コンテンツへスキップ 投稿日:2023年5月7日/更新日:2025年5月18日

主イエスに出会う人の恵み-ヨハネ12章1節

真っ暗な空から光が差し込む

主イエスに出会う人々は、神様の祝福を受けます。しかし、2000年前に実際に主イエス様に出会った人々は、もっと多くの祝福を受けたと思ったことはないでしょうか。何の世界でも、スーパースターに実際に会える人は、極わずかです。この地上で主キリストに出会えない私たちは、1世紀のクリスチャンよりも少ない祝福をいただいているのでしょうか。

過越祭の六日前に、…そのとき、マリアが純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラ持って来て、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。家は香油の香りでいっぱいになった。弟子の一人で、後にイエスを裏切るイスカリオテのユダが言った。「なぜ、この香油を三百デナリオンで売って、貧しい人々に施さなかったのか。」彼がこう言ったのは、貧しい人々のことを心にかけていたからではない。彼は盗人であって、金入れを預かっていながら、その中身をごまかしていたからである。イエスは言われた。「この人のするままにさせておきなさい。わたしの葬りの日のために、それを取って置いたのだから。貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるが、わたしはいつも一緒にいるわけではない。」ヨハネ12章1-8節 聖書協会

マリアがキリストの足を高価な香油で清める

神様の祝福の象徴として、サムエルは、ダビデの頭に油を注ぎました(1サムエル記16章)。これと似たような事がユダヤ教でも行われていました。上記の聖句では、マリアは主キリストの足を香油で清めていますが、マタイ26章とマルコ14章では頭に香油をかけています。この3つの福音書から、マリアは主キリストの頭にも足にも香油を注いでいたのがわかります。

主キリストは、マリアの行いを「ご自身が葬られる準備をした」と言っています。しかし、マリア自身はそんなつもりはなかったでしょう。マリアは、主キリストが十字架にかけられるとは予想もしていなかったからです。マリアは、単に聖霊の導きのままに、主キリストに清めの儀式を行ったのです。

マリアのこの行為を見ていたユダは、主キリストを褒めたたえるよりも、目先のことしか見ていませんでした。彼は自らの浅はかさを明るみにして、「香油を売って貧しい人々に施さないのか」と言ったのです。別段、彼が貧しい人たちに憐れみを持っていたわけではありません。単に自己顕示欲でこのようなことを主張したのです。

主イエスに出会う人

「わたしはいつも一緒にいる訳ではない」の真意

ユダの言葉を聞いた主キリストは、「わたしはいつも一緒にいる訳ではない」といいます。この意味は何でしょうか。マタイ28章18-20節には、「わたしは世の終わりまで、いつもあなた方と共にいる」と言っています。この2つの聖句の違いは何でしょうか。

マタイ28章の言葉は、復活後の主キリストの霊的な臨在を示しています。一方、ヨハネ12章の聖句は、主キリストの地上での時間を指しています。

主キリストの地上でのミッションは、約3年間と限られていました。弟子たちが、主イエス・キリストと対面で話が出来る時間は限られている、と主は明らかにしたのです。なぜなら、主イエス様は、ご自分がまもなく十字架で死ぬことを知っていたからです。その比較として、「貧しい人々はいつの時代でもこの世にはいる」と主キリストは説明しています。

主イエスに出会う人

主イエスに出会う人の恵み

1世紀に主イエス様に出会い、直接みことばを聞いた人々は極めつけの祝福を受けたと思われます。残念ながら、今現在、わたしたちは主イエス様の生身の声を聞くことをできません。直接、話がしたくても、人となられた主イエス様はこの世にはいません。

また主イエス様に会った人々に、会うこともできません。肉の主イエス様に対面した人々は、2000年前に召されてしまったのです。21世紀の世では、誰も主キリストの顔を見ることもできないし、声を聞くこともできないのです。だからといって、主イエス様の真理はなくなってしまうのでしょうか。

初めからあったもの、わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て、手で触れたものを伝えます。すなわち、命の言について。―― この命は現れました。御父と共にあったが、わたしたちに現れたこの永遠の命を、わたしたちは見て、あなたがたに証しし、伝えるのです。――
わたしたちが見、また聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたもわたしたちとの交わりを持つようになるためです。わたしたちの交わりは、御父と御子イエス・キリストとの交わりです。1ヨハネ1章1-3節 聖書協会

主イエス様が教えている真理は、今も主を信じる人々の心に宿っています。祝福が宿っています。主イエス様に出会った人たちが、新約聖書として記録を残してくださっています。主イエス様のみことばと戒めを、21世紀に生きる私たちも聞くことが出来るのです。

主イエス様は十字架上で死にましたが、死んだままで終わった訳ではありません。この方は死からよみがえり、今天にいらして天地万物を支配しておられるのです。主イエス様は、世の終わりの時まで、主を信じる人々とともにいると約束されました。肉のイエス様ではなく、霊の主イエス様が神様の聖霊としてクリスチャン一人ひとりに宿っているのです。

2000年前に主イエス様に出会った人たちと21世紀に生きるわたしたちは、まったく同じ恵みを受けています。神様の愛に満たされているのです。

あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛し、今見なくても信じており、言葉では言い尽くせないすばらしい喜びに満ちあふれています。それは、あなたがたが信仰の実りとして魂の救いを受けているからです。1ペテロ1章8-9節 聖書協会

神様は霊なる方です。私たちの目で見ることはできませんが、霊なる神様は、私たちと共にいます。見守っています。クリスチャンの内に聖霊として臨在しておられるのです。目に見えない不思議な力で、私たちを励まし強めて下さってます。主イエス様は、21世紀に生きる私たちにも、「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」と語っているのです。主イエス様に感謝しましょう。

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