聖書をまったく読んだ事がない方のために、新約聖書の内容、それぞれの書の内容を説明します。聖書は旧約聖書(39巻)と新約聖書(27巻)に分かれています。 旧約聖書の内容もお読みください。
新約聖書の概要(27巻)
非常にシンプルにいえば、新約聖書は神の新しい契約の書です。新しい契約はイエス・キリストによってなされた契約です。
新約聖書は3つの種類の書物に分けられます。もし聖書をお持ちの方は、新約聖書の目次を見てください。マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの福音書と呼ばれる書は、イエス・キリストの生涯をそれぞれの著者が違った観点から書いた書です。次に使徒行伝の働きという書は、初期教会(1世紀における教会)の発展の記録が記されている歴史書です。
残りの書(ローマ人への手紙、コリント人への手紙第一、第二、ガラテヤ人への手紙、エペソ人への手紙、ピリピ人への手紙、コロサイ人への手紙、テサロニケ人への手紙第一、第二、テモテへの手紙第一、第二、テトスへの手紙、ピレモンへの手紙、ヘブル人への手紙、ヤコブの手紙、ペトロの手紙第一、第二、ヨハネの手紙第一、第二、第三、ユダの手紙、黙示録)は、すべてイエスの弟子たちが諸教会に送った手紙です。
旧約聖書の最後の書であるマラキ書かれた後とイエス・キリストが降誕した時まで、約400年の間、神のことばを語るものはいませんでした。この間にユダヤ人たちは、神のみことばである聖書を取り違えて、彼ら独自の解釈と伝統を作っていきました。そしてユダヤ教という宗教が生まれたのです。このような時にイエス・キリストは神のみことばを語りました。
新約聖書のそれぞれの書の具体的な内容
- 福音書(マタイ、マルコ、ルカは共観福音書と呼ばれます。3福音書には所々違いがありますが、共通した部分が多くみられますので、専門的な聖書の学びの分類では共観福音書と呼ばれています。)
- マタイーこの福音書の読者は、ユダヤ人であったと考えられています。そのためイエス・キリストが、イスラエルの正当なメシアといことが、最初に1章の系図によって示され、旧約聖書の預言によっての成就として繰り返し強調されています。イエス・キリストが語る天の御国での倫理的な教えが、総括的に言い表されています。
- マルコー4つの福音書の中で一番短いです。イエス・キリストの倫理的な教えよりも行いに強調点が置かれています。ローマ人たちに向けて書かれたと考えられています。
- ルカーこの福音書(前編)と使徒の働き(後編)は2つで1セットとして考えられます。ルカが両方の著者であり、同じ人(テオフィロ)に宛てて書かれています。この福音書の特徴は、イエス・キリストの神性と共に人性にあります。他の福音書と比較して、女性の働きに焦点が当てられています。またいくつかのたとえ話は、ルカの福音書だけにあるユニークなものです。
- ヨハネーヨハネの福音書の強調点はイエス・キリストの神性です。その中で、キリストが、父なる神と一体の神であることが強調されています。またもう一つ大きなテーマは信仰です。
- 教会の成長を記録した書
- 使徒の働きー 聖霊によって導かれた使徒たちの働きを通して、1世紀の初期教会が成長した記録が記されています。使徒の働きの前半部分(1-12章)は、エルサレムの教会に拠点をおいたペテロとその他の使徒たちの働きに焦点が当てられています。ユダヤ人への宣教、サマリヤ人への宣教、ユダヤ人ではない異邦人への宣教が記録されています。一方、後半部分(13章~28章)は、現在のトルコからギリシャまで、パウロが3回にわたって宣教旅行した記録が書かれています。パウロは、その先々の地方都市で異邦人に福音を宣べ伝えました。
- 諸教会に宛てた手紙
- ローマーパウロがローマの手紙を書いた時、ローマ教会はユダヤ人クリスチャンの教会から異邦人教会に移行する過渡期にありました。ローマ教会の人々は、キリストの福音の成就の後、律法がどんな位置づけにあるのか、疑問に思っていたのです。そのような時、パウロはローマ教会の状況を知り、このローマの手紙を書き、キリストの福音の真理を解き明かしました。
- 1コリントーコリントの教会のクリスチャンは、かつて偶像礼拝していた異邦人でした。またギリシャ哲学に諸派があるように、キリストにも諸派があって当然だと考えていたのです。ですから、コリントの教会には必然的に分派分裂が教会内で生まれていました。パウロはこの手紙の中で、主イエス・キリストの十字架のメッセージには、分派分裂など存在しないと主張しています。またコリント教会が直面していた異邦人特有の問題解決のために、三位一体の神(父・子・聖霊)の観点から的確な戒めを書いています。
- 2コリントーこの手紙が書かれた当時のコリントの教会の人々は、パウロの使徒としての権威に疑いを持っていました。パウロは、それに対して毅然とした態度で、自分の使徒としての権威を弁明しています。2コリント2-5章には、新しい契約の重要な特徴が書かれています。
- ガラテヤー1世紀の諸教会の中には、律法を守るように主張したユダヤ教回帰のユダヤ人クリスチャンたちがいました。ガラテヤ教会の人々は、この間違った教えに影響を受け、ユダヤ教回帰をしようとしていました。この状況下で、パウロはガラテヤの手紙を書きました。この手紙では、律法ではなく信仰と恵みによる救い「真の福音」が説明されています。
- エペソー4つの獄中書簡(エペソ、ピリピ、コロサイ、ピレモン)の一つです。エペソの教会に宛てられたパウロの手紙です。しかし、その内容はエペソの教会の特殊な状況を反映しているものではなく、むしろクリスチャンであれば誰もが読むべき一般的な内容になっています。1-3章は、神のイエス・キリストによる永遠の計画について説明され、後半部分の4-6章は、クリスチャンがどのように生きるべきかが書かれています。
- ピリピー4つの獄中書簡(エペソ、ピリピ、コロサイ、ピレモン)の一つです。ピリピの教会に宛てられたパウロの手紙です。偽教師について警戒するように、励ましと警告が書かれています。どんな苦難の中にあっても、イエス・キリストによって喜びなさいとパウロは励ましています。
- コロサイー4つの獄中書簡(エペソ、ピリピ、コロサイ、ピレモン)の一つです。1世紀の様々な哲学に影響された人たちは、キリストの福音を捻じ曲げて偽教師になっていました。そのような偽のキリスト教に対して、パウロは神であるイエス・キリストの権威と支配を強調しています。
- 1テサロニケーテサロニケ教会は、パウロが宣教し建て上げた教会の中でも密接な関係をもっていた教会の一つでした。手紙の前半は、パウロの働きが説明されています。主イエス・キリストの再臨は、この手紙のもっとも重要なテーマです。5章のすべての箇所で言及されています。主イエス・キリストの再臨は、クリスチャンを信仰深く生きるように励まします。
- 2テサロニケー1テサロニケ同様に、2テサロニケも主の再臨が重要なテーマです。キリスト者は、主の再臨が来る時まで、信仰深く忍耐強く主の再臨を待ち、主にあって善を行うよう励みなさいと書かれています。
- 1テモテー3つの牧会書簡(1テモテ、2テモテ、テトス)の一つです。テモテは、ユダヤ人の母とギリシャ人の父をもっていました。ユダヤ人宣教を行うために、割礼を受けました(使徒16章)。パウロは、テモテにエペソ教会の牧会をするように命じてマケドニアに行きました。その後、パウロはこの手紙を書きました。手紙の内容は、長老と執事を任命し偽教師に毅然と対処するよう励ましが書かれています。
- 2テモテー3つの牧会書簡(1テモテ、2テモテ、テトス)の一つです。パウロの霊的な子であるテモテへ、パウロが書いた遺言のような手紙。宣教師として召されたテモテが、御心に従って時が良くても悪くても、神の福音のメッセージを宣べ伝えるように励ましています。
- テトスー3つの牧会書簡(1テモテ、2テモテ、テトス)の一つです。パウロの霊的な子であるテトスへ送られた手紙。パウロは、テトスをクレタ島に残し諸教会に長老を選任するように命じています。宣教師として、健全な教えと善行を勧めています。
- ピレモンー4つの獄中書簡(エペソ、ピリピ、コロサイ、ピレモン)の一つです。ピレモンはコロサイ教会のクリスチャン。手紙の内容によれば、オネシモはピレモンの奴隷であった時に、ピレモンのお金を盗んで逃げ出しました。その後、ピレモンは、獄中にいたパウロと出会いクリスチャンになりました。パウロは、ピレモンを主キリストにある兄弟として受け入れるようにオネシモにこの手紙を書き、ピレモンに手紙を持たせ主人オネシモのもとに返しました。
- ヘブルー最後の預言者であり大祭司イエス・キリストによる新しい契約が全体のテーマ。ローマの手紙の主なテーマが、イエス・キリストへの信仰であると同様に、へブルの手紙もお同じテーマで書かれています。しかし、へブルの手紙は、ローマの手紙とはまったく違った切り口で信仰を捉えています。ローマの手紙と同様に、へブルの手紙は新約聖書の中で特に重要な書だと思います。
- ヤコブー著者は主イエス・キリストの血肉の兄弟であるヤコブ。ユダヤ人クリスチャンに宛てられて書かれたと思います(1章1節)。ヤコブの手紙には、マタイ5-7章で書かれている山上の説教の内容と類似点があります。クリスチャンの箴言の様に書かれ、倫理的な教えと動機が問われています。
- 1ペテロー1世紀の小アジア(今のトルコ)の諸教会に宛てられた手紙。クリスチャンに対する迫害が起きていた時に、ペテロは迫害に対して善で打ち勝つように励ましました。ペテロがローマ(バビロンの名が象徴的に使われている)にいた時に書いたと思います。
- 2ペテロー著者は使徒ペテロ。偽教師についての警告が書かれています。この手紙の中で、クリスチャンが注目すべき非常に重要なメッセージがあります。それは主の再臨が必ず来ることの再確認と主の再臨がなぜまだ来ないかの説明されていることです(3章1-13節)。
- 1ヨハネーヨハネの福音を書いたヨハネが書いたと考えられています。主イエス・キリストが人ととして生きたこと、神の命の言葉であるイエス・キリストの権威がが強調されています。同時に、主イエス様の十字架に示された愛によって、お互いに愛すように励ましの言葉を書かれています。
- 2ヨハネー長老ヨハネからのある婦人への手紙。主イエス・キリストの名によって語る偽教師が現れ人々を惑わしていると警告を与えています。
- 3ヨハネー長老であるヨハネからガイオに書かれた手紙。善を励み旅人をもてなす重要性が書かれています。しかし、ディオトレフェスは教会のリーダーになりたがっていましたが、善を行っていないと言及しています。
- ユダー著者は、主イエス・キリストの肉親であり兄弟であるユダだと考えられています。キリストの福音を捨てた偽教師に注意するように警告が書かれています。同時に、主イエス・キリストに留まり聖霊の導きの下で祈るように励ましています。
- 黙示文学
- 黙示録ーーーーローマ帝国の偶像礼拝支配の中でも、 イエス・キリストによってクリスチャンが勝利 するという保証。またキリストの再臨と神の裁きをも啓示しています。多くの象徴的表現があり、正しく解釈するのは至難の業ですが、すべてのクリスチャンにとって重要なメッセージが書かれています。

新約聖書の教え
- イエス・キリストは、三位一体の神であり、父なる神様と一体関係にあります。
- 天にいらした方、ことばである方が、天から降りてきて人となり、イエス・キリストとしてこの地上で生きました。
- 主イエス様は「神の国は近づいた」と宣言して福音を始めました。神の国は何かをたとえ話によって説明し、また神の国に生きる人がどのように生きるべきかを教えています。
- イエス・キリストの十字架の死。福音書は、キリストの十字架の死を歴史上の他の出来事と照らし合わせて詳細に記録しています。
- イエス・キリストの死からの復活。キリストの死と復活は、キリストの福音の要です。キリストの死からの復活は、人間に死をもたらした悪魔に勝利した証明です。福音書には、キリストが死から復活した様子が詳細に書かれています。
- イエス・キリストは、天地万物の権威を父なる神様からいただき、天においてすべてを支配されています。
- イエス・キリストによって成就された新しい契約。旧い契約とはまったく違う新しい契約の特徴は、(1)主イエス・キリストが律法であり、最後の預言者、大祭司であること、(2)信じて悔い改めバプテスマを受けた人は、罪が赦されていること、(3)聖霊の賜物が与えられていることです。
- 神を信じイエス・キリストを信じる信仰をもつ人は、悔い改め、バプテスマを受ける。
- イエス・キリストを信じる人は、神様の恵みによって(キリストの十字架の死によって)信仰を通して、罪が赦されています。人が善を行ったからではなく、人は信仰と神様の恵みによって救われているのです。
- イエス・キリストを信じる人には、神様の聖霊が与えられると約束されています。
- イエス・キリストは再臨する。イエス・キリストは、天から降臨されました。この方は十字架にかけられ死に、そして3か目に復活しました。今すべてを支配している主イエス・キリストは、神様がすべてを裁くときに再臨されます。
- 神様は、天地万物をすべてを神の裁きます。その裁きのその日、その時は、父なる神様以外知りません。子である主イエス様さえ知らないと告白しておられます。
- 現在の天地万物はなくなり、神様は新しい天と地が創造されると約束されています。
新約聖書に示された新しい契約の特徴
新約聖書の教えと重複する箇所がありますが、新しい契約の特徴を下にまとめてみます。
- 旧い契約は、イスラエルの民という特定の民族と結ばれたのに対して、新しい契約では民族・性別、国を問わず、すべての人間が主イエス・キリストを信じるように招かれています。
- 旧い契約では、事細かく生活のすべてに関係する律法が、イスラエルの民に与えられました。しかし、新しい契約では、主イエス・キリストがその旧い律法を終わらせ、ご自身が信じる人の律法になりました。新しい契約下では、信仰者に律法の実践の仕方を任せています。例えば、神を愛することと隣人愛は、もっとも大切な戒めですが、どのように愛すのかは一人一人のクリスチャンが判断するように任されているのです。
- 旧い契約下では、人は罪が犯すたびいけにえを捧げる必要がありましたが、新しい契約下では、主イエス・キリストがたった一度、人間のすべての罪のためにいけにえとして死んだので、クリスチャンは、物理的ないけにえをささげません。むしろ、クリスチャンとして生きる生き方が、神様へのいけにえとなっているのです。
- 旧い契約下では、特定の人だけに聖霊が注がれ、神様の特別な力を受けました。しかし、新しい契約下では、イエス・キリストを信じる者、すべての人に聖霊の賜物が注がれているのです。