復帰運動は継続的運動です。言い換えれば、悔い改めがクリスチャンにとって継続するのと同じように、聖書「神の御言葉」に立ち帰る運動は継続的なのです。実際、「御言葉に立ち帰る」という理念は聖書に啓示されています。旧約の時代においてイスラエルは、悔い改めのメッセージを聞き神のことばに立ち帰るように求められました。新しい契約下でユダヤ人及び異邦人たちは、主イエスの御言葉及び使徒たちの教えを聞き神に立ち返り主イエスの名によってバプテスマを受けました。バプテスマを受けた後もクリスチャンたちは、使徒たちの書簡によって常に主イエス・キリストに立ち帰るように戒められました。21世紀に生きる私たちにとっても同様のことがいえます。
具体的にはどのような原則があるのかを箇条書きにしてみます。(この箇条書きは私個人の見解です。中央組織がありませんから、元々このような信条は存在しません。)
1.聖書だけが教会の指針であり、教派の信条を表す式文や教理問答のようなものはありません。
2.すべての信者は自身のために聖書を読み判断する権利が与えられており、自分自身の信仰に責任を持ちます。
3.分派、分裂に反対して聖書に基づくクリスチャンの一致を求めます。
4.聖書に明らかに啓示されていることは信仰の分野ととらえます。たとえば、イエス・キリストの神格、主の晩餐、バプテスマなど。その他の部分、あいまいな箇所は人の意見として受け入れます。自由な意見交換が可能です。
5.新約聖書に啓示されている礼拝のパターンを踏襲しようとします。
6.教会は単立であり他の組織の影響を受けません。
7.教会の組織はピラミッド型ではなく、イエス・キリストをかしらとして、信者は皆イエス・キリストの名によって兄弟姉妹の関係を持ちます。
8.信者はそれぞれ違った賜物を神から頂き、それぞれ違った役割を果たします。ある人は長老になり、またある人は執事、伝道者や教師になったりしますが、これは上下関係を表すものではなく役割を表します。
9.教派にはバプテスト、ルーテル、長老派といったいろいろな名前がありその名前がグループの起源や信条を表していますが、私たちは「クリスチャン」とだけで呼びます。
10.教会は単立ゆえに各教会をまとめる中央組織のようなものはありません。非常に緩やかなネットワークをもち地域ごとの合同礼拝、教会の長老・宗教法人上の役員の集まりや全国規模の伝道者の集まりがあります。