神の愛って何だろうか。誰も理解できない神の愛について考えてみます。神の愛の深淵を覗く。
「タイタニック」の迷信から理解する
映画「タイタニック」は、1998年のアカデミー賞をほとんど独占しました。全長270m、その高さは11階建てのビルに相当するというタイタニック号が1912年に完成した時には、「不沈の客船」「究極の豪華客船」「海に浮かぶ宮殿」などと呼ばれ、全世界から称賛を集めました。
今世紀の初めは、人間が科学の力によって何でも出来ると信じられていた時代です。タイタニック号は、「神にも沈めることは出来ない。」と言われていましたが、処女航海中に氷山と衝突し、沈没して1500人以上の犠牲者を出してしまいました。
航海中のタイタニック号には、他の船から氷山に注意せよという電報が届いていました。中でもタイタニック号の30キロ先を航海していたカリフォルニアン号は、浮氷群のために前進不可能と判断し、停止していました。しかし、乗客から頼まれた電報の送信に忙しかった通信士は、カリフォルニアン号との電信の回線をはずしてしまっていたというのです。
タイタニック号には高価な美しい品々で装飾がほどこされ、贅沢な娯楽施設や豪華な食事が用意されていました。しかし、それらのものすべては、あっという間に海の藻屑となってしまったのです。
神の愛と私たちの人生
さて、私たちの人生もどこかタイタニック号に似ていないでしょうか。私たちは、この世というタイタニック号に乗っています。私たちの中で生きてこの船からお降りることのできる人は誰もいません。どんなに豪華に着飾り、富、名声を誇り、贅沢に生きても、結局、「私たちは何一つこの世に持って来なかったし、また何一つ持って出ることもできません。」(新約聖書)
私たちは、自分たちの行く手に注意せよというカリフォルニアン号からの警告に耳を傾けるべきです。イエス・キリストの福音はその警告であり、教会は救命ボートです。ある意味では、私たち一人一人がタイタニック号です。私たちはいつ沈むか分かりません。確実に分かっているのは、誰であれ必ず沈む(死ぬ)ということです。私たちをタイタニック号から救助するために来てくださったイエス・キリストはこう言われます。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。」(新約聖書)
イエスこそ私たちの救助のために来てくださった救助船の船長です。イエスの指示に耳を傾けてください。またイエスが差し伸べる救いの手をしっかりと受け止めてください。あなたというタイタニック号がしず沈んでしまう前に。
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