キリスト教の歴史の中で千年王国の教理は、近代に入り特に影響力が増しました。著名な聖書学者たちがこの教理を唱えたために、千年王国に基づく終末論が多くのプロテスタント教会に置いて信じられるようになりました。またカルト的なキリスト教団体(モルモン教やエホバの証人)にも広がっていきました。ここでは千年王国の教理をまとめてみます。
千年王国の教理は、非常に複雑で様々な解釈の違いがあります。はたして、神の御心は何でしょうか。千年王国は正しい教理なのでしょうか。千年という年数は、聖書のいったいどこから来ているのでしょうか。これらの疑問に出来る限り答えていきます。
千年王国の教理が広がった理由
千円王国の教理を主張している方々は、この教理が原始教会から発しているものであると主張しています。使徒たちは千年王国の教理を宣べ伝えていたと、これらの教派の学者たちは唱えています。
しかし、千年王国の教理がポピュラーになった発端は、アメリカ大陸発見にあると私は考えています。17世紀からヨーロッパからアメリカへの移民が始まり、アメリカの新天地にユートピア的な夢と希望を求めた移民が、19世紀には頂点に達します。その文化的背景の中で19世紀後半に、千年王国の教理を教える説教者たちが、アメリカにおいて次から次へと出てきました。その中には、モルモン教の創始者ジョセス・スミスやエホバの証人の創始者チャールズ・テイズ・ラッセルもいました。
千年王国の教理でもっとも影響を与えた説教者は、C.I. Scofield(1843ー1921)でした。ミシガンで生まれ会衆派の教会で牧師として説教していました。1909年に、彼は千年王国の先駆けの本、後にこの教理においてはもっとも影響を与える本を出版したのです。それは、千年王国の教理を軸にした注解書付き聖書でした。
娯楽的でありポピュラーなノンフィクションの学説や小説においても、千年王国の教理は広がっていきました。1970年にはHal Lindseyは、The LateGreat Planet Earthを出版しました。この本は、クリスチャンではない人たちにもこの世の終わりが現実であることを気づかせるのに十分でした。映画にもなったのです。
さらに1995-2007年には、Left Behindシリーズの小説が出版されるようになります。この小説は、千年王国の教理の一部である携挙をテーマに物語が展開していきます。主イエス様が、密かにクリスチャンに現れクリスチャンたちを天に連れていくという教理が中心テーマになっています。ある日、突然クリスチャンたちだけがいなくなるのです。ある学者は、この後に大患難が起きると主張しています。
もう一つ、千年王国の教理が影響力を増した重要な理由があります。有名な神学校が、千年王国の教理に同意して大体的に支援していきました。たとえば、シカゴにあるムーディー聖書学院 Moody Bible Institute、ロスアンゼルスにあるBiola University、ダラスにあるDallas Theological Seminaryなど著名な大学が千年王国の教理を教えるようになったのです。
千年王国の教理 ディスペンセーション主義
では千年王国の教理は何でしょうか。ごく簡単にいえば、イエス・キリストの再臨は、千年の王国を主イエスが確立する前に起きるという教理です。主キリストが、千年間ご自分の王国を確立すると書かれている箇所は、聖書のどこにあるのでしょうか。
わたしはまた、一人の天使が、底なしの淵の鍵と大きな鎖とを手にして、天から降って来るのを見た。この天使は、悪魔でもサタンでもある、年を経たあの蛇、つまり竜を取り押さえ、千年の間縛っておき、底なしの淵に投げ入れ、鍵をかけ、その上に封印を施して、千年が終わるまで、もうそれ以上、諸国の民を惑わさないようにした。その後で、竜はしばらくの間、解放されるはずである。わたしはまた、多くの座を見た。その上には座っている者たちがおり、彼らには裁くことが許されていた。わたしはまた、イエスの証しと神の言葉のために、首をはねられた者たちの魂を見た。この者たちは、あの獣もその像も拝まず、額や手に獣の刻印を受けなかった。彼らは生き返って、キリストと共に千年の間統治した。その他の死者は、千年たつまで生き返らなかった。これが第一の復活である。第一の復活にあずかる者は、幸いな者、聖なる者である。この者たちに対して、第二の死は何の力もない。彼らは神とキリストの祭司となって、千年の間キリストと共に統治する。黙示録20章1-6節 聖書協会
この聖句に基づき、王なる主イエス・キリストは、クリスチャンとイスラエルと共に千年間支配すると教えられています。この千年王国の期間は、この教理が分ける7つの期間の一つです。ディスペンセーションには期間という意味があります。次に7つの期間を手短に説明します。
- 罪のない時代。神が天地万物を創造されました。この期間、人は罪のな者として生きていました。 創世記1章-3章6節
- 罪を自覚する時代。人々は、自分の良心に従うように生かされるようになります。この時期はノアの洪水で終わります。創世記4章1節ー8章14節
- 人間の支配の時代。神は人間たちに支配する権利を与えます。しかし、ノアは酒に酔ってしまう醜態をさらします。創世記8章15節ー11章9節
- 約束の時代。神はアブラハムを選び祝福を約束します。アブラハム、イサク、ヤコブ、イスラエルの子。イスラエルはエジプトで奴隷となります。創世記11章10節ー出エジプト記18章27節
- モーセの律法の時代。イスラエルは律法に従うように命じられますが、信仰による行いが出来ませんでした。イスラエルは、不信仰ゆえに世界のあちこちに住むようになります。出エジプト記19章1節ー使徒1章26節
- 恵みの時代。神の恵みの下にいる人は、神によって与えられる義を信仰によって受ける責任をもっています。使徒2章1節ー黙示19章21節
- 千年王国の時代。キリストの再臨の後、キリストはご自分の王国を千年間、旧い契約の聖徒とクリスチャンと共に支配します。この間、主イエスは、この世でのすべてを支配し、人間はその支配下で生かされます。またこの間、サタンは千年間縛られたままになります。黙示録20章1-15節

千年王国主義者が唱える終末 出来事の順序
この教理の特徴は終末論にあります。千年王国主義者が主張する終末には、どんなことが起きるのでしょうか。それはパッケージになっていて、上記のような順序で起きると教えられています。ここでは、携挙が患難の前に起こるという学説に基づいて、順序立てて説明します。
携挙
合図の号令がかかり、天使たちの声が響き渡る時、主イエス様ご自身が天から降りてきます。まず最初に、主イエス様に結ばれて死んだ人たちが、死から復活します。
次に生き残っているクリスチャンたちは、突然、この世から消え去ります。クリスチャンは空中で主イエス様と出会い、天に引き上げられます。これが携挙です。周囲の人たちは、それに気づかないかもしれません。主イエス・キリストにあって新生した者のみが、携挙の恵みを受けます。1テサロニケ4章13-18節、1コリント15章51節-52節
携挙は、神の最後の審判の序章として起きるのです。この教理のタイムラインによれば、携挙の後に4つの出来事が起きます。次に患難時代です。
患難時代
マタイ24章21-22節では、主イエス様は大患難の時代が来ると預言しておられます。この預言は、 2テサロニケ2章3-12節と黙示録13章によれば、この艱難の時代は反キリストなる人物と共にやってきます。反キリストは、サタンの働きによって現れ、自分こそ神であると宣言するのです。この時、人間は考えられるすべての苦しみを味わいます。
しかし、患難の時代であってもイスラエルの民は、神様によって刻印を押されてすべての苦しみから守られます。旧約聖書の時代にノアと家族が、洪水の裁きの時に守られたように、イスラエルの民も守られます。
この世の人々は、悪魔によって操られている不法の者によって一つになり、神の民であるイスラエルに立ちはだかります。これはキリストの力と不法の者の悪霊の力の戦いです。反キリスト者である不法の者に、神の怒りの杯が注がれます(黙示録14章)。黙示録16章16節によれば、悪霊たちはこの世の支配者たちを、ハルマゲドンという所に集めます。そして、これらの王たちは、イスラエルの民が住むエルサレムに攻め込むのです。この聖句から、この戦いはハルマゲドンの戦いと呼ばれています。
しかし、この戦いは主イエス様の勝利に終わります。黙示録19章11-21節によれば、キリストが力と栄光のうちに来られます。この時、生きている民への裁きが下され、その象徴的な裁きとして、獣と偽預言者が火の池に投げ込まれます。
千年王国
患難時代が終わると、次に神様は千年間サタンを縛っておきます。その千年間が終わるまで、サタンは諸国の民を惑わすことは出来ません。王国の教理の要である黙示録20章について解説します。主イエス様の福音と神のみことばのために、首をはねられたクリスチャンたちの魂が天にありました。この人たちは、獣もその像を拝まずに、信仰によって死んでいったクリスチャンです。彼らは死から生き返って、主イエス様と共に千年の間、御国を統治します。これが最初の復活であり、肉体的な体の復活です。
同時に、旧約聖書の時代の信仰者たちも、死から復活してクリスチャンと共に御国を統治します(ダニエル12章2‐3節)。このような形で、イスラエルの民はこのように救われるのです。
悪魔の解放
千年後に、サタンは牢から解き放たれます。サタンは諸国の民とゴグとマゴグの人々を惑わします。サタンに騙された人たちは、神様の聖なる民を取り囲み戦いを挑みますが、神様の裁きが下るのです。天から火がふってきて人々を焼き尽くします。戦いを始めます。最後の審判が下されます。そして、悪魔も死も火の池に投げ込まれます。
この間、イエス・キリストを信じなかった人々は、神様の裁きを受けるために復活します(ダニエル12章2節、ヨハネ5章29節、黙示録20章11-15節)。彼らは、火の池に投げ込まれます。これが第二の死です。
神の永遠の御国
わたしはまた、新しい天と新しい地を見た。最初の天と最初の地は去って行き、もはや海もなくなった。更にわたしは、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意を整えて、神のもとを離れ、天から下って来るのを見た。そのとき、わたしは玉座から語りかける大きな声を聞いた。「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである。」黙示録21章1-4節
天使はまた、神と小羊の玉座から流れ出て、水晶のように輝く命の水の川をわたしに見せた。川は、都の大通りの中央を流れ、その両岸には命の木があって、年に十二回実を結び、毎月実をみのらせる。そして、その木の葉は諸国の民の病を治す。もはや、呪われるものは何一つない。神と小羊の玉座が都にあって、神の僕たちは神を礼拝し、御顔を仰ぎ見る。彼らの額には、神の名が記されている。もはや、夜はなく、ともし火の光も太陽の光も要らない。神である主が僕たちを照らし、彼らは世々限りなく統治するからである。黙示録22章1‐5節 聖書協会
新しい天と地が創られます。古い世界で人間が経験する死や病は、神様が取り去ってくださいました。苦しみや悲しみもない楽園、新しいエデンの園において、神様の民は永遠の命にあずかることが出来るのです。この部分だけは、私も賛成できます。しかし、千年王国の教理には大きな問題点があります。
千年王国の教理の問題点
千年王国の教理は、聖書が一つのパッケージに納められていて、非常に魅力的です。しかも有名な牧師が賛同しているのも、信者をこの教理に傾倒させている原因でしょう。しかし、それが聖書的であり、神様の御心であるかは別問題です。多数の人たちが信じているからといって、それが真実とは限りません。
千年王国の教理には、致命的な誤りがあります。それは、神様の救いの計画、特に神様の裁きを含む終末を人間の解釈によって、小さな箱またはパッケージに納めている事です。神様の救いの計画および裁きは、神様の領域です。私たち人間が入っていはいけない領域です。人間が神様の代わりになって、裁きの時にどのような事が起こるのかを決めることが出来るのでしょうか。この解釈は、神様に対する冒涜に近いのではないでしょうか。
一人ひとり自分の信仰を見極める必要があると、私は思います。黙示録をどのように読むか、どのように解釈するのかによって、終末論はまったく違った結論に導かれるでしょう。皆様のご感想をお聞かせください。
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