コンテンツへスキップ 投稿日:2025年12月28日/更新日:2025年12月28日
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記憶喪失にならないために-アブラハムからキリスト

アブラハム

アブラハムからキリストまでの歴史を考えます。自分が記憶喪失になってしまった、と想像してみてください。自分がどこから来て、何のためにここにいるのか、またこれからどこに行こうとしているのか、まったく分からないのです。家族の名前も友達も思え出せません。自分が誰だかも、知らない。名前もわからない。

記憶喪失にならないために

自分の過去を知らないだけで、どれほどのものが失われるのでしょうか。仮にすべてではなくても、多くの物を失います。クリスチャンは、なおさら自分がどこから来て、どこにいるのか、またどこへ行こうとしているのかを認識しておく必要があるのではないではないでしょうか。

クリスチャンの過去の出来事で、一番最初に思い出すべきものは何でしょうか。それは私たちが主イエスに出会い、主イエスによって人生を変えられたことです。さらに考えますと、主イエスはどこから来たのでしょうか。主イエス・キリストは天から降りてきて、人と成られ、ユダヤ人として生まれました。

ユダヤ人はイスラエルの民であり、イスラエルの信仰の父はアブラハムでした。アブラハムは、もっとさかのぼれば、創世記1章のアダムまで行き着きます。このような理由で、横田教会では4回にわたり創世記に1-3章まで学んできました。今日は、アブラハムについて学んでみましょう。

アブラハム 

アブラハムの人生とイスラエル

アブラハムは、約4000年前に古代中東で生まれました。父親が亡くなった後、創造主なる神から啓示を受けました。その箇所、先ほど読んでいただいた創世記12章1-3節です。

アブラハムは、故郷を離れて行き先も分からず、主なる神様が示す土地へと旅経ちました。さらに、彼の子孫は、大いなる国民となり、神様が選ばれたイスラエルの民となったのです。このイスラエルの民は、エジプトで約400年間奴隷となって働き、その後、神様の力と技によって、エジプトから出るのです。

この時、イスラエルの民は、古代社会の中でどのように生きるべきかを教える神様の律法が与えられました。このイスラエルの民から、イエス・キリストが生まれたのです。

ここで皆さんに注目していただきたいのは、創世記12章3節です。地上のすべての民族は、アブラハムを通して祝福を受けると書かれています。これはどんな意味でしょうか。アブラハムの子孫であるイエス・キリストを通して、すべての国民が祝福を受けるのです。これがイエス・キリストの福音です。福音のメッセージは、すでにアブラハムに告げられていたのです。

横田キリストの教会にいる人たち

横田キリストの教会はいろいろな背景を持った人たちの集まりです。こここは日本ですので、もちろんは日本人がいます。アメリカ人もいます。ネパールの人、そしてペルーから来た人たちもいます。ちょっと前までは、中国上海から来た人もいたのです。今は、ご自分の父親のお世話で忙しく、また少し遠いので来れていません。

私たち人間には、国籍や文化の違いがあります。みんな生まれ育った環境も話す言葉が違います。しかし、とっても大切な共通点が1つあります。それは私たち一人一人が、神様によって創造されたことです。ここは日本だから、日本人が中心なんてことは、横田キリストの教会ではあり得ません。すべてのメンバーが、お互いのニーズを考えるべきです。

なぜでしょうか。神様には、国籍などありません。私たちが考えるIDである日本人かアメリカ人であるかは、関係ないからです。むしろ、私のIDは、日本人である前にクリスチャンなのです。すべての国民、つまり人種を問わず、民族を問わず、すべての人たちが、主イエス・キリストを信じることによって、祝福を受けると約束されているのです。

イエス・キリストの福音

主イエス・キリスト

だから、信仰によって生きる人々こそ、アブラハムの子であるとわきまえなさい。聖書は、神が異邦人を信仰によって義となさることを見越して、「あなたのゆえに異邦人は皆祝福される」という福音をアブラハムに予告しました。それで、信仰によって生きる人々は、信仰の人アブラハムと共に祝福されています。ガラテヤ3章7-9節 聖書協会

創世記12章3節はガラテヤ3章で引用されています。神様がアブラハムにいった言葉は、イエス・キリストを指していました。信仰によって生きる人が、アブラハムと共に祝福される書かれていますが、信仰とは誰を信じる信仰でしょうか。イエス・キリストを信じる、これがクリスチャンが救われる信仰です。ところで、イエス・キリストを信じるとはどんな意味でしょうか。信じると言っても、存在を信じるだけではありません。

存在を信じるだけであれば、悪魔でさえ神であるイエス様の存在を認めているのです。キリストを信じるとは、もっともっと包括的、心や態度や行動を含めた大きな意味で、キリストを信頼している意味です。

信仰とは?

ある人が、イエス・キリストを信じますと言いました。キリストは神の子であると告白し、また自分の罪のために十字架にかかったと信じていると告白しました。でもこの人は考えました。罪が赦されるというので信じたけど、イエス・キリストについて行くのはどうか?などと考えました。また自分自身の力を信じて生きていく方が安心すると考えたのです。そこで彼は、次のように言いました。「私はイエス・キリストを信じてます。罪が赦されると信じています。でも一つだけ、条件があるんです。今ここで、私の人生は祝福されると約束してほしいのです。欲しい仕事が手に入り、車も家も欲しいです。それが実現すれば、キリストを信じます。」

このような信仰は、主イエス様が私たちに求めている信仰ではありません。聖書的な信仰は、もっとも大切な教え「イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。」に裏付けされています。この戒めの愛を信じるに入れ替えて考えてみましょう。イエス・キリストを信じるために、私たち人生全てをかけているのではないでしょうか。

純粋な信仰とは?

信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神が存在しておられること、また、神は御自分を求める者たちに報いてくださる方であることを、信じていなければならないからです。へブル11章1、6節 聖書協会

このようにキリストを信じるとは、信頼関係に基づいています。神の存在を信じるだけではありません。神を心から慕い求める信仰、神を愛す信仰が、本当の信仰です。どんなことが自分の人生に起きても、どんな場合でどんな試練にあっても、主イエス様を信頼していく、これが本物の信仰ではないでしょうか。

ある男が崖から落ち、落ちる寸前でたまたま木につかまったのです。宙に浮いたまま恐怖に襲われた男は、天に向かって叫んだ。「上に誰かいますか。」 空から穏やかで力強い声が聞こえてきました。「はい、いますよ」。その男性は、良かったと思い嬉しそうに聞きました。「私を助けてくれますか?助けてくれませんか?」 穏やかな声は答えた。「はい、できます。ただその木から手を離せば、すべてうまくいきます」。緊張してしばらく沈黙の後、その男性はまた叫んだ。「上には他に誰かいますか」と聞いたのです。

主イエス・キリストを信頼して生きる

この話は本当にジョークですが、実際、私たちの人生では、信仰が試されることがあります。そんな時でも、主イエス様を信じて生きていきましょう。主イエス様は、今、あなたを招いています。わたしのもとに来なさい。わたしについて来なさい。あなたに、正しく生きるための力を与えよう。休みと平安を与えよう、と招いているのです。ですから、この方を素直に信じましょう。

記憶喪失にならないために アブラハムからキリストへ、創世記12章1-3節
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「記憶喪失にならないために-アブラハムからキリスト」への2件のフィードバック

  1. アブラハムに告げた約束をイエス様によって果たされた神様に感謝し、誉め讃えます。

    主は約束を必ず成し遂げる方であることを感謝し、信頼し、2026年も主に従っていきたく思います。

    ハレルヤ✨

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