イエス様は仕えているのです。この理由で、クリスチャンはお互いに仕え合いなさいと命令されているのです。このように、クリスチャン同士の人間関係は、主を畏れる信仰によって信頼関係が築かれるのです。

お互いに仕え合い霊的に成長していく
次に、主イエス・キリストにあってお互いに仕え合い、霊的に成長していくプロセスを考えてみます。
愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善から離れず、兄弟愛をもって互いに愛し、尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい。怠らず励み、霊に燃えて、主に仕えなさい。希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈りなさい。聖なる者たちの貧しさを自分のものとして彼らを助け、旅人をもてなすよう努めなさい。あなたがたを迫害する者のために祝福を祈りなさい。祝福を祈るのであって、呪ってはなりません。喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。互いに思いを一つにし、高ぶらず、身分の低い人々と交わりなさい。自分を賢い者とうぬぼれてはなりません。ローマ12章9-16節 聖書協会
クリスチャンは、(十字架の縦の線)主イエス様との関係だけで、霊的に成長するわけではありません。(十字架の横の線)主イエス様が愛したようにお互いに愛し合い人間関係でせいちょうします。「兄弟愛をもって互いに愛し合いなさい」と戒められていますが、この兄弟愛の実践が「主イエス様に仕える」ことにつながるのです。
霊的成長は一石二鳥では起きません。日々の生活において、主イエス・キリストを愛し慕い求める信仰によって成長していきます。クリスチャンの霊的成長は、基本的に聖霊なる神様の働きです。クリスチャンが主イエス様の名によって祈り求める時、聖霊はその人の心を変えてくださるのです。聖霊の実(愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制)を結ぶようになります。
読者の皆様の信仰生活に少しでもお役に立てれば、私に神様の幸いが降りてきます。主イエス様の大いなる恵みが、読者の皆様の上に宿りますようにお祈りします。
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