テモテ第一6章から、パウロが教えた健全な教えについて考えます。1.人間社会の秩序に合わせて、2.偽教師に注意するように、3.主の栄光と主権に目を向けて。1テモテ6章にはこの3つのトピックが書かれています。
人間社会の秩序に合わせて(6:1~2)
6章では、まず、教会内における奴隷と主人の関係について教えています。パウロは、ガラテヤ人への手紙の中で、クリスチャンはキリストにあって一つであり、「奴隷も自由人もなく、男子も女子もない」と教えました(3:28)。奴隷も自由人もないなら、クリスチャンになった奴隷は、直ちに自分の立場を放棄して、自由人として生きるべきでしょうか(1コリント7:21~24を参照)。否、パウロは、クリスチャンの奴隷に、良い奴隷であれと命じています。その理由は、「神の御名と教えとがそしられないため」だというのです。同じような表現がこれまでにも3:7、5:14で出てきました。パウロは、外部の人が教会をどのように見るかということに気を使っています。これは伝道的な配慮です。
クリスチャンは可能な限り人間社会の秩序を神の栄光のために守ります。同時に神の秩序の素晴らしさを、クリスチャン生活を通して、世の人々に示します。教会は真理の柱であり土台です。人間社会はキリストの愛と霊によって変革されなくてはなりません。そのためには、一人一人の人間が内側から神によって変えられなくてはならないのです。
偽教師たちに注意するように(6:3~10)
パウロはここでもう一度、偽教師とその間違った教えについて注意しています。健全な教えは人を健康にしますが、間違った教えは人を病気にします。そしてその病気は、教会内に伝染して、争いなど、様々な症状をもたらします。さらに、エペソの偽教師たちは、信仰を利得の手段として用いていました。教会が、ひとりの主に仕えるための集まりではなく、一人一人の勝手な利得のための集まりだとしたら、そこには絶え間のない紛争があって当然です。
イエスの権威に従わない人は、他の権威に従っていることになります。「神の人」と呼ばれたテモテとは対照的に、偽教師たちは、「金の人」でした。人は、神にも仕え、また富にも仕えることはできません(マタイ6:24)。神と共に生きる人は、神と運命を共にし、永遠に生きます。金を追い求める人は、金と運命を共にし、金といっしょに滅びます。金を愛することは、十戒の最初の戒めの違反であり(出エジプト20:3)、また、最も大切な「第一の」戒めの違反でもあります(マタイ22:37)。
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主の栄光と主権に目を向けて(6:11~21)
テモテは、金を追い求めた偽教師たちの惨めな結末から教訓を学ぶと同時に、この世の結末からも学ばなければなりませんでした。テモテは、主の再臨を覚えて、主の手本に従って生きるように命じられています。ピラトの前における主の「すばらしい告白」が何を指しているのかは明らかではありませんが、「わたしの国はこの世のものではありません。」と言われた主の言葉を指しているように思われます(ヨハネ18:36)。偽教師たちにとって神の国は、この世のものであったようです。彼らの神は、自分たちの欲望であり、また、彼らの思いは地上のことでありました。しかし、テモテはこの世にあって自分が誰のしもべであり、何のために生きているのかを確認する必要がありました(ピリピ3:18~21)。クリスチャンとは、主の来臨と再臨の間にあって生きる者であり、この世にあって主と共に、主のために生きる者です。
パウロはここで、目に見えない主の栄光と主権とを強調していますが、この賛美は、エペソにあった「目に見える」アルテミスの神殿と比較して考えるとさらに有意義なものとなります。「王の王」という称号は、数々の王国を征服したバビロニアやペルシャ帝国の王に用いられた称号のようです(エゼキエル26:7、ダニエル2:37)。しかし、主こそ「王の王」、「主の主」、「神の神」という称号にふさわしい唯一の主権者です。テモテはこの目に見えない主に忠誠を尽くし、困難の中でも信仰の戦いを勇敢に戦わなければならなかったのです。
この章において、すでに貪欲に対する警告がありましたが、ここでは、富んでいる人々が富にではなく、神に信頼を置くように教えています。金や富は信頼や愛の対称にはふさわしくありません(ルカ12:15~21、1ヨハネ2:15~17)。金自体悪いものではなく、金持ちであることも罪ではありません。しかし、問題は、それをどのように使っているかということです。パウロは富む人に、良い行いにも「富む」ように、また霊的な貯蓄をしっかりとするように命じています。
テモテは、「委ねられたもの」を守るように命じられています。これは、パウロから受け継いだ健全な教えを指しているようですが、これこそかけがえのない「委託金」です。正しい福音の教えこそすべての人々を富んだ者とすることができます。福音によって、私たちは神の子ども、神の相続人となります。その健全な教えから離れることは、破産と破滅をもたらします。
エペソ教会のクリスチャンたちの多くは、偽の神から生ける真の神へと立ち返った人々であり、さらに多くの人々を真の神へと導こうとしていました。しかし、サタンがそれを指をくわえて見ているはずがありません。彼の得意技である「偽り」の教えをもって教会をかき回していたのです。サタンはエペソの教会のリーダーの中の幾人かをそそのかし、自分の目的のために利用していました。テモテの任務は、誤った教えを健全な教えで正し、またふさわしくないリーダーを戒め、健全なリーダーを立てることによってエペソの教会の軌道を修正することでした。この手紙は、私たちにも、自分たちの教会の進路の点検を促しています。