旧約聖書に示された人間の原点について考えます。この宇宙と自然と世界の原点はどこにあるのでしょうか。また人間はどのように存在するようになったのでしょうか。人間は、類人猿として元はお猿さんと同じだと考えられていますが、真実は何でしょうか。聖書を基にこれらの疑問に答えます。
初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一の日である。神は言われた。「水の中に大空あれ。水と水を分けよ。」神は大空を造り、大空の下と大空の上に水を分けさせられた。そのようになった。神は大空を天と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第二の日である。神は言われた。「天の下の水は一つ所に集まれ。乾いた所が現れよ。」そのようになった。神は乾いた所を地と呼び、水の集まった所を海と呼ばれた。神はこれを見て、良しとされた。神は言われた。「地は草を芽生えさせよ。種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける果樹を、地に芽生えさせよ。」そのようになった。地は草を芽生えさせ、それぞれの種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける木を芽生えさせた。神はこれを見て、良しとされた。夕べがあり、朝があった。第三の日である。神は言われた。「天の大空に光る物があって、昼と夜を分け、季節のしるし、日や年のしるしとなれ。天の大空に光る物があって、地を照らせ。」そのようになった。神は二つの大きな光る物と星を造り、大きな方に昼を治めさせ、小さな方に夜を治めさせられた。神はそれらを天の大空に置いて、地を照らさせ、昼と夜を治めさせ、光と闇を分けさせられた。神はこれを見て、良しとされた。夕べがあり、朝があった。第四の日である。神は言われた。「生き物が水の中に群がれ。鳥は地の上、天の大空の面を飛べ。」神は水に群がるもの、すなわち大きな怪物、うごめく生き物をそれぞれに、また、翼ある鳥をそれぞれに創造された。神はこれを見て、良しとされた。神はそれらのものを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、海の水に満ちよ。鳥は地の上に増えよ。」夕べがあり、朝があった。第五の日である。神は言われた。「地は、それぞれの生き物を産み出せ。家畜、這うもの、地の獣をそれぞれに産み出せ。」そのようになった。神はそれぞれの地の獣、それぞれの家畜、それぞれの土を這うものを造られた。神はこれを見て、良しとされた。創世記1章1-25節 聖書協会
宇宙の原点
上記の聖句は、単なる神話に過ぎないと考える方がいます。その方々は、宇宙を科学的な観点から検証します。宇宙の起源を説明するビックバンセオリーがありますが、真実は何でしょうか。あるいは、人間は猿の進化型であると唱える進化論が、一般的に信じられていますが、本当でしょか。
また、クリスチャンの中には、進化論と創造論を融合して考える方もいらっしゃいます(私の知り合いです)。創造主なる神様は、動植物の進化を利用してこの世界を創造したという考え方です。この人によれば、自然界における進化自体が神様の働きなのです。「キリンの首はなぜあんなに長いのか」という質問に対して、この方は次のように私に答えていました。「キリンの首は元々あんなに長くなかったが、憐み深い神様は高い木の食物を与えるために、キリンの首を長くさせた」と。実際はどうなのでしょうか。
しかし、私は上記に聖句に示された神様の創造のわざを信じています。宇宙の中の一天体である地球に、私たちは生きています。この宇宙と自然の中にある物体と動植物には、目的があって存在していると上記の聖句は言っています。神様は、目的をもってすべてを創造されました。
「どうやって? どのような方法で?」という疑問は湧いてきますが、神様の創造の詳細は、私にはわかりません。知る必要もないと考えています。創造のプロセスは神様の領域だからです。
隠されている事柄は、我らの神、主のもとにある。しかし、啓示されたことは、我々と我々の子孫のもとにとこしえに託されており、この律法の言葉をすべて行うことである。申命記29章28節 聖書協会
上記の聖句が説いているように、どのように万物が創造されたのかは、隠された事柄です。私たち人間が、神様の領域に入り創造がどのように行われたのかを主張すること自体、人間のプライドの現れです。人間の越権行為です。我々人間は、神様のみことばを素直に受けいれ、神様の創造の恵みに感謝するーこれが人間の務めではないでしょうか。
人間の原点

神は言われた。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。神は彼らを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」神は言われた。「見よ、全地に生える、種を持つ草と種を持つ実をつける木を、すべてあなたたちに与えよう。それがあなたたちの食べ物となる。地の獣、空の鳥、地を這うものなど、すべて命あるものにはあらゆる青草を食べさせよう。」そのようになった。神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。夕べがあり、朝があった。第六の日である。創世記1章26-31節 聖書協会
人間は他の動植物とは区別され、神に似せられて創造された、と旧約聖書には書かれています。ここに人間の存在意義と尊厳があると思います。人間は、オラウータンやゴリラと同等の存在として創造されたのではありません。それぞれの動植物には、特別な役割が与えられています。土の中で一生のほとんどを過ごすミミズには、ミミズ特有のミッションが与えられています。人間には、神に似せられて創造されたミッションがあります。神様の栄光を現す者として、人間はこの世に生かされているのです。しかし、罪深い人間は、創造主なる神様から離れそのミッションを忘れてしまいました。その結果、人間は神様が創ってくださった自然の摂理を破壊して、自らの首を絞めている地球温暖化を経験しているのです。
人の性別には男性・女性の区別がありますが、上下関係はありません。男女とも神様から同様の特別な役割を担っています。男性は肉体的な強さを特性として与えられ、女性は肉体的な強さより感情面での細やかさがあるように創られました。現代社会では、男女の差がなくなってきていますが、これはオリジナルの計画ではありませんでした。(医学の技術で性転換も可能になっていますが、これは神様の御心ではありません。)
動物は、子孫繁栄の本能によって弱肉強食の世界で生きていますが。人間は、お互いに助け合うように、「神に似せられた人間たちの共同体」として創造されました。しかし、このオリジナルの計画は人間の罪によって狂ってしまったのです。罪によって生まれた傷つけあう世界で、私たち人間は生きるようになってしまったのです。詳しくは、原罪と人間の罪の関係
宇宙と人間は成熟したかたちで創造された
宇宙と地球は、数兆年、数十億年の間に様々な変化を遂げて現在の形になったと、一般的に考えれています。科学者と称される人たちが、そのような学説を発表しているからです。地球の年齢など知るすべもありませんが、私は全宇宙と地球は成熟されたかたちで創造されたのではないかと考えています。たとえば、アダムは成熟した大人として神様によって創造されたと、私は信じています。日本猿もオラウータンもゴリラも人間も、類人猿として大元はいっしょにという考え方がありますが、本当でしょうか。私たち人間と土の中にいるミミズは、生物として同じ存在なのでしょうか。
人間は、ユニークな存在として創造されました。今もそのユニークさは、天地万物が創造された時から変わっていません。さらに、私たち人間には、罪という人間特有のユニークさを持っています。この罪の呪縛を乗り越えさせてくださる方がいます。主イエス・キリストです。読者の皆様も、主イエス・キリストを知ってみませんか。読者の皆さまの上に、神様の尊い祝福が宿りますように、心からお祈りいたします。