最近、宗教に関するニュースが多いです。宗教2世という言葉も聞きます。宗教の弊害があちこちで出て来ています。そこで、宗教にのめり込まない「無宗教信仰の純粋なキリスト教」を提案いたします。人間が作る宗教から離れて、純粋なキリストな教えという観点で捉える無宗教のキリスト教です。
宗教という言葉には、さまざまな意味や解釈があります。
この記事で管理人が定義する宗教とは、人間が作る規則やルールによって、人の信仰や行いを支配でき束縛できる団体に属すこと、または団体の教義に従うことを指しています。
特に、キリスト教における「無宗教」という観点は多くの人にとって新しい視点を提供すると管理人は思います。無宗教のキリスト教とは、伝統的な宗教の枠組みを超え、キリストの教えを直接的に受け入れる生き方を指します。このようなアプローチは、時に人々に精神的な自由をもたらし、他者との関係をより深める助けとなります。
また、無宗教のキリスト教は、主キリストが人の自由意志を尊重したように、信仰がたとえ違ったとしても他の人の信仰を敬うのです。このような姿勢は、異なる文化や宗教を持つ人々との対話を可能にし、より広い視野を持つことに繋がります。たとえば、無宗教のクリスチャンがイスラム教徒や仏教徒との交流を持つことで、互いの理解が深まり、共感を生むことができます。
無宗教のキリスト教を理解するためには、まずその意義を考えてみる必要があります。無宗教のキリスト教は、人が主イエス・キリストの弟子として生きていくことに焦点を当てていきます。天の神様を愛し、同時に自分自身を愛すように他の人も愛すことをモットーに生きていきます。私は横田キリストの教会に属していますが、宗教によって縛られることはありません。ある特定の人物や組織によって、束縛されることもありません。むしろ私自身が、自分の自由意志で教会の奉仕をし、また人々に仕えているのです。個人の信仰を大切にすることで、他の人の自由意思を尊重し、 より豊かな精神的な生活を送ることができるのです。

宗教にはまらない純粋なキリスト教
1.主イエス・キリストだけが人生の師、人生の先生
宗教にハマり、のめり込んでいる人には、2つのタイプの人がいます。第一のタイプは、自分だけが正しいと考えています。自分の信条を他の人に押し付けます。盲目的に信じんている人です。第二のタイプは、団体の中にいると安心できるタイプの人です。「赤信号、みんなで渡れば怖くない」と漫才の中で言われましたが、宗教にハマっている人の中には、「みんなが行くからついていく」方々がいます。
本当の本物のクリスチャンは、キリストだけが人生の師であり先生であると信じています。宗教団体によって、自分の信仰が決められるようなことはありません。「この牧師・先生が教えていることに間違いはない」などと盲目的に信じたりはしません。
宗教に興味がある人は、生真面目な人が多いように思われます。聞いたことを素直に受け取ります。周囲の人たちが認める有名な牧師先生であれば、なおさらでしょう。疑いを持つのは以ての外と感じるかもしれません。
しかし、「ここでちょっと待てよ」と自分に言い聞かせてください。人間だから誰でも間違いはあります。思い込みや思い違いもあるかもしれません。聞いたことをそのまま鵜呑みにすることは、もっとも危険なことです。牧師の言葉の鵜呑みは、宗教にはまる第一歩です。
目に見えない神を信じていると、逆に目に見えるものについつい目線が行ってしまいます。教会堂や牧師に目が行ってしまいがちです。しかし、クリスチャンは、いつも主イエス・キリストを見上げて生きていくべきです。
2.自分で聖書を読み考え祈る
常日頃、聖書を読む習慣をつけましょう。しかし、ただ読むだけでは十分ではありません。読んで考えて、「この聖句の意味を教えてください」と神に祈ってみましょう。
既存のキリスト教や宗教団体に縛られずに、自分で聖書を読むことはできます。読みなが信仰も生まれてきます。しかし、そこには宗教という縛りはありません。誰も束縛されてはいません。主イエス様だけがあなたに語り掛けています。主イエス様の言葉は、あなたの心に刺さり悔い改めの心を与えるかもしれません。ここでも何の縛りもありません。
本来、教会は誰一人、信者を束縛したりできない共同体です。主イエス様以外、霊的な権威はあありません。一人一人が、自分の信仰に責任をもち、教会の礼拝に出席して神を礼拝できるのです。それでも人間が作った宗教の縛りはないのです。これが本来の教会の姿だと管理人は考えています。
自分で聖書を読み、考え、祈ることは、無宗教のキリスト教においても非常に重要です。祈りは自分自身と神とのコミュニケーションの手段であり、このプロセスを通じて、自分の信仰を深めることが可能です。また、祈りによって日常の中で神の導きを感じることができ、困難な状況においても心の平安を得る助けとなります。
このように、祈りは心の支えとなり、自分の信仰の基盤を強固にする役割を果たします。特に、悩んでいる時や迷っている時には、祈りを通じて神の声を聞くことが大切です。例えば、具体的な悩みを神に訴えることで、自分自身がどのように行動すべきかを見出すことができるかもしれません。
3.すべての文化や宗教を尊重し、感謝の気持ちを忘れない
無宗教のキリスト教は、普遍的な価値観を持ちながら、個々の信仰を尊重する姿勢を大切にします。その結果、他者との対話や協力が生まれ、より良い社会の構築に寄与することが期待されます。無宗教のキリスト教の未来は明るく、希望に満ちたものであると言えるでしょう。
クリスチャンの価値観は、確かにこの世のものとは違います。だからといって、クリスチャンではない人たちの人格や宗教観を否定してはいけません。信仰は個人個人の自由です。他の人たちの信仰や文化も尊重すべきです。自然体のクリスチャンは排他的にはなりません。
イスラム教、仏教、ヒンズー教、無宗教、何を信じようと、すべての人間は神によって創造されたのです。神によって愛されています。だから、私も彼らを愛すと心に決めています。
また、無宗教信仰の特徴として、個々の信仰が尊重されることがあります。キリストの弟子は、断定的に他者の信仰を否定することはしません。なぜなら、他の方々の自由意志を尊重するからです。ですから、無宗教のクリスチャンは、他の信仰を持つ人と対話する際に、偏見を持たずに接することができるのです。
このように、無宗教のキリスト教は、多様性を受け入れ、個人の信仰が尊重されることで、より広範なコミュニティの形成に寄与します。例えば、宗教の違いを超えて、地域社会でのボランティア活動に参加することで、さまざまな背景を持つ人々とのつながりを深めることができます。
4.神によって創造された自分と自然に感謝する
命は、創造主なる神から頂くギフトです。だからこそ大切に使わなければなりません。私たちは神によって生かされているのです。そのことに心から感謝しましょう。クリスチャンは、すべてそれぞれ置かれている立場で何か特別なミッションが与えられています。だから、今置かれている状況に感謝します。
この世で自分自身が、神によって生かされているという自覚こそ、自然体のクリスチャンが持つべき考え方であり信仰だと管理人は信じています。人は自分の力で生きているのではなく、創造主なる神によって支えられているのです。神が創造してくださった自然があるからこそ、私たち人間は生きていくことができるのです。その造られた自然の恵みに感謝していくのが、人間の信仰の一部だと思います。
5.無宗教信仰のクリスチャン
人間が作る宗教にはまらない生き方は、同時に主イエス・キリストにある自分自身のアイデンティティを確立することにもつながります。他者に影響を受けず、自分の価値観や信仰を持つことができるため、精神的な安定を保つことができます。たとえば、日常の中で自分の信仰を見つめ直し、他者と協力しながら自己成長を促進することが可能です。
管理人は、横田キリストの教会というキリストの体に属していますが、何の束縛も縛りもありません。もし縛りがあるとすれば、私が信じる主イエス・キリストだけにあります。主イエス様以外に、人が縛ったり組織が縛ったりすることは、管理人にはあり得ないことです。
無宗教のクリスチャンは、何らかの人間的な権威に縛られている従来の宗教的な枠組みを持たないため、自由な信仰のスタイルを促進します。そのため、クリスチャンでありながらも、人間が作る組織や教団の規則や義務に囚われることなく、自由に信仰を表現できます。これには、日常の中で神を感じる体験や、クリスチャンとしてのライフスタイルを楽しむことが含まれます。
宗教に縛られないキリスト教は、単純に人間の本来の姿を教えているのです。主イエス・キリストは、創造主なる神によって創造された人間が、どのように生きるべきかを身をもって示しました。クリスチャンの生き方は、ライフ・スタイルなのです。
人間が作る宗教は、形式や教義で信仰者を縛り付けがちです。人が、そのような枠組みに縛られると信仰が違う他の人たちを見下すようになますが、それは明らかな過ちです。無宗教信仰のキリスト教は、この信仰の中身、つまり主イエス・キリストを強調します。信仰は、主イエス様との個人的な関係に基づいているため、他の人を自分自身のように愛する教えに基づく関係を持っていきます。
無宗教のキリスト教のライフ・スタイルは、既存の宗教に縛られたりしません。創造主なる神に、日々感謝して生きていく健全な生き方です。このようなライフスタイルは、パーソナルな信仰と直結しており、自己の内面と向き合うことが求められます。神との関係を深めることで、より豊かな人生を送ることができるのです。例えば、日常生活の中で小さな奇跡を見つけたり、自分の周りの人々に感謝の気持ちを表現することで、神の愛を実感することができるでしょう。
結論
このようにして、キリスト教の理念を実践することで、人生が豊かになり、他者との関係も深まります。無宗教でありながら、キリストに基づく生き方をすることは、自己成長にも繋がるのです。真のクリスチャンとしての生き方を通じて、他者に愛を与え、感謝の気持ちを持ち続けることが、無宗教のキリスト教の大きな特徴といえます。
このように、無宗教のキリスト教は、現代社会における新しい信仰の形として、多くの人々に希望を与えていくことができると管理人は信じています。自由な信仰を持ちながらも、キリストの教えを実践することで、より良い未来を築くことができるのです。すべての人が互いに理解し合い、愛し合うことができる社会を目指すことが、無宗教信仰のキリスト教の本質です。
このような生き方は、自己理解を深めることにも繋がります。自分がどのような存在であるのか、何を大切にしているのかを考えることができ、その結果、他者を見る目も変わるのです。例えば、日々の生活において、隣人に対して感謝の気持ちを持つことができれば、お互いに良好な関係を築くことが可能になります。これが、キリスト教の隣人愛の教えとも結びつくのです。
人間が作る宗教ではないキリストの教えを実践してみませんか。クリスチャンのライフ・スタイル、生き方は、魅力的な前向きな生き方です。試してみる価値あります。トライしてみませんか。
読者の皆様の上に主イエス様の尊い祝福が宿りますように、心よりお祈り申し上げます。