クリスチャンには罪と戦う使命があります。罪に勝利するといっても、実践のハードルはかなり高いのです。なぜなら、クリスチャンは罪は赦されていても罪びとだからです。使徒パウロは、自分を例にたとえて、罪との戦うがどんなものであるかを説明しています。最終的に、どんな敬虔なクリスチャンであっても、神様の恵みなしには生きていくことは出来ません。
芸術家の岡本太郎さんは、「人生は爆発だ」と表現しました。またオーストリアの画家、グスタフ・クリムトは「人生は戦いなり」という絵画をかいています。聖書は、人生には霊的な戦いがあると教えています。ではキリスト者の戦いとは何でしょうか。
キリスト者の戦い
キリスト者の戦いは、人がクリスチャンになった時から始まっています。ローマ7章18-25節を読んでみましょう。
この聖句で、肉は罪の欲求を象徴しています。そして肉の欲求は、神の律法に反している思いです。私たちは、この肉の欲求と神の律法の狭間に生きています。私たちは、聖書を読み神の律法を知るようになり、自分自身の罪深さを知ったのです。しかし、神の律法に従う思いは持っていても、心底、神に従っていません。そんな自分を見て情けなく思える時があります。これが正に、キリスト者の霊的な戦いなのです。
勝利するために神の恵みにすがるしかない
正しい事を知っていても出来ていない私たちには、確かに霊的な戦いがあります。この戦いに勝利するためには、神の恵みにすがるしかありません。自分の思いを支配している罪が、自分自身に宿っているのです。敵は自分自身です。空手家の角田信朗は、「敵は己の中にあり。自分と向き合うことから逃げない」と証言しています。
キリスト者が自己吟味する時、これが目に見えない霊的な戦いであることに気づかされます。実は、本当の敵は別にいるのです。
別に本当の敵がいると言いましたが、その敵は私たちを惑わす敵です。キリスト者同士が論争しているのを見たことはありますか。これらの人々は、なぜ戦っているのか、敵が誰なのか、分かっていません。エペソ6章10-18節を読んでみましょう。
この聖句は、私たちの本当の敵は誰なのかを明確にしています。目に見えない敵は悪魔です。暗闇の世界を支配している力、つまり悪魔でありサタンです。この聖句は、私たちがこの戦いに勝利するために必要な霊的な武具を説明しています。この聖句の解説は、エペソ6章10節 悪魔との霊的な戦いにあります。参考にしてください。
神の防具を身に着けて、戦う人は常に次に挙げる原点に戻る必要があります。
自分の罪深さを知り、神の恵みにすがる人の勝利
私たちは、混迷の世の中で生きています。疑いなく、この世の中は、悪魔の力によって脅かされています。どこか歯車が狂っているのです。この世の中が狂えば狂うほど、私たちは、神の恵みを必要としており、主イエス様の教えに頼り、聖霊の力を必要としているのです。つまり、悪魔の力が大きれば大きいほど、神様の恵みにすがるしかないのです。
なぜなら、この罪深い世の中で、私たちは自分自身の罪深さを知るからです。ローマ7章で書かれているように、自分ではどうすることも出来ない罪の力が、自分自身の内に働いているからです。 日々、神の恵みにすがり、祈り、様を礼拝し感謝して過ごしましょう。
