ヨハネの黙示録は字義どおりに解釈すべきでしょうか。それとも象徴的に解釈すべきでしょうか。字義どおりに解釈しなければ、要が外れた扇子のようになると主張している方もいらっしゃいます。聖書解釈の歴史上、この書は様々な方法で解釈されてきました。主に4つの解釈方法があります。(1)黙示録の預言は、すでに成就されたと主張する預言成就的アプローチ、(2)この世の善悪の霊的な戦いを象徴的に啓示している象徴的アプローチ、(3)未来に起こる終末を啓示している未来終末的アプローチ、(4) 人類の歴史を啓示していると主張する歴史的アプローチがあります。しかし、これらのアプローチを補完的に組み合わせた解釈も、学者たちによって提案されています。神の御心は何でしょうか。
18世紀終わりから19世紀にかけて、第三のアプローチが広がってきました。現在、この解釈方法が多くの人に支持されています。同時に、牧師・先生の中には、黙示録はシンプルな書であり現代人が複雑にしていると説いている人もいます。しかし、この書はとても複雑です。多くの要素が入り混じっています。たとえば、1世紀の文化的背景、歴史的背景、黙示文学の背景、預言の性質を考慮に入れなければなりません。
黙示録を的確に解釈するために、必要な原則とは何でしょうか。上記に示した最初の3つのアプローチ、(1)預言成就的解釈、(2)象徴的解釈、(3)未来・終末的解釈を組み合わせるべきだと私は思います。ここで7つの原則を紹介いたします。

解釈原則その1
未来・終末的アプローチは、黙示録4-22章が終末に起きる預言であると考えているので、終末論だけに焦点を当てて解釈します。その結果、2-3章で書かれた7つの教会への手紙とは、切り離されて解釈されます。しかし、私は黙示録全体を包括的に読むべきだと考えています。
第一の原則として、「黙示録は、全体を包括的に読み、全体の文脈で読むべきである」ことを提案します。
解釈原則その2
一方、預言成就的アプローチにも、無視できない解釈上の欠点があります。それは、明らかに主イエス・キリストの再臨を啓示している聖句と終末時期に起きる預言を、このアプローチは重視していません。このアプローチは、黙示録に示された預言はすでに成就したと解釈しますが、そのメッセージは現代にも適用できると主張しています。
第二の原則として、「ヨハネの黙示録は、明らかに主イエス・キリストの再臨と最後の審判を含んでいる」ことを提案します。この原則は、未来終末的アプローチの原則でもあります。
解釈原則その3
未来・終末預言的アプローチの解釈のモットーは、字義通りに黙示録を読んで解釈することですが、このアプローチは黙示文学の特徴を考慮に入れていないように思います。1世紀の黙示文学の特徴として、象徴的に人物や自然現象や数字を使うことで知られています。
第三の原則として、「黙示録は、多くの部分において象徴的に読む必要がある」ことを提案します。
千年王国 未来終末的アプローチ

解釈原則その4
未来・終末的アプローチでは、終末にだけ焦点を当てるので、結果的に1世紀の歴史的文化的背景は無視されます。しかし、ヨハネの黙示録は、特殊な1世紀の文化的、歴史的背景のもとで書かれたことを忘れてはいけません。その歴史的文化的な文脈を無視しては、正確にこの書を理解することは不可能だと思います。特に、1世紀の7つの教会が置かれていた立場、歴史的、文化的背景を知ることは、黙示録を解釈するうえで必要不可欠です。
第四の原則として、「1世紀の文化的、歴史史的背景を考慮にいれて解釈する」を提案します。この原則は、預言成就的アプローチの原則でもあります。
解釈原則その5
黙示録の読者は、自分が生きている時代の出来事や体験を通して、黙示録を読みがちです。その時代を反映した偏った読み方になってしまいます。たとえば、ヨーロッパ中世において疫病が流行りました。またローマ・カトリック教会が霊的に荒廃した時期がありました。それらを経験した当時の一部のクリスチャンは、堕落したカトリック教会を黙示録が示している獣と解釈したのです。1948年にイスラエルが国として存在するようになりましたが、この事実も黙示録の解釈に大きな影響を与えたと思われます。
カルト的キリスト教であるエホバの証人は、キリストの再臨を数回予言しました。英語の本ですが、「The Late Great Planet Earth」の著者であるHal Lindseyは、携挙が1988年に起きると考えていました。これらのキリスト教の歴史が示すように、自分が生きている時代のレンズを通して黙示録を読むのは、みことばを曲解して解釈するもとになります。
第五の原則として、「黙示録の預言の成就を、時代の出来事に合わせて考えない」を提案します。
解釈原則その6
新約聖書の著者たちが、主イエス様の再臨はいつでも起こりえると考えていました。数千年も後に起きるとは考えていませんでした。もうすでに書きましたが、キリストの再臨がいつ起こるのかを予想するのは愚の骨頂です。なぜなら、父なる神様以外、誰もその日その時は知らないからです。
第六の原則として、「主イエス・キリストの再臨はいつでも起こりえる」ことを提案いたします。
解釈原則その7
黙示録は預言の書です。読者は、聖書の預言の性質について理解する必要があります。預言書を書いた人たちは、預言がいつ成就するのか知っていたのでしょうか。知りませんでした。成就の時期は、神の御心のみに存在します。目覚まし時計のように、決められた時に起きるように設定されているのでしょうか。私は違うと思います。
第七の原則として、「預言は状況によって成就の時期が変わり、神の御心に適った条件が満たされて成就する」ことを提案します。
以上、黙示録を的確に理解するために必要な解釈の原則を7つを紹介しました。この書の解釈は千差万別です。読者の皆様も違った解釈をお持ちかもしれません。ご意見などありましたら、コメント欄にお願いします。
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