コンテンツへスキップ 投稿日:2024年12月19日/更新日:2025年1月20日

キリストの一番大切な教え

キリストの教えは虹のように美しい

キリストの教えを要約すると何でしょうか。キリストの一番大切な教えを説明します。創造主なる神は、キリストを通してすべての人種、民族に御心を伝えました。キリスト教は西欧諸国で発展しましたが、西欧にだけ「限定販売」されている訳ではありません。キリストの教えは、全世界、全人類に与えられています。

キリストの教え

キリストの宣教メッセージは、「神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」でした。(マルコ1章14節ー15節)神の御国は何よりも大切であると、キリストは教えています。衣食住よりも大切、財産、どんなものよりも大切であるとが強調されています。だから他の持ち物を売り払ってでも、その宝を買いなさいと命じられています。宝とは、自分が一番大切だとおもっているものです。それが天の御国なのです。

同時に、天の御国では、神様の支配と裁きがあることも強調されています。最終的に、わたしたち人間はどのようにこの命を生きるかによって、神の裁きを受けます。神ご自身が、正しい人と悪人をより分けられます。しかし、過去にどんな悪事を働いた人でもあっても、その人が罪を悔い改めれば赦されます。国の法律の裁きは受けるかもしれませんが、神は憐れみをもってその人を受け入れてくれます。キリストは、わたしたち人間が神の御国において、どのように生きるべきかを教えています。では最初に最も大切な教えは何かを聞いてみましょう。

彼らの議論を聞いていた一人の律法学者が進み出、イエスが立派にお答えになったのを見て、尋ねた。「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか。」イエスはお答えになった。「第一の掟は、これである。『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つにまさる掟はほかにない。」マルコ12章28-31節 聖書協会

心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神を愛しなさい

旧約聖書の時代に、神はイスラエルの民と契約を結び、この戒めを与えました。

わたしたちが信じる神は、天地万物すべてを創造された創造主なる神です。今もこの神は、霊として天にて生きておられ、すべてを支配しておられます。万の神とは違います。

キリストは「神を愛す」ことが一番重要であると言っていますが、その意味は何でしょうか。人間がもっているすべての能力や感情(心、精神、思い、力)を尽くして神を愛すことです。神を愛すためには、神を信じる関係が前提にあります。わたしたちが神を信じれば、それは神を慕い求める愛に変わります。神の支配と教えを求める信仰になり、神を愛する信仰に変わります。

神はわたしたちがすべてを尽くして愛すように望まれています。単なる表面的な儀式的な礼拝によって、表現されるものではありません。心から出る熱い思いや感情によって、人は神を愛すべきでしょう。しかし感情だけではありません。知性や理性によっても神を愛します。感情に流されたりしない強い意志によって、神を愛すことではないでしょうか。

隣人を自分のように愛しなさい

この律法学者は「数ある律法の中で、何が一番大切な掟ですか」と聞きました。彼も当然1つの掟だけを聞くだろう、と思っていたでしょう。ところが、キリストは第一の掟に加えて、第二の掟も同様に重要であると言いました。

なぜでしょうか。その理由は、2つの掟が表裏一体の関係にあるからです。お札の表裏一体の関係と同じです。片面が偽物であれば、全体が偽物です。この2つの掟にも同じことが言えます。上記のこの2つの教えを、少し具体的に例を挙げながら、次の投稿では説明してみます。

攻撃は最大の防御と言われますが、人間関係には当てはまりません。人間関係の基本は隣人愛。礼儀、マナーは最低限の隣人愛の表現です。最近の風潮と合わせて考えてみましょう。

隣人愛を実践する社会にしましょう

れいわ新選組の2人の議員が、予算の採決の際に牛歩戦術を使ったということ。ここまでは許容範囲です。さらに議長に対して「この愚か者!」と叫んだというのです。国会のルールは詳しく知りませんが、この発言は明らかなマナー違反です。

格闘技の影響か分かりませんが、最近は「自己主張を所構わずやるべきだ」という風潮があります。しかし、若い人たちの手本となるべき国会議員がこのようなマナー違反をしていいのでしょうか。過激な発言をして注目を集めたいのでしょうか。過激な発言をする人がヒーローになっている世の中ですから、国会議員の方もこのような発言をしてしまうのでしょう。しかし、もし世の中を本当に改善したいのであれば、隣人愛は不可欠です。

確かにこの世の中は狂っています。愛がますます冷えている世の中になっているように思えます。だからこそ、最低限の隣人愛の実践が必要なのです。宗教、文化を問わず、相手の方を思いやる気持ちは大切ではないでしょうか。

至る所で強盗殺人事件が起きています。人を殺傷したいと密かに思っている人たちが、世の中には多くなっているのかもしれません。実際に、人に危害を与えなくても、人を「愚か者!」という者は死罪に当たると主イエス様は言っています。

私たちがこの世を本当の意味で良い世の中にしたいと思うのであれば、主イエス様が教える隣人愛を実践してみましょう。一人一人の小さな親切、思いやりが、人間関係の潤滑油となってもっと住みよい街になっていくのではないでしょうか。

主イエス様を必要としている今の世の中

この世は終末、この世の終わりに向っています。そのプロセスでこの世情は、ますます悪くなっていく、と主イエス様は預言されています。人々が真理に耳を塞ぐようになってしまうのです。しかし今一度考えてみましょう。このような世の中の風潮に流されて生きていれば、あなたの心にも苦しみばかりが覆いかぶさって来るでしょうか。

主イエス様は、あなたに招待状を送っています。「わたしの下に来て、わたしに学びなさい」と言っています。この招きを受け入れて、主イエス・キリストの言葉に日々耳を傾けてみませんか。

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