フォーラムへの返信
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- 野々垣 正信キーマスター
アドバイスのつもりではないですが、、、、、。すみません。「なぜ信じているのか」と言う質問は、大浦さんにも返ってきますから。そうなると、議論になり論争になります。なぜという質問は、自分に焦点が当たります。「何を信じているか」はイエス・キリストに焦点が当たります。
野々垣 正信キーマスター大切に思っていることが伝えられるだけでも、十分だと思います。お父様、お母様が何を信じようが、ご自分の良心であることには変わりはないので。なぜ信じているのか、「なぜ」という質問はあまりよくないと思います。何を信じているのかは、良いですが、「なぜ信じているのか」の質問は、100%うまくいかないと思います。
野々垣 正信キーマスター主の再臨を考える時、私はいつも次の聖句を思い起こします。
3:3 まず、次のことを知っていなさい。終わりの時には、欲望の赴くままに生活してあざける者たちが現れ、あざけって、
3:4 こう言います。「主が来るという約束は、いったいどうなったのだ。父たちが死んでこのかた、世の中のことは、天地創造の初めから何一つ変わらないではないか。」
3:5 彼らがそのように言うのは、次のことを認めようとしないからです。すなわち、天は大昔から存在し、地は神の言葉によって水を元として、また水によってできたのですが、
3:6 当時の世界は、その水によって洪水に押し流されて滅んでしまいました。
3:7 しかし、現在の天と地とは、火で滅ぼされるために、同じ御言葉によって取っておかれ、不信心な者たちが裁かれて滅ぼされる日まで、そのままにしておかれるのです。
3:8 愛する人たち、このことだけは忘れないでほしい。主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のようです。
3:9 ある人たちは、遅いと考えているようですが、主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです。
3:10 主の日は盗人のようにやって来ます。その日、天は激しい音をたてながら消えうせ、自然界の諸要素は熱に熔け尽くし、地とそこで造り出されたものは暴かれてしまいます。
3:11 このように、すべてのものは滅び去るのですから、あなたがたは聖なる信心深い生活を送らなければなりません。
3:12 神の日の来るのを待ち望み、また、それが来るのを早めるようにすべきです。その日、天は焼け崩れ、自然界の諸要素は燃え尽き、熔け去ることでしょう。
3:13 しかしわたしたちは、義の宿る新しい天と新しい地とを、神の約束に従って待ち望んでいるのです。2ペテロ3章3-13節主は必ず来ます。それはいつかわかりません。その日、その時は主イエス様でさえ知らないと言っているのですから。私たちは信仰深く主を待ち望みます。
野々垣 正信キーマスター介護施設において、お年寄りや体に不自由がある方たちが虐待を受けたのようなニュースを聞くと、それもストレスからくるものなのかと私は思ってしまいます。ストレスが溜まって、介護する人が弱者にあたってしまうようなことでしょうか。何の仕事でもそうかもしれませんが、介護の仕事も向き不向きがあるのかもしれません。私の友人で、やはり介護の仕事をしている人がいますが、その人は何事もクールというか感情移入しないようにしてるそうです。難しい仕事だとは思います。
野々垣 正信キーマスターこちらがHPですね。クリスチャンにとって、介護はベストマッチな分野であるという点を、もう少し詳しく教えてください。読者の方々は、書き込みはしませんがきっと興味深く読んでいると思います。それから小美玉市は、茨城県にある市ですか。
野々垣 正信キーマスターご自分の介護施設のホームページとかありますか。リンクを張ってくれるとありがたいです。
人にもよると思いますが、クリスチャンに最適と思われる介護の仕事、もっと聞かせてください。野々垣 正信キーマスター多くの牧師が主の再臨は近いとネット上で言っていますが、皆様はどのようにお考えでしょうか。主イエス様の再臨はどのように来るのでしょうか。携挙のように誰も気づかないように来るのでしょうか。また前1000年王国についてどのように理解すべきでしょうか。周りの先生方の話に耳を傾けるの事も大切だと思いますが、まずは自分自身の問題として考えるべきではないでしょうか。1世紀のクリスチャンたち、使徒たちは、どのように主の再臨について考えていたのでしょうか。読者の皆様といっしょに考えていきましょう。
野々垣 正信キーマスター「まったく信じていなかった自分の家族全員がクリスチャンになった」という話を、時々耳にすることがあります。それは素晴らしい神様の恵みであり、喜ばしいことなのですが、では自分の家族は?と思ってしまう時があります。これは私自身の信仰の欠如だと思っています。でも粘り強く祈り続けること、愛によって接することが大切だと感じています。Oouraさんの感想を聞かせてください。
野々垣 正信キーマスター実は私の姉も若い時から学会員です。そんな訳で大浦さんのお気持ちお察しします。大変ですよね。 学会は、昔からキリスト教を敵意しています。それは変えることは出来ないのでそこは諦めます。聖書を渡すよりも、とにかくよき理解者であることの方が大切だと思います。そこが出発点に私には思えます。
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