コンテンツへスキップ 投稿日:2023年3月6日/更新日:2025年12月30日
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メメント・モリ-死から復活の主-唯一の勝利

人の死を象徴するお墓

人の死、メメント・モリとは? ラテン語で「メメント・モリ」・・・その意味するところは「(汝の)死を覚えよ」。積極的な意味で自らの死を意識する時に、人はかけがえのない人生をより濃く生きることができるのではないでしょうか?中世ヨーロッパの修道士たちは、ラテン語で「メメント・モリ」という言葉を合言葉とし、事あるごとに、互いに呼びかけ合っていたそうです。「メメント・モリ」・・・その意味するところは、「(汝の)死を覚えよ」です。彼らは、人の一生が限りあるものであることをしっかりと自覚し、積極的な意味で自らの死を意識し合ったのではないでしょうか?そして、それゆえにこそ、与えられた命を精一杯生きる、より濃密な生を生きることを誓い合ったようです。

何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある。生まれる時、死ぬ時。旧約聖書「コヘレトの言葉」3章1~2a節 聖書協会

メメント・モリ

クリスチャン医師 日野原重明氏の証言

105歳で天に召されたクリスチャン医師の日野原重明先生は、10歳の子供たちに向けた“いのちの授業”の中で、「その人が死ぬまでに使える時間が、その人のいのちです」と言っています。すなわち、いのちは時間である、ということではないでしょうか?そして、そのことはある意味、この地上におけるいのちは有限であるということです。

 若くして健康であり、将来が期待されている青年は、「余命」を自覚することは少ないでしょう。しかしながら、年を重ねていたり、病床に伏している人は、残された命(=地上生涯)をいやがおうにも意識せざるを得ません。例えば、もし、仮に、あなたが「余命三日」と宣告されたら、どうでしょうか?その一日一日は、それはそれは重く感じられることと思います。

 どんなに若くても、人は基本的に、いつか地上生涯の終わりを迎えます。そんな終わりから“今”を見ていく時に、私たちは一日一日をより重く、尊いものとして受け止めることができるのではないでしょうか?

マラソン走者は、42.195km先のゴールをイメージしながら、“今”を走るそうです。最初から全速力では到底持ちませんし、無駄に楽(昼寝など)をし過ぎていたら、ゴールできません。ゴールをイメージしたペース配分が必要ではないでしょうか?

参照記事 ヨハネ12章20-26節。死生観 ヨハネ12章27-33節。死ぬために生まれた方

 「メメント・モリ([汝の]死を覚えよ)」・・・私たちは必要以上に死を恐れることなく、積極的な意味で、死を覚えつつ、残された人生をより良く、より有意義に生きようではありませんか?

 そして、もう一点、聖書は、死は決して終わりではない、と語っています。死の「そのあと」があるというのです。私たちは、自らの死を意識する時に、死の後にある“新しい生=永遠のいのち”にも希望を持ちたいものです。なぜなら、「(死という)終着駅」は「(永遠のいのちという)始発駅」にもなるからです。

メメント・モリ

イエス・キリストは復活の主であり命の主

「復活」を意味するギリシア語“アナスタシス”。そこには元来、「立ち上がる」という意味がある。死を打ち破って、復活したイエス・キリストは、キリストを信じる私たちを、死からのみならず、悲しみや挫折のどん底からも、もう一度、立ち上がらせて下さるのだ。

「イエスは言われた。『わたしは復活であり命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。』」 ヨハネによる福音書11章25節  聖書協会                

ところで、新約聖書の原語ギリシア語で「復活」のことを“アナスタシス”と言います。大雑把に申しますと、“アナ”は「上に」(up)で、“スタシス”は「立つ」(stand)。つまり、アナスタシスは「立ち上がる」、スタンド・アップ(Stand up)。復活の主イエス・キリストは、倒れてしまっている私たちを、再び、スタンド・アップ(Stand up)、立ち上がらせて下さるのです。

ちなみに、あの放蕩息子は「ここをたち、父のところに行」こうと言って、実際にそれを行動に表わします。「そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った」とある通りです。実は、ここで「たつ」と訳出されている表現の背後にある「立ち上がる」という言葉に、「復活」を意味する“アナスタシス”(の動詞形)が使われているのです。

もちろん、第一義的には、「復活」、“アナスタシス”とは、イエス・キリストが死を打ち破ってよみがえられたことを意味します。そして、また、キリストを信じるキリスト者も、やがて、そんな復活の祝福に同じように与(あずか)り、栄光の身体をいただくことを意味します。

 と同時に、この“アナスタシス”には、どん底にまで落ち込んでいた放蕩息子がもう一度、立ち上がらせられたように、私たちが、悲しみや挫折から再び立ち上がらせられる、霊的に新しくされる、という意味もあるのではないでしょうか?

名曲“ユー・レイズ・ミー・アップ(You Raise Me Up)”は本来、ラブソングだったものが、歌詞の内容により讃美歌としても歌われるようになったようです。シークレット・ガーデンが作曲し、後にケルティック・ウーマンが歌詞を付けました。日本では、トリノ・オリンピック金メダリストの荒川静香選手が、そのフィギュア・スケートのエキシビジョンで使用して一躍有名になりました。

キリストは復活の主

参照記事 クリスチャンが一生求めるべき宝キリストが与える愛と平和

最後に日本語で歌詞を紹介します。You Raise Me Up、「主よ、あなたが私を立ち上がらせて下さる」!

「心が沈んで、魂が疲れはてた時。悩みがあって、心に重荷を背負った時。私はここで静かに待っていよう。あなたが来て、そばに座ってくれるまで。・・・あなたがいれば立ち上がれる。高い山にも登っていける。あなたがいれば立ち上がれる。荒れ狂う海も歩いていける。私は強くなれる。あなたを信じ、支えられて。あなたがいれば立ち上がれる、本当の私より強く。」

 死を打ち破って、復活したキリストは今、あなたを、私を、その死からのみならず、その悲しみのどん底、挫折の低みから、もう一度、立ち上がらせて下さるのです。読んで下さいましたあなたに、神からの平安が豊かにありますように。皆さんに神様の平安がありますように。・・・シャローム!

御茶の水キリストの教会 野口 良哉

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