コンテンツへスキップ 投稿日:2022年3月6日/更新日:2023年5月5日

真の謙遜と偽の謙遜

真の謙遜というテーマで、中田キリストの教会の伝道者である前田文夫さんに、寄稿して頂きました。日本人が考える謙遜と真の謙遜を比べてみましょう。

いったい謙遜とは何でしょうか?

よく外国人は日本人を評して、謙遜な国民だとか、礼儀正しい国民だとか言います。しかし真の謙遜とは、他人の前で深々と頭を下げて挨拶したり、普段は没交渉なのに、盆暮れだけに贈り物を送ったり、はっきり物を言わずに、煮え切らない態度を取ることではありません。

 真の謙遜とは、第一に、すべての道において神を認めることです。つまり、神が全能者であり、絶対者であることを認めて、自らを低くすることです。

 第二に、自分の罪深さを認めることです。自己正義の見本のようなパリサイ人は、その祈りの中で、自分は取税人のような罪人でないことを神に感謝すると言いました。しかし取税人は胸を打ちながら、罪深い自分を憐れんで下さい、と祈りました(ルカ18:10~13)。これが謙遜です。

 第三に、真の謙遜は愛です。主イエスの謙遜の姿が、ピリピ人への手紙の中に美しく描写されています。「キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。」(ピリピ2:6~8)。主イエスは、神でありながら、十字架の死に至るまで従順に神の御心に従われました。これが謙遜です。従って、父なる神はキリストを高く引き上げられたのです。

自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされます(ルカ18:14)。神の恵みは、丁度、川の流れのように、高い所から低い所へと流れます。神は高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みを賜うからです。真の謙遜を身につけましょう!

 中田キリストの教会 伝道者 前田文夫

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