コンテンツへスキップ 投稿日:2023年6月4日/更新日:2025年5月18日

イエスのみことばが裁く-ヨハネ12章44節

ユダヤ人たちの不信仰

すべての人間をイエスのみことばが裁く時が来ます。その日は刻一刻と近づいています。しかし、神様の裁きの基準はどこにあるのでしょうか。心を入れ替えて悔い改めるのであれば、何を基準にしたらいいのでしょうか。イエスのみことばが裁きの基準です。

イエスは叫んで、こう言われた。「わたしを信じる者は、わたしを信じるのではなくて、わたしを遣わされた方を信じるのである。わたしを見る者は、わたしを遣わされた方を見るのである。 わたしを信じる者が、だれも暗闇の中にとどまることのないように、わたしは光として世に来た。わたしの言葉を聞いて、それを守らない者がいても、わたしはその者を裁かない。わたしは、世を裁くためではなく、世を救うために来たからである。わたしを拒み、わたしの言葉を受け入れない者に対しては、裁くものがある。わたしの語った言葉が、終わりの日にその者を裁く。なぜなら、わたしは自分勝手に語ったのではなく、わたしをお遣わしになった父が、わたしの言うべきこと、語るべきことをお命じになったからである。父の命令は永遠の命であることを、わたしは知っている。だから、わたしが語ることは、父がわたしに命じられたままに語っているのである。」ヨハネ12章44-50節 聖書教会

イエスのみとばによって生きる

現代においても、私たちはイエスの言葉を日々の生活に取り入れることができます。たとえば、日々の選択において、イエスの教えを思い出し、愛や慈悲をもって行動することが求められます。

このことを理解するために、具体的な例を考えてみましょう。たとえば、職場での人間関係や友人関係において、イエスの教えを反映させることができます。イエスは私たちに、他人を尊重し、理解することを求めています。これを実践することで、私たち自身もイエスの光を他者に示すことができるのです。

また、イエスの言葉が裁きの基準であることは、私たちの行動に対する責任を強調しています。人間には自由意志が与えられています。どのように生きるかは、私たち自身が選択できるのです。しかし同時に、イエスが教えた価値観に従って生活することが求められます。

この基準に従うことで、私たちはより良い人間関係を築くことができ、社会がより良い方向に進む手助けにもなるでしょう。イエスのみことばによって生きるとは、日々の実践がなければただの戯言になってしまいます。日々、イエスのみことばを心に留め、日々の生活を振り返ることは、私たちの信仰を強化します。たとえ小さなことでも、イエスの教えを実践することで、私たちの周りの世界に良い影響を与えることができるのです。

さらに、イエスが与えた教えに従うことで、私たちは神との関係を深めることができます。信仰を持つことで、日常の悩みや困難に直面したとき、心の平安を得ることができます。イエスの言葉は、私たちがどのように生きるべきかを示す道しるべとなります。

このように、イエスの教えは単なる道徳的な戒めではなく、私たちの人生を豊かにするための指針であることを理解しましょう。私たちがイエスの言葉に従う時、内面的な成長を促し、他者との関係も豊かにすることが期待できます。

肉の命をイエスのみことばが裁く

イエス・キリストは、人間を裁くために来たのではありません。むしろ、私たち人間を罪の呪縛から救い出すために来たのです。イエス様は、天のお父さまから遣わされて、この地に降りてきました。天のお父さまが命令する通りに、イエス様は神様の御言葉を話したのです。

イエス様は人を裁きはしません。ご自分の命を捨てるほど、私たちを愛しておられます。しかし、イエス様の降臨は、諸刃の剣です。信じる人にとっては、神様の恵み。信じない人にとっては、神様の裁きです。

イエスが私たちの心を裁くとき、それは単に罰を与えるためではなく、私たちをより良い道へ導くためです。聖書の教えに従いながら、私たちが成長することが意図されています。ゆえに、霊的な成長の糧として、信仰生活には試練も伴います。しかし、私たちはイエスの言葉を思い出すことで、それを乗り越える力を得ることができるのです。

このように、私たちの心の中にある秘密や葛藤も、イエスに明け渡すことで解決の道が開かれるのです。日々、心の中で思っていることを神に告白し、イエスに導かれることで、私たちはより健全な心を持つことができます。

私たちは、この信仰の旅を通じて、イエスが私たちに与えた使命を思い出す必要があります。私たちはイエスに従うことで、当然ながら神様との関係は改善されます。さらに他者との関係が改善されることを体験します。私たちの信仰は、私たちが他者とどのように関わるかにも影響を与えます。信仰を持つことで、私たちは他者に対してより寛容になり、理解を示すことができます。それによって、イエスの教えをより深く理解し、実践することができるのです。ですから、他者に与える影響を常に考え、イエスの言葉を実践することが重要です。信仰を持つ者として、私たちは光となり、暗闇の中で道を示す存在でなければなりません。

神様の裁きの基準は、イエス様が話した言葉にあるのです。イエス様の戒め、教え、命令、すべてに示されています。私たち人間が、イエス様の言葉に従うかどうかが問われています。

イエスのみことばが裁く

イエスのみことばが終わりの日に裁く

主イエスのみことばは、終わりの日にすべての人間をさばきます。キリストは、私たちの心の奥底に隠された秘密さえも明らかにします。

そのことは、神が、わたしの福音の告げるとおり、人々の隠れた事柄をキリスト・イエスを通して裁かれる日に、明らかになるでしょう。ローマ2章16節

イエス・キリストに従う人には、主の前では秘密などありません。なぜなら、日々、イエス・キリストの名によって、神様にすべてを告白しているからです。イエス様から隠れることはできないと認識していますから、日々、主イエス様に喜ばれる者になりたいと祈ります。

いずれ、私たちはクリスチャンであっても、主イエス様の裁きの座の前に立つことになります。最終的に、私たちは、主イエス様のみことばによって裁かれるのです。

天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。マタイ24章35節 聖書教会

天地は滅びますが、主イエス・キリストの言葉だけは残ります。滅びません。天の神様は、すべての権威をイエス・キリストに委ねたのです。人間を裁く権威も、すべて主イエス様に与えたのです。そのイエス様の言葉によって、我々人間は裁かれます。

神様はわたしたちの悔い改めを待っている

イエス様のみことばを真剣に読んでみましょう。自分自身の心を検証してみましょう。この方に委ねて生きていく生き方こそ、最高の生き方です。一心に主イエス様を慕い求めて、主に喜ばれる者になれますようになりましょう。

天地にある自然も人間が造った建造物もすべて、いずれは消え失せてしまいます。天のお父さまは、すべての人が救われるのを望んでおられます。イエス様が再臨されずに人間を裁かないのは、一人でも多くの方々が救われるために、神様は待っておられからです。

愛する人たち、このことだけは忘れないでほしい。主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のようです。ある人たちは、遅いと考えているようですが、主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです。主の日は盗人のようにやって来ます。その日、天は激しい音をたてながら消えうせ、自然界の諸要素は熱に熔け尽くし、地とそこで造り出されたものは暴かれてしまいます。このように、すべてのものは滅び去るのですから、あなたがたは聖なる信心深い生活を送らなければなりません。神の日の来るのを待ち望み、また、それが来るのを早めるようにすべきです。その日、天は焼け崩れ、自然界の諸要素は燃え尽き、熔け去ることでしょう。しかしわたしたちは、義の宿る新しい天と新しい地とを、神の約束に従って待ち望んでいるのです。2ペテロ3章8-13節 聖書教会

主イエスのみことばによる裁きの日は、主を信じる人にとっては神の栄光の日です。しかし、主を信じない人にとっては、悲しい日になります。神の裁きが下される時です。神は誰も滅ばされることを望んでいません。むしろ、すべての人間が罪の呪縛から解放されることを望んでおられます。だから一日も早く悔い改めましょう。

主イエス様が与えてくださる人生の恵みによって、喜びの人生を送りましょう。イエス様のみことばが私たちの心に深く根付くことで、私たちの人生は豊かで意味のあるものとなります。この素晴らしき人生んは、主イエス様だけが与えてくださいます。主イエス様を信じて戒めに従い、精神的に霊的に成長していきましょう。読者の皆様の上に、主の大いなる祝福が宿りますように。

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