コンテンツへスキップ 投稿日:2022年3月21日/更新日:2025年5月6日

衝撃の罪深さ-人間が心で犯す罪7つ

アメリカでのデモ

聖書が定義する罪は、行いによる表面上の罪ではありません。また国の法律を犯す犯罪でもありません。実際、人間の罪は様々な状況で現れます。その罪深さは、私たち人間が心で犯す罪に現れます。心の中で考えるだけなので、目に見えません。周りの人も知りません。人間の心の中で犯す罪ー具体的な7つの罪について考えてみます。

1. 衣食住、安心感を得るために思い煩う

人には、身の安全や安心感を得るための気苦労が絶えません。具体的に言えば衣食住です。この思い煩いを軽減するために、ある人は1年の家内安全をお祈りに初詣へ行きます。実際に、多くの人たちが火事や地震で家屋一切を失ったというニュースを聞くと、ちょっと心配になってきます。そこで将来予想される大地震を心配している人もいるでしょう。

またそのような災害に備えて、将来お金を貯めようとして悩んでいる人もいます。お金の猛者のような貪欲な人は、株でどう儲けるかのような事を一日中考えています。中にはいろいろな気苦労で夜も眠れない人もいます。まさに罪の奴隷状態と言えます。

2. 神を信じることが難しくなる

同時に人は年齢を重ね大人になると、人を信じるのが難しくなります。誰かに委ねるのが難しくなるのです。常に自分が知る範囲で、安心感を持っていたいのです。

宗教に関して言えば、日本人は保険をかけるように、いろいろな神社仏閣の神仏に祈りを奉げます。要するに神社仏閣であれば、どれでも良いのです。石でも木でも拝む対象になります。大きな木で神社に捧げられた木は、ご神木と呼ばれます。特に日本人は、創造主なる神を信じるのではなく、人間が造った偶像を崇拝しているのです。

人間が心で犯す罪

3. 自分は他の人より優れていると思う

実業家でマスコミにもよく登場している方H氏がいますが、この方もプライドが高いお一人でしょう。大言壮語をするH氏のような人もいますが、人は誰もが隠れたプライドを心に秘めています。なぜでしょうか。人は誰でも、他人と比較して自分の立ち位置を決めています。自分がどのくらいの価値ある人間なのかは、他人と比較してはじめてわかります。

そして優越感と言うプライドが生まれるのです。口では言いませんが、誰もがわずかながらでも持っているプライドは、「私はあの人よりも優れている」と無意識に自分に言い聞かせているのです。さらにもっと悪いことに、このプライドは他人を蔑む気持ちにつながります。

4. 他の人を蔑む

プライドの裏返しは、他人を蔑む感情です。つまり「私はあの人ほど愚かではない」のような気持ちです。「自分も悪いが、あの人ほど悪くはない」と言い訳をしながら、自分の悪さを棚に上げて、他の人たちを見下げてしまうのです。

他の人の存在や能力を蔑み、その人を踏み台のようにして、自分が上がるような優越感に浸ったことはないでしょうか。管理人はありました。このような態度は、口にこそ出しませんが、偽善だと思います。

5. 他の人がもっているものが欲しくなってしまう

衣食住を思い煩う心と強い物欲は、わたしたち人間の心をかき乱します。常に他人が持っている物と比較するようになり、他人がより高級なものをもっていると、自分も欲しくなってきます。ここにもプライド意識が働き、他人が持っている物以上の高級品を追い求めるのです。

キリストを信じている人も例外ではありません。携帯電話一つとっても、現代社会は物欲を満たすもので溢れています。他の人が新しい携帯を買ったら、「私も・・・」と思ってしまいがちです。この物欲を満たすために、普段の生活の飲食を減らしている人に、管理人は会ったことがあります。その方は、その携帯を何よりも欲しいものになってしまったのです。

人間の心で犯す罪

6. 自分が正しいと考える

なぜか人は「自分の判断は正しい」と考えます。自己嫌悪や劣等感といったネガティブな感情でさえ正しいのです。「自分がこのような感情をもっているのは、他人のせいだ」と責任転嫁して、さらに状況を悪化させてしまいます。

このような人にとっては、「自分は正しい、他人は間違っている」という枠組みの中で社会は成り立っています。自分の正義という概念は、負の連鎖反応を起こしています。自分の正義の感情は、相手がどれほど間違っているかを証明するという使命感を与えてしまうのです。実際にこのような人に出会った経験は誰もあるのではないでしょうか。というよりも自分が、そのままの愚かな行為をしている可能性だってあります。

7. 他人の不幸を見て内心ニヤニヤする

最後に、もっとも残酷な罪の現実を考えてみましょう。わたし自身、耳をふさぎたくなるような罪の現実です。他人の不幸を見て内心ホッとすることです。

私たち人間は、他人の不幸を見て内心ニヤニヤするときがあります。他国が自然災害で苦しんでいるのを見て、そのような感情を抱いたことはないでしょうか。告白します。私はあります。自分の問題として捉えられないだけではありません。問題は、内心ニヤニヤしている事実です。

日本が2011年に東日本大震災にあった時に、隣国の方々がネット上で喜んでいたというニュースを聞いたことがあります。実は、その逆も「あるある」なのです。人間には、このような邪悪な心が宿っています。たとえ、自分で罪を直接犯していなくても、このような感情を持つとき、私たちは神の御前では大きな罪を犯しているのです。

人間が心で犯す罪の結果

人間が心で犯す罪

私たち人間がいくら善を行ったとしても、人間の力には限界があります。むしろ、ここまで述べてきた罪の影響力は留まるところを知りません。際限なく人々の心を蝕んでいきます。結果的に、わたしたち人間は、お互いに苦しむような社会をつくっているのです。諸悪の根源は、人間自身にある真実に目をむけるべきではないでしょうか。

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