コンテンツへスキップ 投稿日:2025年3月10日/更新日:2025年3月14日

ヨハネの福音書8章41節-日本人がキリストを信じない理由

富士山

日本人がキリストを信じない理由を聖書をもとに考えてみます。日本の特異な文化ゆえに、キリスト教は日本に根付かないーーこれが客観的な結論でしょう。日本人がキリストを受け入れられない理由は、日本の文化の何が原因で、日本人はキリストを受け入れられないのでしょうか。

そこで彼らが、「わたしたちは姦淫によって生まれたのではありません。わたしたちにはただひとりの父がいます。それは神です」と言うと、イエスは言われた。「神があなたたちの父であれば、あなたたちはわたしを愛するはずである。なぜなら、わたしは神のもとから来て、ここにいるからだ。わたしは自分勝手に来たのではなく、神がわたしをお遣わしになったのである。わたしの言っていることが、なぜ分からないのか。それは、わたしの言葉を聞くことができないからだ。あなたたちは、悪魔である父から出た者であって、その父の欲望を満たしたいと思っている。悪魔は最初から人殺しであって、真理をよりどころとしていない。彼の内には真理がないからだ。悪魔が偽りを言うときは、その本性から言っている。自分が偽り者であり、その父だからである。しかし、わたしが真理を語るから、あなたたちはわたしを信じない。…わたしは真理を語っているのに、なぜわたしを信じないのか。神に属する者は神の言葉を聞く。あなたたちが聞かないのは神に属していないからである。」ヨハネ8章41-47節 聖書協会

キリストが神の名によって来たから

日本人がキリストを受け入れられない理由としてよく指摘されるのは、「日本は多神教の国だから」です。果たして妥当な理由でしょうか。多神教のアフリカの国々では、キリスト教は日本より数倍受け入れられています。多神教の国であることは、キリスト拒絶にはあまり関係ないようです。

一神教のユダヤ教の信者であったユダヤ人たちも、キリストを信じることが出来なかったのです。その理由は、キリストが神の名によって来たからです。主イエスが「天の神がわたしをお遣わしになった」と宣言したからでした。

主イエスは、信じなかったユダヤ人たちについて、次のように言っています。「わたしは父の名によって来たのに、あなたたちはわたしを受け入れない。もし、他の人が自分の名によって来れば、あなたたちは受け入れる」ヨハネ5章43節 聖書協会

上記の聖句は、ユダヤ人たちの不信仰を言い表していますが、日本人の不信仰の理由も説明しているのではないでしょうか。仏教のように、誰かがその人の名によって来たら、多くの日本人は信じるのではないでしょうか。宗教なら何でも良い、何でも同じと考える日本人にとって、唯一無二の主なる神がいる、唯一無二の主イエス・キリストを通してでなければ人は救われないという信仰は受け入れがたいのです。主イエスが言う次のような宣言は、論外であり許しがたく傲慢な言葉に日本人には聞こえてしまうのではないでしょうか。

わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことはできない。ヨハネ14章6節 聖書協会

今この記事を読んでいる読者の皆様の中にも、上記の理由でキリストを信じられないという方がいるかもしれません。しかし、キリスト不信仰の理由の根っこはもっと深いのです。

日本人がキリストを信じない理由

キリストが真理を話しているから

主イエス様が真理を語っているのに、人間は信じられません。それはなぜでしょうか。目に見えない悪魔の力が、人々の心を惑わしているからです。パリサイ人たちは、悪魔にそそのかされて宗教的なプライドをもってしまい、キリストを受け入れることが出来ませんでした。今日でも、人間の隠れたプライドが人々の心を欺ています。

日本人の宗教は葬式仏教と評されますが、それにはどんな意味があるのでしょうか。仏教の葬式では、召された方は御仏になると言われます。この世でどんな生き方をしたにせよ、遺族は故人のために戒名をいただくことにより立派な葬式を挙げることが出来ます。このような葬式を通して、故人は成仏されると教えられています。葬式仏教に慣れてしまった日本人は、キリストが語る真理をどのように聞くのでしょうか。

今日、キリストを信じない人たちに、特別な悪意はありません。私の知る限り、信じない人たちの中には、善良な市民の方々ばかりです。それでも主イエス・キリストに耳を傾けようとはしません。主イエスは「わたしが真理を語るから、あなたたちはわたしを信じない」と言いました。まさに、これは日本人がキリストを信じられない最大の理由かもしれません。主イエスが真理を語っているがゆえに、逆に人間は真理に対して耳を塞ぐのです。真理から目を背けようとします。

真理は、私たち人間の心をえぐります。痛みを供います。「自分は罪深い人間である」という真理など、誰も認めたくはありません。自分の悪い思いと感情を考えると、自己嫌悪感を感じてしまいます、私たちはそのような思いを忘れようとします。逃げようとします。自分の悪を正当化して、何とか精神的なバランスを保とうとします。

真理が日本人の心をかたくなにされた

ある人はキリストを信じますが、ある人は信じません。どうしてこのような違いが生まれるのでしょうか。その背景には神様が働いています。

イエスはこれらのことを話してから、立ち去って彼らから身を隠された。このように多くのしるしを彼らの目の前で行われたが、彼らはイエスを信じなかった。預言者イザヤの言葉が実現するためであった。彼はこう言っている。「主よ、だれがわたしたちの知らせを信じましたか。主の御腕は、だれに示されましたか。」彼らが信じることができなかった理由を、イザヤはまた次のように言っている。 「神は彼らの目を見えなくし、その心をかたくなにされた。こうして、彼らは目で見ることなく、心で悟らず、立ち帰らない。わたしは彼らをいやさない。」イザヤは、イエスの栄光を見たので、このように言い、イエスについて語ったのである。とはいえ、議員の中にもイエスを信じる者は多かった。ただ、会堂から追放されるのを恐れ、ファリサイ派の人々をはばかって公に言い表さなかった。彼らは、神からの誉れよりも、人間からの誉れの方を好んだのである。ヨハネ12章36-43節 聖書教会

ユダヤ人たちは、イエス・キリストを信じませんでしたが、その理由をヨハネはイザヤ6章10節を引用して説明しています。「神は彼らの目を見えなくして、心をかたくなにされた」と書かれています。文字通りとると、神が彼らを信じなくさせたとも読みとれます。

神は、特定の人たちをこのように拒否するのでしょうか。そうではありません。神の真理が、彼らの心をかたくなにされたのです。彼らがイエス・キリストを信じられなかった理由は、イエスが真理を語っていたからです。神の真理が彼らの心に突き刺さり、彼らのプライドが逆に燃え盛ったのです。彼らは自分自身で真理に目を閉じて、心をかたくなにしたのです。

同時に管理人は次のように信じています。真理を求める人は、神の聖霊によって導かれ主イエス・キリストを出会うことができると約束されています。たとえイエス・キリストを信じていなくても、心から天の神に祈ってみましょう。必ず主イエス・キリストの言葉があなたの心に届くはずです。人を導く愛なる神の不思議なわざ

管理人の祈り 神が日本人を引き寄せてくださるように

現代日本でも、多くの人々がイエス・キリストを信じません。それは神が、日本人をはじめから拒否して、救いの道を閉ざしている訳ではありません。神はすべての人間が悔い改めて、救われるのを望んでおられます(1テモテ2章4節)。そこで管理人は、世界中にいる日本人の方々のためにお祈りします。読者の皆様もごいっしょにお祈りください。

天におられる憐み深い神様、あなたは天地万物を支配しておられる唯一の神様です。悪魔の力をも支配しておられます。主イエス様は言いました。

「わたしをお遣わしになった父が引き寄せてくださらなければ、だれもわたしのもとへ来ることはできない」(ヨハネ6章44節)。聖書協会

父なる神様、あなたが日本人の一人一人に働きかけて、主イエス様のもとへ引き寄せてください。主イエス様は、聖霊なる神様について次のように言っています。

「その方が来れば、罪について、義について、また、裁きについて、世の誤りを明らかにする。
罪についてとは、彼らがわたしを信じないこと、義についてとは、わたしが父のもとに行き、あなたがたがもはやわたしを見なくなること、また、裁きについてとは、この世の支配者が断罪されることである。」ヨハネ16章8-11節 聖書協会

聖霊なる神様が、日本という地においてまた世界中で働いてくださり、人間の罪深さがが明らかにされますように。人々の心の目が開かれますように、祈ります。主よ、あなたは私たち人間が救われることを望んでおられます。どうか、我々人間を憐れみ、真理へと導いてください。そして、あなたの支配がどれほど大きいのか、どれほど知恵が素晴らしいのかを知ることが出来ますように。またキリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解し、人の知識をはるかに超えるこの愛を知るようになり、そしてついには、神の満ちあふれる豊かさのすべてにあずかり、それによって満たされるように。私たち人間は愚かな罪びとです。どうかあなた様が、私たち一人ひとりを憐れんでください。特に主イエス様を知らない方々の上に、あなたの特別な祝福と恵みと導きが宿りますように。一人でも多くの方々が、自分の罪に気づき悔い改めることが出来ますように。すべての栄光が主イエス様に帰しますように、心よりお祈りします。アーメン。

信仰とは?