迷子になったことはありますか。迷子になって帰れない経験をしたことはありますか。大人になっても、どこへ行っていいのか、何をすべきか、途方に暮れてしまったことはないでしょうか。主イエス様は、良い羊飼いとして私たちの人生を導いてくださることについて考えてみます。
門番は羊飼いには門を開き、羊はその声を聞き分ける。羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す。自分の羊をすべて連れ出すと、先頭に立って行く。羊はその声を知っているので、ついて行く。しかし、ほかの者には決してついて行かず、逃げ去る。ほかの者たちの声を知らないからである。…わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである。わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。…わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。ヨハネ10章3-14節 聖書協会
主イエス様は良い羊飼い、人間は羊
すべての人間の心には、神様の御声に耳を傾けることができる霊的なDNAが内在しています。その霊的なDNAは、私たちの自分勝手な思いや罪によって塞がれてしまっていますが、その塞がれた心の耳を開くために、主イエス・キリストは飼い主として私たち人間を招き導いてくださっています。ですから私たち人間が、主キリストの教えに耳を傾けると疑い深い人であっても少なからず衝撃を受けるのです。
福音書の一つでも二つでも、根気強く読んでいると、聖霊の神様の導きによって心の目が開かれます。主キリストの教えと聖霊の力によって、心がえぐられるからです。不思議な力は、あなたを飼い主なる主キリストに導きます。
人間は羊の群れに例えられていますが、主イエス様が古代ユダヤ人たちの文化風習を使って説明したのは言うまでもありません。しかし、人間が羊に例えられているには、別の理由があります。羊は敵である狼から自分を守るすべを知りません。鹿のように足が速いわけでもなく、バッファローやサイのように力で威嚇することもできません。さらに羊は、群れで暮らし羊飼いがいないと生きていけない弱い動物なのです。この例えは、我々人間の霊的な状態に当てはまります。いくら肉体を鍛えても、私たち人間は霊的に弱く心も魂も傷つけられやすいのです。
私たち人間が、神様から離れる結果
羊は私たちの周りにいませんので、もっと身近な動物に人間を例えて考えてみましょう。犬の表情をよく観察すると犬にも性格があるんだなと分かります。勝手気ままに動きまわりわがままに振舞う犬もいれば、非常に従順な穏やかな犬もいます。飼い主がいる犬と飼い主がいない犬とでは、また表情や動作が違うのにも気づかされます。飼い主がいる犬は、どこかに安心感を持っているように感じさせます。つまり、自分の居所を知っているというわけです。
ところが飼い主がいない犬、俗にいう野良犬は(たくましい犬もいますが、)どこか寂しげです。たくましい姿をしていますが、目が死んでいます。誰にでも吠える荒々しさがあります。牙をむき出しにして唸り吠えているのです。誰も信じない、疑い深い姿があります。どこへ行くでもなく目的もなく、食べ物を与える人には誰にでもなつく姿があります。何を考え歩いているのだろうか、と思わず犬の言葉が判れば聞いてみたいと思わせます。

野良犬が人間を信頼するまで時間がかかるように、我々人間も飼い主なる主キリストを信じるようになるためには、時間が必要です。特に、心に傷がある場合はなおさらです。その傷を主イエス様は癒してくださるのです。
根性で生き続ける人生
しかし、人間はどんなに迷っていても根性で生き続けるしかないと多くの人たちは思います。数年前、小説家の黒川創さん(44)は新作『明るい夜』を出版にあたって、自分の小説を次のように説明していますので、その箇所を引用します。「何で生きているんだろうと考えたり、アルバイトしながら気持ちがへこんだりするのって、本人には大問題ですよね。この小説は答えが出ないことを答えが出ないままに生きる根性についての話だと思う」と黒川さんは書いています。
確かに人それぞれ、へこむ時があります。そんな時に人は答えを求めるのですが、求めて見つからないのが、人生かもしれません。それでも生き続けるしか仕方がないと黒川さんは言いたいのでしょう。黒川さんは、生き続ける意志を「根性」であると言っているのだと管理人は思います。
人間の人生は当てどのない旅に思えることがあります。目的、目標もなく生きがいもない人生を送っている人がいます。天涯孤独の人生を送っている人がいます。世の中の周りの人から見捨てられた人たちがいるのです。それでも根性で生き続けるしか、私たちには選択肢はないのでしょうか。
しかし、人は根性だけで生きてはいけません。いろいろな人の支えや助けが必要です。一番素晴らしい支えと助けは、イエス・キリストから来ます。私たちの根性よりも強い力をキリストは私たちに与えてくださいます。
良い羊飼いに帰る選択肢
人間の飼い主は、創造主なる神様です。私たちを創造して下さった方ですから、私たちにとって良いこと、悪いことを知っているのです。ところが私たち、人間は飼い主から離れて野良犬のようになってしまったのです。飼い主なる神様は、離れてしまった人間を捜し求めています。主イエス様は「わたしのもとに来なさい」と言っているのです。
そこで、イエスは次のたとえを話された。「あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか。そして、見つけたら、喜んでその羊を担いで、 家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて、『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください』と言うであろう。言っておくが、このように、悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある。」ルカの福音書15章3-7節 聖書協会
そんな人に主イエス様は、罪の呪縛によって喘いでいる人、苦しんでいる人、悲しんでいる人、何が本当なのか思い悩んでいる人、人生の真理を求めている人を探しています。私たち人間が、自分の過ちや自己中心的な態度を悔い改めて、主イエス様に立ち返る時、(私たち人間には見えない世界ですが)天には喜びがあります。
目に見えないからといって主イエス様を信じないのは、少し早合点だと思います。実際、私たちは目に見えないものを、科学の名においてたくさん信じていないでしょうか。原子はとても小さい粒子なので、通常の光学顕微鏡では見ることのできない世界だそうです。霊的な世界で言えば、先に亡くなられた親が自分を見守ってくれていると、多くの方々が考えています。主イエス様は、私たちすべての人間に次のように語りかけてくださっています。
疲れているなら、あなたの重荷を降ろしてわたしのもとに来なさい。今までの生き方を忘れ一から出直しなさい。わたしはあなたを愛している。肩の力を抜いて、わたしから学びなさい。
私たちは、このイエス様のことばにどう答えるのでしょうか。自分の考えや生き方を主張して、Going My Way で行くのでしょうか。それとも生き方をリセットして、主イエス様に助けていただくのでしょうか。
豊かな人生の条件とは何でしょうか。それは何よりも、主イエス・キリストを知ることです。この方を信じれば救われます。それだけではありません。飼い主によって導かれ、安全安心な人生を歩めるのです。幸せな人生です。もはや迷う事はありません。迷路のように、同じところを何度も行き来することもありません。主キリストは、ご自分の命をも捨ててでも、私たちを救おうとして下さいました。約2000年前、この方は地上にいる間、肉体の体は十字架上に張りつけにされて死にましたが、死からよみがえりました。今、天地万物すべてを支配して、天にて生きておられるのです。この事実を受け入れ、主キリストを信じましょう。豊かな人生が必ず与えられます。読者の皆様の上に、主キリストの大いなる恵みが宿りますように、心よりお祈り申し上げます。