コンテンツへスキップ 投稿日:2023年3月19日/更新日:2025年5月9日

復讐しないで悪に勝つ知恵と勇気

悪魔のように怒っている人間の罪深さ

この世は悪で満ちています。このような社会で生きている限り、私たちは、他の人の悪の被害者になってしまうことがあります。悪に勝つ方法はあるのでしょうか。そのような時、悔しさがこみあげてきて仕返ししたくなるのではないでしょうか。復讐しないで悪に勝つ知恵と勇気について考えてみます。

だれに対しても悪に悪を返さず、すべての人の前で善を行うように心がけなさい。…愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。「『復讐はわたしのすること、わたしが報復する』と主は言われる」と書いてあります。「あなたの敵が飢えていたら食べさせ、渇いていたら飲ませよ。そうすれば、燃える炭火を彼の頭に積むことになる。」悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい。あなたを憎む者が飢えているならパンを与えよ。渇いているなら水を飲ませよ。こうしてあなたは炭火を彼の頭に積む。そして主があなたに報いられる。ローマ12章19-21節 聖書協会

この世の中の悪

私たちの周囲には悪に溢れた出来事が日常的に存在しています。職場において家庭において、公の場でもプライベートな状況でも、いつでもどこでも人間の悪は存在します。

人間関係が壊れている状況を次の聖句が説明しています。

あらゆる不義、悪、むさぼり、悪意に満ち、ねたみ、殺意、不和、欺き、邪念にあふれ、陰口を言い、人をそしり、神を憎み、人を侮り、高慢であり、大言を吐き、悪事をたくらみ、親に逆らい、無知、不誠実、無情、無慈悲です。彼らは、このようなことを行う者が死に値するという神の定めを知っていながら、自分でそれを行うだけではなく、他人の同じ行為をも是認しています。ローマ1層29-32節 聖書協会

例えば、職場でのいじめはどうでしょうか。皮肉や見下すような心の暴力で、いじめられたことはないでしょうか。ネット上での誹謗中傷の被害にあったことはありますか。もっと極端な場合は、凶悪犯罪の被害者になってしまうこともあります。

この罪深い人間社会では、本当の神様を信じない人たちはお互いに傷つけ合い生きていくのです。クリスチャンもその悪の被害者になりえます。クリスチャンはどのように悪に対処したらよいのでしょうか。

悪に対しての心構え

悪に対して心をどのように保つべきかは、非常に重要なテーマです。聖書は私たちに対して、いかなる状況においても復讐の道を選ぶべきではないと教えています。むしろ、私たちが直面する悪に対してどう向き合うかが、私たちの信仰を試す重要なポイントです。この聖書の教えは、私たちが日常生活で直面するさまざまな試練に対しても適応できます。

例えば、職場の同僚があなたに対して不当な評価を下した場合、あなたはどう反応するでしょうか。多くの人はその状況に対して怒りを抱くかもしれません。自分が受けた被害の大きさに心が痛むこともありますが、その痛みが復讐心に変わらないように注意が必要です。たとえば、友人とのトラブルや、信頼していた人からの裏切りの経験は、私たちの心に深い傷を残すことがあります。その心の傷が、自分の心を蝕んでいくのです。この状態が続くと怒りとやるせない気持ちは、火山のマグマのように大きくなってしまします。

しかし、聖書の教えに従い、まずは冷静にその状況を受け入れ、善をもって相手に接することが大切です。そうすることで、あなた自身の心も平安を保つことができます。私たちの心を守るために、神に委ねることが必要です。神は私たちを見守っており、私たちの苦しみを理解してくださいます。

復讐はクリスチャンの選択肢の中にはありません。神様にお任せするのです。

目には目をではなく、愛で打ち勝つ知恵と勇気

悪に対する私たちの反応は、しばしばその人の本質を示します。「目には目を、歯には歯を」という聖書の言葉を誤解して、多くの方々が人間には「悪には悪を返す」権利があるという考えています。クリスチャンの方々も誤解しているかもしれません。この言葉は警告です。悪を行う人に対して、神様の裁きがあるという警告です。

クリスチャンが持つべきは、復讐心ではなく、赦しの心です。たとえば、自分に対して悪意を持つ人を許すことは、決して簡単ではありません。しかし、許しは私たち自身にとっても癒しをもたらします。だからこそ、神に委ね、自分を癒す勇気を持つことが重要なのです。

具体的な例を挙げてみましょう。例えば、ある人が他者に対して悪意を持って行動した結果、その人の評価が下がった場合、私たちはその人の失敗を喜ぶのではなく、むしろ同情の気持ちを持つべきです。聖書の教えによれば、私たちが他者に対して抱く感情は、神に対する私たちの姿勢を反映しています。したがって、敵が困難に直面している時こそ、私たちが愛や慈しみを持って接することが求められます。

私たちの人間関係は、時に非常に複雑です。特に、感情的な対立が生じた場合、その関係を修復することは簡単ではありません。ですが、聖書は私たちに対して、まずは相手を理解し、共感することが重要であると教えています。たとえば、あなたが誰かに対して強い不満を抱いている場合、その人の立場や背景を考慮することで、感情が少し和らぐかもしれません。これが、悪に対する適切な対処法です。

復讐

神の裁きに身を委ねる

私たちが悪に対してどのように対処すべきかを考えるとき、最終的には神の裁きに身を委ねることが重要です。なぜなら、神は私たちの心の中を知り、私たちの行動を見守っているからです。人間の裁きはしばしば不完全ですが、神の裁きは完全です。これを理解することで、私たちは安心して神に委ねることができるのです。

敵が倒れたら、助けるように命令されています。私たち人間は、ギブアンドテイクという利害関係に基づいて人間関係を築くことが多いのです。ですから善には善を返す、悪には悪を返すという関係が普通に成り立ちます。

むしろ、私たちは裁きを神様にお任せします。これが神様の御心です。なぜかと言えば、裁きのわざは神様の特権行為だからです。私たち人間に人を裁いたり復習したりする権利などありません。キリスト者の生き方の素晴らしさは、私たち自身が善行をするからではなく、神様の恵みと知恵にあります。罪深さを認識して、悔い改めましょう。

外部リンク 人間関係が上手くいかない原因とは?

コメントは、管理人が承認後に表示されます。保留中になります。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

  • 読者の皆様の情報は、固く守られ外部に漏れることは決してありません。コメントは、管理人が承認後に表示されます。良識あるコメントをお願いします。