コンテンツへスキップ 投稿日:2023年3月6日/更新日:2023年5月4日

メメント・モリ(汝の死を覚えよ)!

メメント・モリ

よりよく生きるために

ラテン語で「メメント・モリ」・・・その意味するところは「(汝の)死を覚えよ」。積極的な意味で自らの死を意識する時に、人はかけがえのない人生をより濃く生きることができるのではないでしょうか?

何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある。生まれる時、死ぬ時。

旧約聖書「コヘレトの言葉」3章1~2a節

 中世ヨーロッパの修道士たちは、ラテン語で「メメント・モリ」という言葉を合言葉とし、事あるごとに、互いに呼びかけ合っていたそうです。「メメント・モリ」・・・その意味するところは、「(汝の)死を覚えよ」です。彼らは、人の一生が限りあるものであることをしっかりと自覚し、積極的な意味で自らの死を意識し合ったのではないでしょうか?そして、それゆえにこそ、与えられた命を精一杯生きる、より濃密な生を生きることを誓い合ったようです。

クリスチャン医師 日野原重明氏の証言

105歳で天に召されたクリスチャン医師の日野原重明先生は、10歳の子供たちに向けた“いのちの授業”の中で、「その人が死ぬまでに使える時間が、その人のいのちです」と言っています。すなわち、いのちは時間である、ということではないでしょうか?そして、そのことはある意味、この地上におけるいのちは有限であるということです。

 若くして健康であり、将来が期待されている青年は、「余命」を自覚することは少ないでしょう。しかしながら、年を重ねていたり、病床に伏している人は、残された命(=地上生涯)をいやがおうにも意識せざるを得ません。例えば、もし、仮に、あなたが「余命三日」と宣告されたら、どうでしょうか?その一日一日は、それはそれは重く感じられることと思います。

 どんなに若くても、人は基本的に、いつか地上生涯の終わりを迎えます。そんな終わりから“今”を見ていく時に、私たちは一日一日をより重く、尊いものとして受け止めることができるのではないでしょうか?

マラソン走者は、42.195km先のゴールをイメージしながら、“今”を走るそうです。最初から全速力では到底持ちませんし、無駄に楽(昼寝など)をし過ぎていたら、ゴールできません。ゴールをイメージしたペース配分が必要ではないでしょうか?

メメント・モリ 今一度、思い起こしてみよう

 「メメント・モリ([汝の]死を覚えよ)」・・・私たちは必要以上に死を恐れることなく、積極的な意味で、死を覚えつつ、残された人生をより良く、より有意義に生きようではありませんか?

 そして、もう一点、聖書は、死は決して終わりではない、と語っています。死の「そのあと」があるというのです。私たちは、自らの死を意識する時に、死の後にある“新しい生=永遠のいのち”にも希望を持ちたいものです。なぜなら、「(死という)終着駅」は「(永遠のいのちという)始発駅」にもなるからです。

 皆さんに神様の平安がありますように。・・・シャローム!

御茶の水キリストの教会 野口 良哉

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