コンテンツへスキップ 投稿日:2022年11月26日/更新日:2025年3月8日

嘘はついてもいいのか

嘘はついてもいいのか

「嘘はついてもいいのか」と聞かれたら何と答えるでしょうか。時と場合によりけりでしょうか。この記事では、嘘や偽りを言っても良いかという疑問について考えてみます。

新潟県警の本部長の場合は?

数年前に、新潟県警の本部長が、賭けマージャンをやっていたことが発覚して辞任を申し出ました。あまりに多くの事件がありすぎて、もう記憶には残っていないかもしれません。私は数日後、JR中央線上り東京行きに乗っていました。非常に品の良い3人の女性が、私の前に座って、何やら新潟県警の事件について話していたのです。耳が遠いのか理由はわかりませんが、大声で話していました。次のような会話が耳に入ってきました。

女性A:あの本部長、良く正直に言ったわね。言う必要なかったんじゃない。
女性B:そーよね。でも賭けマージャンやってたんでしょう。どうしようもないわね。
女性C:私も嘘言い尽くせば良いじゃないって思ったの。でもさ、嘘で固めて、もし見つかったらもっと大変じゃない。だから、あーやって告白するしかなかったんじゃないかしら。

嘘も方便、世の中の価値観

この会話を聞いた後、世の中のある価値観について考えさせられました。それは「嘘も方便」という価値観です。これは、嘘も時によって必要であるし、許されるものであるという意味だと思われます。仏教思想から由来している言葉です。

私たちは、嘘も方便の世の中で生きていますが、一歩間違えば、嘘や偽りが人の人生そのものを狂わしてしまいます。嘘と偽りで自分の名声を自ら壊してしまった有名人たちは、数え切れません。

嘘の方便の名のもとに嘘偽りが言われますが、結局、自分の都合によって言葉をより分けているに過ぎません。そんなご都合主義を励行している人と、深いお友達になりたいでしょうか。自分の利益にならなければ、簡単に人を裏切っても平気な人を誰も信頼はできないのではないでしょうか。

正直が一番の原則

この罪深い世の中で健全に生きるには、自分の良心に従って、正直に生きるのが最善の道です。愛によって真実を語るのは、聖書が教える大切な原則です。

互いにうそをついてはなりません。古い人をその行いと共に脱ぎ捨て、造り主の姿に倣う新しい人を身に着け、日々新たにされて、真の知識に達するのです。…あなたがたは神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されているのですから、憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたも同じようにしなさい。

コロサイ3章9節、12‐13節 聖書協会

本来の人間は、信頼関係に基づいて成り立っています。主イエス・キリストは、私たちの人間関係を修復してくださいました。嘘偽りなど必要ない人間関係です。

人を騙すことが横行されている世の中に嫌気がさしているのであれば、聖書を読んでみることをお薦めします。もしあなたが何か永遠の真実を求めているのなら、主イエス・キリストがあなたの希望をかなえてくださいます。もしあなたが生きる意味を求めているのなら、主イエス・キリストが満たしてくださいます。なぜなら、主イエス・キリストは、生きる道を教え、正しく生きるための真理を与え、何のために生きているかを知るための命の意味を教えて下さいます。