新約聖書の成り立ちと正典を説明します。新約聖書が書かれた年代と過程はどんなでしょうか。2000年前に書かれた新約聖書の生い立ちを説明します。
キリストが十字架にかけられた死んで復活後、キリスト者が集まり、イエス・キリストの名によって神を礼拝し始めました。これがキリストが建てた教会です。初代教会は、私たちが現在、手にしている正典である聖書は、持っていませんでした。使徒たちの教え、またキリストが言った言葉のメモ書きのようなものを基に、お互いに教えあっていたのです。その後、キリストの使徒であった弟子たちが、50年以降、手紙を書きます。特にパウロという使徒が、諸教会に多くの手紙を書きました。さらに後、70年以降にイエス・キリストの生涯について書いた福音書が書かれたのです。
新約聖書の各書が書かれた大まかな年代を、The International Standard Bible Encyclopedia, Vol. 1, 692から紹介します。
- ヤコブの手紙(47-48年)
- 1-2テサロニケの手紙(50年)
- 1コリントとガラテヤの手紙(52-53年)
- ローマの手紙(54年)
- コロサイ、エペソ、ピレモンの手紙(58年)
- ピリピの手紙(59年)
- 1テモテとテトスの手紙(62-63年)
- 1-2ペテロ(64年以前)
- 2テモテ(65年)
- マタイ、マルコ、ルカの福音書、使徒行伝、ユダとへブルの手紙(70年以前)
- ヨハネの福音書、ヨハネの黙示録、1-3ヨハネの手紙(70年~90年)
初期のクリスチャンの聖書と福音理解
新約聖書の成り立ちは、旧約聖書の正典の過程より複雑です。紆余曲折を重ねて、現在の正典に至っています。しかし、新約聖書の正典化は、徐々にクリスチャンの間に確立していきます。
主イエス・キリストの教えも、断片的にしか教会には広まっていませんでした。使徒パウロは多くの手紙を書きましたが、それらの手紙は教会間でまわし読みされていました。1世紀の初代教会のクリスチャンたちは、福音の基本的なメッセージしか知らなかったのです。主イエス・キリストの十字架による罪の贖いと、主イエス・キリストの復活を信じていたのです。後にパウロが書くような、神の救いの神学的な意味などは知りすべはなかったのです。なぜなら、1世紀には新約聖書は正典として成立していなかったからです。
新約聖書の正典化
2世紀から4世紀にかけて、新約聖書の正典化が行われていきます。時代とともに、徐々に、いくつかの書が権威ある書(聖書=神のことば)として認められ、正典として加えられていきます。教父たちの影響も、この過程で働いていたと思われます。言葉で、説明するよりも表にした方がわかりやすいので表にしました。Eerdmans’ Handbook to the History of Christianity, P.95, W.M. B. Eerdmans Publishing, 9177.
各年代ごとに、正典として認められていたと書は違います。たとえば、200年代ではペテロの黙示録とソロモンの知恵が、正典として含まれています。へブルの手紙が正典として認められたのは、400年代になってからです。ユダの手紙も、正典に含めるか長い間、議論されていました。
200年代 ローマ教会で使われていた(通称ムラトリ正典)
4つの福音書、使徒行伝、ローマの手紙、1,2コリントの手紙、ガラテヤの手紙、エペソの手紙、ピリピの手紙、コロサイの手紙、1,2テサロニケの手紙、1,2テモテの手紙、テトスの手紙、ピレモンの手紙、へブルの手紙、ヤコブの手紙、1,2ペテロの手紙、1,2ヨハネの手紙、ユダの手紙、ヨハネの黙示録、ペテロの黙示録、ソロモンの知恵
横線の打ち消しは、現在の正典39巻の中で、まだ認められていない書です。太字は、現在の39巻に含まれていない書です。

250年代 教父オリーゲネスの新約聖書
4つの福音書、使徒行伝、ローマの手紙、1,2コリントの手紙、ガラテヤの手紙、エペソの手紙、ピリピの手紙、コロサイの手紙、1,2テサロニケの手紙、1,2テモテの手紙、テトスの手紙、ピレモンの手紙、へブルの手紙、 ヤコブの手紙、1,2ペテロの手紙、1,2ヨハネの手紙、ユダの手紙、ヨハネの黙示録
ペテロの黙示録、ソロモンの知恵 はこのリストではなくなっています。ヤコブの手紙がなくなり、代わりに1,2ペテロとヨハネの黙示録が認められています。
300年代 教父エウセビオスの新約聖書
4つの福音書、使徒行伝、ローマの手紙、1,2コリントの手紙、ガラテヤの手紙、エペソの手紙、ピリピの手紙、コロサイの手紙、1,2テサロニケの手紙、1,2テモテの手紙、テトスの手紙、ピレモンの手紙、へブルの手紙、 ヤコブの手紙、1,2ペテロの手紙、1,2ヨハネの手紙、ユダの手紙、ヨハネの黙示録
250年代のリストと変化はありません。

400年代 カルタゴ会議によって決められ新約聖書
4つの福音書、使徒行伝、ローマの手紙、1,2コリントの手紙、ガラテヤの手紙、エペソの手紙、ピリピの手紙、コロサイの手紙、1,2テサロニケの手紙、1,2テモテの手紙、テトスの手紙、ピレモンの手紙、へブルの手紙、 ヤコブの手紙、1,2ペテロの手紙、1,2ヨハネの手紙、ユダの手紙、ヨハネの黙示録
へブルの手紙とユダの手紙が認められ、現在の39巻が正典として確立しました。
以上、新約聖書の正典について説明しました。ご感想、ご質問などあればコメント欄でお願いいたします。すべての質問に答えられる訳ではありませんが、、、心よりお待ちしております。
新約聖書の正典に関する貴重な資料有難うございました。特にヘブル書が興味深い
です。この書が正典と認められた時期はAD400年頃ですが、それはキリスト教が
ローマ帝国の国教とされた時期と重なります。命がけで信仰を守り通した信者に
とって、迫害を逃れてユダヤ教へ逆戻りした多くの信者達が、迫害が終った途端に
キリスト教へ戻ってくるのは、とても許せなかったと思います。放蕩息子の兄の
スタンスです、ですからヘブル書6:4~6の様な聖句を「棄教者」達に強調したかったのではないでしょうか?しかし人の弱さに同情して下さる大祭司イエスも描かれていますね。難解な聖句も多いのもこの書の正典化が遅れた理由でしょうか。
記事を読んでいただきありがとうございます。おっしゃる通り、正典成立の時代背景を理解するのも大切ですね。鋭いご指摘に感謝します。正典の成立に天の神様が関わっていたことは間違いないのですが、それを検証した教父たちは紆余曲折を経て結論に至ったようです。へブル書の場合、正典に入るのが遅れた理由として、確かに難解な部分があったというのも理由の一つだと思います。もう一つは、やはりあまりにも多くの旧約聖書の引用があり、抵抗があったと思われます。内容的には、へブル書は新しい契約の優位性を説いているのですが、教父たちはそれを理解できなかったのかもしれません。ユダヤ教回帰に惑わされた人たちへの警告であったので、もっと早く正典として認められても良かったのでは?と疑問に思います。