忙しい人の心のゆとりはどこにあるのでしょうか。忙しい人への言葉を贈ります。この世に神々と呼ばれる偶像は五万とありますが、どこに心のゆとりを求めたらよいのでしょうか。中田キリストの教会の前田文夫伝道者のショートメッセージです。
忙しい人の心のゆとりは?
この世は余りにも多事多忙です。文明が進歩発達すればするほど、人間は心のゆとりを失いつつあります。電化製品の普及は、どれだけ人間の精神生活を潤してくれたでしょうか。「忙しい」という字は、「心を亡くす」と書きます。心を亡くす所、そこは荒野です。それ故、私たちは荒野の中にサフランの花を咲かせ、かつ喜び楽しみ歌う道を求めなければなりません。
主はいこいの水のほとり
主は私たちを「いこいの水のほとりに伴われます」(詩篇23:2)。エルサレムのユダヤ人の家には「屋上の間」がありました。そこは、世のわずらわしさからしばし逃れて静かに祈る場所です(使徒1:13、20:8)。イエスは、私たちに失望せずにいつでも祈ることを教えられました(ルカ18:1)。それは、主は私たちをいこいのみぎわに伴われるからです。
羊はとても臆病な動物です。羊は、流れの速い水は決して飲もうとしません。それは、人がオーバーコートを着て水の中を泳ごうとしないのと同じように、羊も重い毛の外套を着ているのでよく泳げないことを本能的に知っているからです。羊飼いは、山谷を渡って羊の群れを導く時、羊の渇きをいやすために静かな、流れのない水を探します。これが見当たらない時は、流れの水をせき止めてよどみを作り、小羊でも安心して飲めるようにしてやるそうです。
「わたしこそ神であることを知れ」詩篇46:10
聖書は「わたしこそ神であることを知れ」(詩篇46:10)と言っています。神は私たちの悪も弱さもすべてをご存じです。天の父は、わたしたちに行き届いた、豊かな恵みを与えて下さいます。しかし、それは心を亡くした者に与えられるものではありません。イエスはよく荒野に退いて祈られた(ルカ5:16)とあるように、私たちも、忙しい生活の中に祈りの時、すなわち、主との交わりを持たなければならないのです。