神様の裁きの基準は何でしょうか。神様は人を裁かず、最後の裁きのときまで待っています。人の悔い改めを待っておられます。特に、神様の裁きはフェアーであり、公平であることに注目してみましょう。ローマ2章6—16節を読んでみます。
神はおのおのの行いに従ってお報いになります。 すなわち、忍耐強く善を行い、栄光と誉れと不滅のものを求める者には、永遠の命をお与えになり、 反抗心にかられ、真理ではなく不義に従う者には、怒りと憤りをお示しになります。すべて悪を行う者には、ユダヤ人はもとよりギリシア人にも、苦しみと悩みが下り、すべて善を行う者には、ユダヤ人はもとよりギリシア人にも、栄光と誉れと平和が与えられます。神は人を分け隔てなさいません。律法を知らないで罪を犯した者は皆、この律法と関係なく滅び、また、律法の下にあって罪を犯した者は皆、律法によって裁かれます。律法を聞く者が神の前で正しいのではなく、これを実行する者が、義とされるからです。たとえ律法を持たない異邦人も、律法の命じるところを自然に行えば、律法を持たなくとも、自分自身が律法なのです。こういう人々は、律法の要求する事柄がその心に記されていることを示しています。彼らの良心もこれを証ししており、また心の思いも、互いに責めたり弁明し合って、同じことを示しています。そのことは、神が、わたしの福音の告げるとおり、人々の隠れた事柄をキリスト・イエスを通して裁かれる日に、明らかになるでしょう。
ローマ2章6—16節 聖書協会
この聖句は、少し難しく聞こえるかもしれません。しかし、その背景を知れば理解できます。ユダヤ人とギリシャ人という表現は、1世紀の世界観を表しています。ギリシャ人は異邦人の代表です。1世紀のローマ帝国では、大きく分けてすべての人種を2種類に分けていたのです。それはユダ人とギリシャ人です。この表現で、すべての人間、全人類を指しています。

この聖句を2つの個所、2章6-11節、12―16節に分けて考えてみます。
原則1 神様は人を分け隔てしない
天の神様は人を分け隔てすることはありません。一方、私たち人間は、人の生まれや学歴によって、人をより分けたりします。その生まれ学歴で、人にレッテルをはったりします。つまり、先週も話しましたが、人を裁いてしまいます。
しかし、天の神様は、善を行う人、神様の御国と義を求める人、人を自分のように愛する人には、神様の恵みを与えます。十分すぎるほど、恵みと憐れみが、そのような人には注がれます。
ところが、悪を行う人、神様の真理を捨てて自分勝手に生きる人には、神様の怒りと裁きが下されるのです。そこに神様は分け隔てはしません。人種も国籍も、学歴も社会的な地位も関係ありません。すべての人間に公平な裁きを与えます。
ところが、私たち人間は、人を分け隔てするのです。人によって態度を変えてしまう罪深い人間なのです。ヤコブ2章1‐4節を読んでみましょう。
私たち人間は人を見て話し方を変えたりします。態度も変えたりします。はっきり目に見える形で、そのような行動はとらなくても、私たちが心にそのような気持ちをもっていたらどうでしょうか。そのようなクリスチャンは、本当のキリスト者といえるでしょうか。
私たちが信じる神様は、私たち人間のようではありません。100%人を分け隔てすることはないのです。私たちは、分け隔てしない神様の恵みに与ることも出来ます。逆に、私たちが人を分け隔てしたら、神様の裁きを受けなければならないのです。
神様の恵みと裁きは、公平にすべての人に与えられます。この基準に生まれや学歴、社会的な地位は関係ありません。
たとえば、教会で尊敬されている人でも、それは人間の基準に過ぎないかもしれません。社会的に地位が高い教会の指導者と一般のキリスト者に、神様の御前では違いはありません。
神様は、私たちの行いを見ている、私たちの信仰を見ている、私たちの心を見ているのです。人間が人を測るような、社会的な地位ではありません。
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原則2 それぞれの置かれた立場で、神様は人間を裁く
もう一歩突っ込んで考えてみます。神様の裁きの基準が、もう一つあります。2章6—11節では、神様は人を分け隔てなく、人を祝福し、または裁くという原則をお話しました。では、ローマ2章‐12‐16節はどうでしょうか。この箇所も神様の裁きの原則を説明しています。神様は、それぞれの置かれた立場に応じて人間を裁くのです。
律法を受けたユダヤ人と律法を受けていない異邦人は、どのように裁かれるのでしょうか。律法を受けたユダヤ人は、特別扱いされるのでしょうか。律法を受けなかった異邦人たちは、自動的に地獄に行くのでしょうか。そんなことはありません。
神様は、それぞれの置かれた立場に応じて、人間を裁くと言いましたが、その例として旧約聖書の預言書アモス1章—2章を読んでみましょう。長いので、全部は読みません。アモス1章—2章の見出しを見てください。1章では、イスラエルの近隣諸国が裁かれています。
1章3節はダマスコ、6節はガザ、9節はティルス、11節はエドム、13節はアンモン。さらに2章を読んでみます。2章1節ではモアブ。これらの人々は、神様の律法は与えられませんでした。今度は、律法が与えられたイスラエル、ユダが裁かれます。2章4節ではユダが裁かれています。6節ではイスラエルが裁かれています。ユダもイスラエルも、神様の律法を受けた者として、裁かれたのです。そこに特別扱いはありません。
このように、神様は人間を分け隔てすることなく、その立場に置かれた状況によって、公平に人間を裁くのです。この原則を主イエス様の教えから紐解いてみましょう。
主は言われた。「主人が召し使いたちの上に立てて、時間どおりに食べ物を分配させることにした忠実で賢い管理人は、いったいだれであろうか。主人が帰って来たとき、言われたとおりにしているのを見られる僕は幸いである。確かに言っておくが、主人は彼に全財産を管理させるにちがいない。しかし、もしその僕が、主人の帰りは遅れると思い、下男や女中を殴ったり、食べたり飲んだり、酔うようなことになるならば、その僕の主人は予想しない日、思いがけない時に帰って来て、彼を厳しく罰し、不忠実な者たちと同じ目に遭わせる。主人の思いを知りながら何も準備せず、あるいは主人の思いどおりにしなかった僕は、ひどく鞭打たれる。しかし、知らずにいて鞭打たれるようなことをした者は、打たれても少しで済む。すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、更に多く要求される。」ルカの福音書12章42-48節 聖書協会
主イエス様の福音を聞いてクリスチャンになった方とまったく福音を聞いたことがなかった人が、天の御国で神様のみまえに立つ時、どのようにこの2人は裁かれるのでしょうか。同じ尺度で裁かれるのでしょうか。クリスチャンには、主イエス様から受けている恵みゆえに、多く期待されます。従順さが求められているのです。
しかし、まったく福音を知らなかった人は、その恵みさえも受けていません。だから、裁かれるにしても、その基準はクリスチャンの基準より低いのです。この主イエス様のたとえ話からも、神様の裁きが公平でフェアーであることが理解できると思います。

原則3 最後の裁きは、主イエス様によって行われる
最後の裁きは、主イエス様によって行われます。すべての人間が裁かれる時です。すべての人間が、神様の御前にひれ伏す時です。主イエス様を信じなかった人も、信じた人も、世界中から集められます。すべての国、すべての民族から集められます。
その時、人間の隠れた事柄が、すべて明らかにされるのです。私たちが心の奥底に秘密にしておいたことも、すべてが神様の御前で明らかにされます。
そのことは、神が、わたしの福音の告げるとおり、人々の隠れた事柄をキリスト・イエスを通して裁かれる日に、明らかになるでしょう。ローマの手紙2章16節 聖書協会
例外なく、神様は私たち人間を分け隔てなく、裁くのです。その裁きの日に、主イエス様への信仰によって、神様の御前でひれ伏すことができますように、日々精進しましょう。
ローマの手紙
聖書の真理:神の裁きの公平さを解き明かす
