コンテンツへスキップ 投稿日:2025年6月18日/更新日:2025年6月20日

初代教会-キリスト教の歴史-最初の100年

初代教会

初代教会、キリスト教の歴史の最初の100年を振り返ります。主イエス・キリストの生誕で始まり、宣教、十字架、復活が成し遂げられ、神の新しい契約が成就されます。イエス・キリストは弟子たちを集め、改めて聖霊が彼らに降ることを約束します。そして、いよいよキリストの共同体である教会が、エルサレムで始まったのです。初代教会の最初の100年の歴史を検証します。

キリスト教の最初の100年間(1世紀)は、イエス・キリストの死と復活から始まり、使徒たちによる布教活動、そして迫害と拡大の時代でした。この時期、キリスト教はユダヤ教の一派から、徐々に独立した宗教へと発展し、ローマ帝国内で広がっていきました。

イエス・キリストの生涯と宣教

アダムの罪以来、人類は罪の呪縛を背負って生きていました。そのような霊的な壊滅状態の中で、創造主なる神は、世の光であるイエス・キリストを生まれさせるために、イスラエル民族を選び契約を結び、契約の礎として律法を与えました。神は、律法によって罪の贖いのためにささげられたいけにえを受け入れ、イスラエルの民の罪を赦したのです。しかし、この罪の赦しは、一時的なものに過ぎなかったので、イスラエルの人々は罪を犯すたびにいけにえを捧げる必要があったのです。

神は人類の罪を恒久的に赦すために、紀元前3年頃、天にいらした神の一人子をメシア(イエス・キリスト)として生まれさせたのです。神の子、 イエス・キリストは30年頃、イスラエルのガリラヤ湖からエルサレム周辺で宣教し始めました。その宣教において、イエスは神の御国の到来と共に神の愛と赦し、隣人愛を説きました。旧い契約の律法に隠された内面の意味を、イエス・キリストはユダヤ人たちに解き明かしたのです。33年頃、父なる神は、イエス・キリストを罪のいけにえとして十字架上で死なせ、死から復活させたのです。

教会の始まり

イエスは苦難を受けた後、御自分が生きていることを、数多くの証拠をもって使徒たちに示し、四十日にわたって彼らに現れ、神の国について話された。そして、彼らと食事を共にしていたとき、こう命じられた。「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは間もなく聖霊による洗礼を授けられるからである。」・・・あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」使徒1章3-8節 聖書協会

教会の序章は、主イエス・キリストの使徒たちへの命令で始まりました。聖霊の力が使徒たちの上に降りてくるので、エルサレムで待ってるように言いました。使徒たちが福音を宣教するミッションの概略が、主イエス様によって説明されています。エルサレムをはじめユダヤ全域に、ユダヤ人と異邦人の間に生まれたサマリヤ人にも福音が宣べ伝えられると預言しています。使徒たちは、さらに地の果てまで福音を宣べ伝えるように命令されています。「地の果てまで」という表現は、異邦人宣教を象徴的に言い表している言葉だと思われます。

ユダヤ人中心の宣教

1世紀の教会の一番最初の時期は、ユダヤ人宣教が中心でした。この時、サマリア人や異邦人への宣教は一切なかったのです。使徒ペテロは、五旬節に集まってきたユダヤ人たちに福音メッセージを伝えました。「ユダヤ人たちが十字架につけたイエスを、父なる神は主としメシアとした」と宣言したのです。これをユダヤ人たちは、「兄弟たち、わたしたちはどうしたらよいのですか」と問いかえると、ペテロは次のように奨励しました。

悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によってバプテスマを受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。使徒2章38節 聖書協会

これを聞いたユダヤ人たちの3000人ほどがバプテスマを受けました。使徒たちに加えて、新たに信仰告白したユダヤ人たちが、イエス・キリストの共同体に加えられたのです。そして、彼らは日々主イエス様にあって集まり、使徒たちの教えに耳を傾け、主イエス様の名によって父なる神様を礼拝したのです。

この時点において、主イエス・キリストへの信仰は、ユダヤ教の一派であると考えられていました。50年以降、パウロが異邦人に宣教するようになっても、しばらくの間は主イエス・キリストの道を異邦人たちは、ユダヤ教の一部と考えていたようです。

初代教会

サマリア人への宣教

ユダヤ人3000人がバプテスマを受けた後、おそらくの数か月後に、ユダヤ人たちは、エルサレム教会に対して激しい迫害を加えてきました。使徒たちだけがエルサレム教会に残り、残りのユダヤ人クリスチャンたちは、ユダヤやサマリヤの地方に出ていきました。

地方に散っていたクリスチャンたちは、躊躇なくサマリヤ人たちに福音を宣べ伝えたのです。サマリヤ人宣教は、計画的に人間の知恵やかんがえによって行われたのではありません。クリスチャンが迫害された故に偶発的に起きたのです。神様の導きによって、福音のメッセージが広がって言ったのです。

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パリサイ人サウロが回心してクリスチャンになった

パリサイ派の中に、クリスチャンを徹底的に迫害していたサウロ(ユダヤ教での名前)という人がいました。このサウロを主イエス・キリストは次のように召し出したのです。

ところが、サウロが旅をしてダマスコに近づいたとき、突然、天からの光が彼の周りを照らした。サウロは地に倒れ、「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる。」使徒9章3-5節 聖書協会

サウロは、主イエスのキリストに招きに応え、異邦人(ユダヤ人以外の民族、人種)に宣教する使徒として遣わされます。異邦人に宣教するために、名前をユダヤ教名のサウロからギリシャ語のパウロも変え、使徒パウロはローマ帝国内において縦横無尽に宣教しました。パウロは、第一次伝道旅行(47-48年)において異邦人への宣教を始めましたが、この時点において異邦人宣教は公には認められていませんでした。

ユダヤ人以外の人たち、異邦人への宣教

パウロが回心した頃と同じ時期に、12人の使徒の一人であるペテロは、主イエス・キリストから異邦人宣教が神の御心であるという啓示を受けます。しかし、他のユダヤ人クリスチャンたちは、ペテロが受けた啓示についてまったく知りませんでした。そこであるユダヤ人クリスチャンたちは、パウロが行っていた異邦人宣教に反発して「異邦人がクリスチャンになるためには、モーセの慣習に従って割礼を受けなければ救われない」と主張し始めたのです。

初代教会

この問題を討議するために、使徒たちと長老たちが、他のユダヤ人たちクリスチャンと共にエルサレム教会に集まりました(49年頃)。この時、異邦人に福音宣教をしていたパウロとバルナバも、福音がどのように異邦人たちに宣教されているかを報告するために、この集まりに参加しました。使徒ペテロ、主イエス様と血縁関係があったヤコブが、異邦人宣教が神の御心であることを旧約聖書から解き明かしました。そして一同はパウロとバルナバの証言を聞き、異邦人宣教に賛同したのです。このようにして、エルサレム会議において、異邦人宣教が神の御心であると認められたのです。

この後、パウロは第二伝道旅行、第三伝道旅行を敢行したのです。47年から57年の10年間、パウロはアンテオケ教会をミッションの拠点として、小アジア(現在のトルコ)からギリシャへと福音のメッセージを宣べ伝えました。この間に多くの教会が始められたのですが、そのすべての教会の中心的なクリスチャンは、ユダヤ人以外の異邦人になっていきました。このように教会が徐々に異邦人化していったのです。

50年以降、新約聖書の主要部分になるパウロの書簡、ヨハネの書簡、ペテロの書簡等の手紙が書かれました。また、70年以降には、4つの福音書が書かれたのです。しかし、この時点で新約聖書29巻は、正典としてまとめられていませんでした。

ユダヤ教信者たちが、キリスト教を別物の宗教と認める

1世紀のキリスト教は、まだユダヤ教の一派と考えられていました。しかしユダヤ人たちがキリストの弟子たちと教会を迫害するにつれ、弟子たちはユダヤ教とは別物ではないかという認知も広がり始めていました。

パウロとバルナバがアンティオケ教会で、一年間、福音を宣べ伝えていました。「このアンティオケで、弟子たちは初めてキリスト者と呼ばれるようになった」のです(使徒11章26節)。しかし、キリスト者の認知がローマ帝国全体に広がるまでには、まだまだ時間がかかりました。ユダヤ教信者たちは、迫害と共に、キリストの弟子たちはユダヤ教とはまったく関係がないと公に宣言したのです。ユダヤ人たちの宣言がきっかけで、教会は一気に異邦人化が進んでいきました。

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