コンテンツへスキップ 投稿日:2025年3月18日/更新日:2025年4月11日

ヨハネの福音書5章19節-人であり神である方

虹を創る神様の不思議な導きと恵み

イエス・キリストは神の一人子と言われています。また主イエス様は、人であり神である方です。人であり神であるイエス様の真実を探ってみます。主イエス様は、天の父なる神とどのような関係をお持ちなのでしょうか。

そこで、イエスは彼らに言われた。「はっきり言っておく。子は、父のなさることを見なければ、自分からは何事もできない。父がなさることはなんでも、子もそのとおりにする。父は子を愛して、御自分のなさることをすべて子に示されるからである。また、これらのことよりも大きな業を子にお示しになって、あなたたちが驚くことになる。すなわち、父が死者を復活させて命をお与えになるように、子も、与えたいと思う者に命を与える。また、父はだれをも裁かず、裁きは一切子に任せておられる。すべての人が、父を敬うように、子をも敬うようになるためである。子を敬わない者は、子をお遣わしになった父をも敬わない。はっきり言っておく。わたしの言葉を聞いて、わたしをお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、また、裁かれることなく、死から命へと移っている。はっきり言っておく。…父は、御自身の内に命を持っておられるように、子にも自分の内に命を持つようにしてくださったからである。また、裁きを行う権能を子にお与えになった。子は人の子だからである。驚いてはならない。時が来ると、墓の中にいる者は皆、人の子の声を聞き、善を行った者は復活して命を受けるために、悪を行った者は復活して裁きを受けるために出て来るのだ。わたしは自分では何もできない。ただ、父から聞くままに裁く。わたしの裁きは正しい。わたしは自分の意志ではなく、わたしをお遣わしになった方の御心を行おうとするからである。」ヨハネ5章19-30節 聖書協会

三位一体(父、子、聖霊)なる神様は、イスラエルの人々を選びイスラエルと契約を結びました。また彼らには、預言者を送り神の御心を知らしめ、また祭司を与え神との関係を持っていたのです。人類の他の国々の人々とは、天の神様は何の契約を結ばなかったのです。神様が創造された自然を通して恵みを与えていただけでした。

しかし、天の神様は旧約聖書の預言で定められたとおりに、神様は神様の一人子をこの地上に送られたのです。2000年前のイスラエルにおいて、この方は人と成られ神様に召されたキリストとして生まれたのです。名前がイエスと名付けられました。

「神様である方が人として生まれた」を初めて聞いた方にとっては、おとぎ話のように聞こえるかもしれません。最初に、イエス・キリストの人間性について考えてみます。

人間、主イエス・キリストの信仰

イエス・キリストは、100%生身の人間として生きられました。主イエス様が言っていることを注意深く聞きますと、人間イエスの信仰を見ることができます。父なる神から離れては、子であるイエスは何も出来ないと明言しています。子は父によって命令されたことをしているだけである、と敢えて言っています。

イエスは、私たちと同じように肉体の命をもっていました。血肉の命をもっていたのです。イエスは神様の一人子でありましたが、100%人間として生きました。ですから、イエスは父なる神様に涙を流しながら祈りました。すべての苦しみから救うことが出来る神の力と知恵を受けるために祈ったのです。聖書には次のように書かれています。

キリストは、肉において生きておられたとき、激しい叫び声をあげ、涙を流しながら、御自分を死から救う力のある方に、祈りと願いとをささげ、その畏れ敬う態度のゆえに聞き入れられました。キリストは御子であるにもかかわらず、多くの苦しみによって従順を学ばれました。へブル5章7-8節 聖書協会

イエスは人間として生きて、人間と神様を取り次ぐ大祭司になられたのです。大祭司は、神様と人間の両方の立場を理解している仲介者です。イエスは、大祭司として人間のために弁明してくださるのです。

それで、イエスは、神の御前において憐れみ深い、忠実な大祭司となって、民の罪を償うために、すべての点で兄弟たちと同じようにならねばならなかったのです。
事実、御自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練を受けている人たちを助けることがおできになるのです。へブル2章17-18節 聖書協会

私たち人間と同じように苦しみ、悲しみ、試練を受けた主イエス・キリストは、同じ状況に置かれている人たちを憐れみ助けることが出来ます。この方だけが、本当の意味で人間の苦しみや悲しみを理解しているのです。

さて、わたしたちには、もろもろの天を通過された偉大な大祭司、神の子イエスが与えられているのですから、わたしたちの公に言い表している信仰をしっかり保とうではありませんか。この大祭司は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです。だから、憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの座に近づこうではありませんか。へブル2章14-16節 聖書協会

私たち人間を救うために神の子である方が、天から降ってきた理由は上記の聖句が説明しています。罪深い人間は、天の神様は遠く離れた存在であり、神様を正しく礼拝も出来ないような汚れた存在でした。この罪ゆえに、人間は肉体的にも霊的にも死を経験するように定められています。しかし、憐み深い神様は、人間を憐れみ罪を赦すために、イエス・キリストをこの地上に送ってくださったのです。

本来ならば、罪人はその罪ゆえに死ななければなりません。しかし、イエスがその命を自ら私たち人間の罪のために身代わりになりささげてくださったのです。私たちの罪ゆえに死なれたのです。この方を信じる人は、誰でも天の神様と関係を持つことが出来ます。イエス・キリストを信じる信仰によって、我々人間は神様の恵みを受けるのです。

人であり神である方

神である主イエス・キリストの権威

同時に、イエス・キリストは、父なる神様によってすべての権威が委ねられました。この意味で、イエスは、天の神様と同等の権威と力を持っていたのです。イエスはご自分について、次のように言っています。

わたしが父の内におり、父がわたしの内におられることを、信じないのか。わたしがあなたがたに言う言葉は、自分から話しているのではない。わたしの内におられる父が、その業を行っておられるのである。わたしが父の内におり、父がわたしの内におられると、わたしが言うのを信じなさい。もしそれを信じないなら、業そのものによって信じなさい。ヨハネ14章10-11節 聖書協会 

イエスがこの地上に生きていた間、父なる神様の力によって御心を行いました。福音のメッセージをたとえを用いて教え、また人々のために奇跡のわざをサなったのです。それらのわざを、イエス・キリストは父なる神様の権威によって行ったのです。この意味で、父なる神様とイエスは一体であったのです。イエス・キリストを見ていた弟子たちは、実際に父なる神様を見ていたのです。

今、イエス・キリストはどこにいるのでしょうか。十字架上で死んで死から復活した後、イエスはどうされたのでしょうか。次の聖句が説明しています。

神は、かつて預言者たちによって、多くのかたちで、また多くのしかたで先祖に語られたが、この終わりの時代には、御子によってわたしたちに語られました。神は、この御子を万物の相続者と定め、また、御子によって世界を創造されました。御子は、神の栄光の反映であり、神の本質の完全な現れであって、万物を御自分の力ある言葉によって支えておられますが、人々の罪を清められた後、天の高い所におられる大いなる方の右の座にお着きになりました。へブル1章1-3節 聖書協会

旧い契約の時代には、様々な方法で天の神様はイスラエルの人々に御心を示しました。しかし、旧い契約の時代は終わったのです。最後の預言者として、この世の終わりの時代に迎えるにあたりイエスは天から降りてきたのです。この世の終わりまでもう新しい預言者も現れません。新しい啓示もありません。この方が、天地万物のすべての権威を持っているからです。この方は、今、天にいらして父なる神様の右の座に就き、天地万物すべてを支配しているのです。

神様の裁きの日はやってきます。主イエス・キリストが再臨される時です。その日その時は、父なる神様以外には誰も知りません。しかし、その裁きは、すべてイエス・キリストに委ねられているのです。聖書に次のように書かれています。

なぜなら、わたしたちは皆、キリストの裁きの座の前に立ち、善であれ悪であれ、めいめい体を住みかとしていたときに行ったことに応じて、報いを受けねばならないからです。2コリント5章10節  そのことは、神が、わたしの福音の告げるとおり、人々の隠れた事柄をキリスト・イエスを通して裁かれる日に、明らかになるでしょう。ローマ2章16節  聖書協会

霊的な権威、すべては、主イエス・キリストに委ねられています。私たちが生きているこの世界は、世の終わりつまり終末に向けて刻一刻と近づいています。残された時間は、もうあまりないかもしれません。ですから、今すぐ主イエス・キリストを知り受け入れるために、新約聖書の福音書を読み始めましょう。読者の皆様の上に、天の神様の豊かな祝福が宿りますように、心よりお祈り申し上げます。