フォーラムへの返信
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私たち、クリスチャンは生活のためにお給料をもらって仕事をするという事はもちろんありますが。
一方 世の中の人たちに イエス様の知っていただく勤めがあります。言葉での伝道だけではなく 弱さを抱えておられる方々に寄り添う事により イエス様を伝えていくことが出来るのが介護・医療です。ふつうのお仕事はそんなに深くつながる事は出来ませんから。寝たきりで何もできない方のお話ですが 私たちの経験ですが 終末期の方で意識があまりはっきりしていない方であっても 最後まで寄り添うよという気持ちは伝わっています。今もその経験をしているのですが 真剣に寄り添うという気持ちはどんな時にでも伝わっています。声をかけると一所懸命口を動かして何かを訴えてくださいます。病・終末は主の御計画ですので 私たちはどんなことがあっても寄り添い続けることが主からいただいた責務だと考えています。私たちのmentalのことですが 悩みながら 祈り・考えることも主に近ずく恵みだと考えています。どのような仕事であっても
私たちは業務を行うだけではなく(行為) その中での経験をイエス様と共に悩み・考え、成長する恵みがあります。damalis参加者皆さんは キリスト者が 社会の中でどのように仕える場所があるか
どう思われますか。damalis参加者皆さんは看護・介護の仕事とはどんなイメージですか。
damalis参加者そうですね。人間ですから 毎日接しているクライアントの皆さんに
感情移入しないように クールにふるまおうとすること自体 ストレスなんですよ。
人間は 感情移入する生き物ですから。
一概にはですが 往々にして 虐待をしてしまう家族・ケアラーは 悪い人と思われがちですが
実は 相手のことを真面目に見つめている方々が多いようです。親身になってうまくいかず
感情的になって・・・・。なんです。残念ですが・・・。
また 慢性的な人手不足も原因です。
私達クリスチャンは 精神と思いを尽くして主を愛し 互いに愛し合いなさいとのみ言葉があり
一般の方々からすると 少し感覚的に違うようです。何のためにこの働きをしているのかといった根本が
少し違いようです。適性があるのは事実です。それぞれの適性で携わり方を考えるのがよいと思います。
介護の仕事は 第一線だけではありません。自分に合った携わり方 見つけていただければよいと思います。
少なくとも 人手不足は解消されます。damalis参加者一般的に グリーフケア(悲哀をケアする)勉強会が
持たれていますが カリキュラムは 上智大学のデーゲン先生(神父)によるものですが
福音のエッセンスがかなりマイルドで。あまり効果が出ていないようです。看護・介護の現場では
福音が切実に必要です。damalis参加者介護士の養成講座では
作業だけではなく 寄り添い 心を大切にすることを教えますが。
本当の意味での 心に寄り添うは イエス様の愛を知る
私たちしかできません。
それに加えて 介護士さん 看護師さんは
福音を知らず 業務を行い 精神的に疲弊しています。
介護看護の現場で
クライアントだけではなく クリスチャンが活躍できる場です。
ある公共の病院で スタッフ(1000人)のうち 10%が燃え尽きなどの
精神面で休職しています。福音が急務です。damalis参加者一般のケアラーの方々は
ケア業務を主眼での働ですが
私達クリスチャンは 心を主眼の働きができます。
そしてを喜びと出来ます。damalis参加者水戸と土浦のちょうど中間です。
茨城空港の近く
筑波の学園都市迄 30分です。damalis参加者「言葉の宝物」
「背中に羽をつけてくれたら すぐにホームに帰りたい」
重い心臓病により 右足を切断しTさん。
危険な状態の中 「先生に背中に羽をつけてとお願いして 足をちょん切れたのなら
付けられない そうしたら すぐにイエス様がいるホームに帰りたい パタパタ飛んで」
先生にお話しすると 「どこで売ってるのか Amazon イオン?購入できたらつけてあげたいね」と
にこやかに ちなみに Tさんはクリスチャンではありません。ここにイエス様が。いやはや。damalis参加者私は 小美玉市で小さな高齢者の皆さんのケアホームをしているものです。
とかく 3k 5kと言われる介護現場。
いえいえ クリスチャンにとっては ベストマッチな分野です。
一般の方々よりも 周りの方々と深い関係性を求めるクリスチャン
宝物のような出会いがいっぱいです。毎日 イエス様の存在を感じられますよ。
皆さん 百聞は一見に如かず。キリスト教主義福祉施設にレッラゴー。
待っています。 - 投稿者投稿