天から降りてきたイエス・キリストは、愛の革命を行いました。自分を人のために献げる人生を解き明かしました。人知をはるかに超えた、誰もまったく知らない愛の本質を、私たち人間に知らしめました。この愛に応える人たちは、キリストによって選ばれ、キリストの友と呼ばれます。
目次
イエスの愛の革命
わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである。あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である。ヨハネ15章12-17節 聖書協会
愛はすべての芸術や娯楽の大きなテーマです。歌、絵画、映画、文学、どれをとっても愛のテーマが出てきます。それほど愛は人間にとって大きなテーマと言えるでしょう。愛は男女の恋愛関係だけではありません。親子愛、友情の愛、自己愛、それぞれ焦点は違いますが、愛がテーマです。
その愛に革命を主イエス様は革命をもたらしましたs。「友のために命を捨てる。これ以上に大きな愛はない」とイエスは言いましたが、私たち人間には実感さえわきません。しかし、主イエス・キリストは身をもって、この愛を実践してくださいました。私たち人間には不可能なことを、主イエス様はその生き様によって成し遂げられました。
イエス・キリストは、天の栄光を捨て卑しい体をもつ人と成られました。さらに地上にいる3年間、私たち人間に生き方を忍耐強く教えて下さいました。これだけでも十分な恵みですが、イエス・キリストは私たち人間の罪のために、ご自分の命を犠牲にされたのです。私たちが罪の呪縛から解放されるために、自らの命を捨てたのです。これ以上に大きな愛は、この世にはありません。
愛の革命を通じて私たちが与えられるもの
私たちは、イエス・キリストの十字架の死を、歴史的史実として知ることができます。キリストの十字架の死は愛の革命の象徴です。キリストの愛を受け入れて、私たちが与えられるものは何でしょうか。創造主なる神の素晴らしい3つの恵みが与えられます。
キリストの道を歩み祝福の人生を歩む
キリストは、信じる人に生き方を教えています。祝福の人生の生き方です。それは単なる道徳的なモラル的な生き方ではありません。私たち人間が、神によって創造された者として生きる生き方です。人間の本分ともいえると思います。
主イエス様は、創造主なる神を信じる、信頼する意味について教えています。どのように神を愛すことができるのかを、具体的に身をもって教えてくれています。主イエス様を信じる者は、イエス様を通して神との関係を持つことが出来るのです。主イエス様を信じる者は、神を信じる事にもつながるのです。神との健全な関係があって初めて、人間は人間本来の生き方が出来るのです。
また主イエス様は、私たちが他の人を自分のように愛する意味をも教えています。自分を愛すとはどんな意味なのか、また隣人を愛すとはどんな意味なのかを、ご自分が人を愛すことによって身をもって示してくださっています。
主イエス様は、愛を教えるだけでなく、神への愛と隣人愛を完璧に実践されたのです。これが一つの愛の革命の形です。最後には、十字架で死なれて革命的な愛が成就されたのです。クリスチャンは、この革命的な愛を理解しキリストに倣うことによって、神を愛し隣人を自分のように愛すことが出来るのです。これは祝福の人生です。
神の子供として受け入れられている
キリストの愛を受け入れ信じる人は、この世で祝福の人生を歩むと書きましたが、その象徴が私たちの立ち位置にあります。クリスチャンは、神の子供として愛されているのです。父親が子供を愛し必要なものを与えるように、神はクリスチャンに、この世で生きていくために必要なものを与えています。
アダムの罪以来、人はこの世に生まれ、神の御心に反して自分を中心にしか考えられないようになっているのです。この心の持ち方を聖書は罪と定義しています。この罪によって、人は生まれながらにして神に敵対しているのです。しかし、神はそれでも人を憐み、キリストの十字架の死によって救いの手を人間たちに差し伸べました。
イエス・キリストを信じる人を、神はご自分の子供として受け入れたのです。神は敵対する人にも神の恵み、たとえば太陽の光や恵みの雨を与えています。しかし、同時に神は人に自由意志を与えています。悪を行う者は、自由意志のままに悪を続けさせます。悪を止めるようなことはしません。
しかしながら、神は子供には特別は配慮を与えるのです。子供の人生に介入するのです。神の介入は、神の愛の証でもあります。神は、神の子供であるクリスチャンに聖霊を与え、その人の人生に介入して導いてくださっているのです。クリスチャンが主イエス様とつながっている限り、神は聖霊の力をその人に与え続け、祝福の人生を与えるのです。
永遠の命が約束されている
最後の神の恵みは、永遠の命です。クリスチャンには、死んでも生きる永遠の命が約束されています。人間は誰でも肉体的に死にます。人の死亡率は100%です。変えられない事実です。しかし、クリスチャンには希望があります。人生はこの世で終わるわけではありません。
仏教の教えでは、人は死んだら仏になると教えらています。この背景があり日本の葬式仏教が発展したのです。つまり生きている間はどんなに悪を働いても、死んだら遺族の方々が立派なお葬式をあげて成仏すると説かれているのです。
人生の真実は違います。私たちがどのようにこの人生を生きるかによって、あの世での命が決まってくるのです。主イエス様は、はっきりと信じる人に明言しています。イエス・キリストを信じる者は、死んでも生きるのです。すべての物質に終わりがあるように、この世にある自然界も終わる時が来ます。その時に主イエス様が再臨され、すべてのクリスチャンを集め永遠の神の御国に住まわせるのです。
キリストの愛の革命を実践
キリストの弟子であるクリスチャンは、キリストの愛の革命を実践する人です。神を心から愛し求め、また隣人を自分を愛するように愛す人です。敵と思えるように人に対しても、親切を施し神の愛を実践するのです。
特に教会で神の愛が実践されます。主イエス様は、信じる人々に次のように言って戒めています。
あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる。」ヨハネ13章34-35節 聖書協会
愛の基準は、私たち人間にはありません。愛をどのように実践するかは、主イエス様によって教えられています。愛の革命を起こした主イエス様だけが、本当の愛、真実の愛を知っているのです。この方に学び倣い従って初めて、私たちは愛を実践できるのです。
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