コンテンツへスキップ 投稿日:2022年1月6日/更新日:2025年5月8日

盲目的にならず自分の信仰を検証する4つの方法

聖書入門

盲目的にならず自分の信仰を検証する4つの方法を提案します。このステップでは、自分の信仰を客観的に見ることが要求されます。1.なぜ信じているのかを自問自答する、2.自分の判断を吟味する、3.他のクリスチャンの判断を吟味する、 4.最後に主イエス様の名によって祈る。

1.なぜ信じているのかを自問自答する

信仰とは何か? 心の叫び、神との懸け橋

私たちは、なぜ神を信じているのでしょうか。なぜイエス・キリストを信じているのでしょうか。クリスチャン家庭に育ち、疑う余地はなかったという方もいるかもしれません。親の信仰が、そのまま子供に受け継がれたかたちです。

ある人は、自分が尊敬する牧師の信仰をそのまま信じています。あるいは特定の教団の教理を教えられ、それを鵜呑みにしている人もいるかもしれません。でも、いずれの場合も、「個人の信仰として、なぜ私はキリストを信じているのか?」という疑問には答えていません。「牧師が言っているから」では、それこそ盲目的な信仰と指摘されても仕方ありません。

一度、白紙の状態から自分の信仰を吟味してみましょう。何を自分は心から信じているかを、ノートに書き留めてみます。そして、根拠はどこにあるのかを答えてみましょう。何となく信じているかもしれません。自分の体験に基づき信じている場合もあります。さらに、聖書的な根拠はあるのかも自問自答してみましょう。

「なぜ信じているのか、何を信じているのか」という自問自答を終わったら、さらに次の2つのステップを実践します。

2.自分の判断を吟味する

自分の判断が100%正しいなんてありえない、と私は知っています。聖書を100%すべて正しく理解しているなんて、私にはあり得ません。(実際、誰にとっても不可能なことです。)自分が罪人であり、神の御心に反した事をしてしまうのも認識しています。健全な信仰とは、神を信頼すると、同時に、自分の愚かさを知ることではないでしょうか。

盲目的な信仰は、まったく逆の場合に生まれてきます。自分の判断に間違いはないという思い込みが、盲目的信仰を生むのです。自分の教会の教理は絶対に正しいとか、この牧師の聖書解釈に間違いはないと思い始めが、盲目的な信仰の第一歩です。

自分の信仰を検証する

違った教団に属し180度まったく違った信仰を持った2人のクリスチャンに、時を別にして管理人は出会いました。Aさんに会った1か月後に、Bさんにお会いしました。お二人とも、自分が属している教団の教理が、絶対的に正しいと信じていたのです。ここで管理人に疑問がわいてきました。お二人とも100%の信仰を持っていたとしても、2人とも正しいことはあり得ません。もしかしたら、2人とも的外れかもしれません。こんなことを考えているうちに、思い込みの信仰程、怖いものはないと思わされました。

3.他のクリスチャンの判断を吟味する

同時に、他のクリスチャンの判断にも絶対はないのです。100%正しいということもあり得ません。たとえ、自分が尊敬する牧師の判断であっても、絶対はあり得ません。そもそもカルト的宗教集団が始まるきっかけは、ある宗教リーダーの判断を100%信じる盲目的信仰にあるのではないでしょうか。たとえ、尊敬される有名な牧師の聖書解釈であっても、それを自分自身で考え、検証する必要があります。それを鵜呑みにしていたら、盲目的信仰になってしまいます。

神を信頼することと尊敬している牧師を信頼することは、まったく意味が違います。神への絶対的な権威は、どんなにこの世が悪くなっても、また人が躓いても、変わることはありませ。神に間違いはないからです。

ところが、人間には間違い・過ちがあります。思い込みもあります。いくらある人を尊敬していても、神を信頼する同じ度合いで、その人を信頼するべきではありません。「この人のいうことに絶対に間違いはない」と思ったら、盲目的な信仰へのドアを開けて入場したことになります。悪魔が喜ぶ瞬間です。

  1. 日本のカルト:宗教で縛られる人々の実態とは?
  2. 外部リンク 「盲目的な信仰」と「理性的な精神」

4.最後に主イエス様の名によって祈る

そして、最後に主イエス様の名によって祈りましょう。祈りにおいても、オープンな心が必要です。祈る時に、心が閉じていたらどうでしょうか。聖霊なる神様が語りかけ導いてもいても、心の目が閉じていては真理を知ることは難しいでしょう。だからこそ、心の目が開かれるように祈りましょう。

どうか、わたしたちの主イエス・キリストの神、栄光の源である御父が、あなたがたに知恵と啓示との霊を与え、神を深く知ることができるようにし、心の目を開いてくださるように。そして、神の招きによってどのような希望が与えられているか、聖なる者たちの受け継ぐものがどれほど豊かな栄光に輝いているか悟らせてくださるように。また、わたしたち信仰者に対して絶大な働きをなさる神の力が、どれほど大きなものであるか、悟らせてくださるように。エペソ1章17-19節 聖書協会

祈りは、主イエス様の名によって父なる神様とつながるコミュニケーション・ラインです。この祈りを素直に日々行います。日々の祈りは、必ず主イエス様が教える真理へと導いてくださいます。また私たちは、神様の知恵と力に満たされ、真の純粋な信仰を持てるようになれるでしょう。

しかし、ここでも心の貧しさ、素直さ、純粋さが求められていると思うのです。なぜなら、人間が信じることに絶対はないからです。神様は絶対的な権威をお持ちですが、人間にはその絶対がないのです。たとえどんなに主の祝福を受けていても、いつも心が砕かれている者として生きるべきでしょう。信仰生活が長いクリスチャンであっても、常に謙虚に自分の信仰を検証する作業は、主イエス様が再臨するまで行うべきだと管理人は信じています。

盲目的な信仰にならないために「自分の信仰を検証する」4つの方法を提案しました。読者の皆様に、主なるキリストの尊い愛が注がれますように、心よりお祈り申し上げます。

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