正義は勝つは古臭い言葉ですか。正義は勝つー勝者だけが正義ではありません。戦争があちこちで起きている今、この言葉はちょっと意味が深いと思いませんか。神様の正義が最終的に必ず勝つことは、確信をもって言えます。つまりこの世の中での一時的な勝利は、無意味に近いという意味ですね。
慈善の道をわたしは歩き、正義の道をわたしは進む。箴言8章20節 聖書協会
私が思春期から20代の頃、「正しく生きるための方程式みたいなものはないか」と、真剣に考えたことがありました。一生懸命に正直に生きて、それで出世できたら言う事なしです。そのような方程式はないかと、いろいろな人の話しを聞きました。いろいろな本も読みました。哲学書から始まり、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、幕末、勝海舟など、とにかく人生のヒントとなるものは何でも読みあさりました。偉いとされるお坊さんの人生相談の欄も読みました。大企業の社長が出版した本も読みました。ところがいくら話を聞いても、本を読んでも、「これだ」と思えるものがありません。このようなはっきりしない時期がしばらく続きました。
「貧しくても、誠実に歩む者は、唇の曲がった愚かな者にまさる」と書かれています(新改訳聖書、箴言19章1節)。頭では分かっていても、実際には「嘘も方便」といわれるように、時には曲がった事もやらないと、世の中では生きていけないと、序々に思うようになりました。これが大人の世界かと思ようになりました。
多くの人たちは「正義は勝つ」を望んでいます。ドラマなどを見ていて、正義が勝つと涙さえ流す人も多くいるでしょう。「正義は勝つ」は、子供だけが見る漫画のテーマではありません。大人の番組、例えば「水戸黄門」などの様な番組の重要なテーマです。海外の映画、スーパーマンやスパイダーマンのテーマも、「正義が勝つ」です。しかし世の中を見まわしてみると、正義はないように思えます。見えぬ所で、あらゆる不正が行なわれているようです。もしかしたら、私たちも社会全体で行なわれている不正を、知らず知らずに行なっている1人なのかもしれません。
正しく生きようとしても生きられないのが、人間の常のようです。人間はお互いに批判したり中傷したりして、結局、正しく生きられません。常に戦争は起こっていますし、犯罪はとどまるところを知りません。
まあ少し気を休めて、罪人の憩いの場であるイエス・キリストの教えに耳を傾けてみるのも一つの方法かも知れませんよ。
人間の罪