神の民イスラエルと律法の意味は、神の救いの計画において何であったのでしょうか。初めて聖書を読む人にとって、イスラエルの話は自分には何ら関係のない遠い昔話に聞こえるでしょう。しかしイスラエルの歴史は、人類の救いに大きな意味をもたらしたのです。
過去、現在、未来
2026年の最初の礼拝です。私たち人間にとって、新しい年は特別な意味がありますが、神様にとって時間の制限や区切りはありません。いつも新しい日であり、1週間であり、1年なのです。時空を超えた神様の救いの計画を、過去から未来へと見ることは非常に重要だと思います。
大学の心理学のクラスで、先生が白い紙を取り出して小さな黒い点を書きました。そして一人一人の生徒に、「何が見えますか」と聞きました。そうすると、みんな「黒い点があります」と答えたのです。「誰も白い紙があります」と答えませんでした。
白い紙を私たちの人生全体、過去、現在、未来を含めた世界の歴史全体を現していると想像してみてください。黒い点は、現在生きている私たちを示しています。私たちは、全体を見ないで、いつも黒い点、つまり現在だけを見ているようなところがあります。過去を忘れてしまうのです。同じように、旧約聖書は、クリスチャンには関係ないと考える方がいます。そのような考え方は、神様の救いの計画全体を理解していないことにはならないでしょうか。
神の民イスラエル
世界史の一部に過ぎないが・・・
神の民イスラエルは、どのように始まったのでしょうか。それは3500年前の古代中東社会での起きました。世界史の中のほんの一部分の出来事です。それも古代中東社会のエジプト、そして現在のイスラエルの地方で起きた歴史上の事実です。
一般の世界史の観点から見たら、小さな出来事に過ぎません。しかし、神が導いている歴史の観点からみれば、神の民イスラエルが選ばれたことは、一大事です。なぜならキリストによって成就する神の救いの計画の一部であったからです。今日は、神の民イスラエルの成り立ちについて考えてみます。
2025年の最後の礼拝メッセージでは、アブラハムに啓示されたキリストの福音について話しました。アブラハムの子孫がイスラエルであり、イスラエルの子孫がイエス・キリストであることに触れました。今日は、イスラエルのアイデンティティーについて考えてみましょう。
神がイスラエルに与えた特権
繰り返しになりますが、創造主なる神は、人類の救いのためにイスラエルの人々を神の民として選んだのです。そして、神様は、イスラエルと契約を結びました。出エジプト記19章5‐6節を読んでみましょう。出エジプト記19章5‐6節を読んでみましょう。
ここの聖句には、3点重要なことが書かれています。まず第一に、神様はイスラエルの民を選び、契約を結んだこと、第二に、天地万物にあるものは、すべて創造主なる神様によって支配されていること、そして第三に、神様はイスラエルの民を祭司の王国聖なる国民として、選ばれた民として、彼らに特権を与えたということです。
旧約聖書は神のみことば
旧約聖書は、イスラエルという特定の国について書かれているのだから、クリスチャンにはあまり関係ないと考える人がいますが、残念ながらこのような考え方は、神様の救いの計画を誤解しているのではないでしょうか。
なぜなら、神様の救いの計画は、創世記から始まっているからです。先週言いましたように、アブラハムにキリストの福音の約束が与えられていたのです。どうしてこの重要な事実を、神様の救いの計画から外すことが出来るのでしょうか。
またイスラエルと神様が結んだ契約も、私たちクリスチャンに大きな意味があるのです。今日はその重要さを紐解いていきましょう。
律法と生活の決め事
創造主なる神様は、イスラエルの人々に生活のすべてに関する決め事を与えました。神様をどのように礼拝するのかの律法、人間関係、たとえば隣人関係、夫婦関係、親子関係に関する律法を与えました。、その他、生活全般に関するすべての分野で、神の民として生きていくための律法を与えたのです。
最も基本的な律法
しかし最も基本的な律法は、出エジプト記20章1-4節に書かれています。天地万物を創造された神様は、悪魔、悪霊を含め、すべてを支配しておられます。人間が作った宗教には、様々な神々がいます。
でもそれは人間の空想の作り物です。古今東西、人類の歴史が始まって以来、人間は自分が造ったもの、仏像や神々の像を拝んできました。科学の時代である現在でも、何も変わりなく、人々は偶像を崇拝しているのです。科学の時代だからこそ、こんな偶像礼拝など簡単に止めることができると思いますが、人間の罪深さは変わりはありません。
古今東西にある偶像礼拝の罪
ところが3500年前の大昔に、神様はこの愚かな慣習を罪として定めたのです。死んだ人を奉る日本の仏教の慣習も、例外なく罪なのです。私たちが、創造主なる神様以外に、精神的にも肉体的にも霊的にも、これらの偶像に頼る時、私たちの心には罪の種が植えられ、偶像礼拝へと導かれるのです。
この律法が与えられたのは、3500年も前のことです。これにはちょっと驚くではありませんか。ある人たちは、古代の人たちは、現代科学の知識がなく、物質的な真理については無知であったと考えます。果たしてそれが正しいでしょうか。このような考えは、現代科学を神様の啓示よりも上に置いていないでしょか。
偶像礼拝の愚かさ
偶像礼拝の愚かさは、私がここで説明するよりも、神のみことばである聖書に語ってもらいましょう。イザヤ44章9-20節に書かれていますが、その一部分イザヤ44章9,16-17,19節を読んでみましょう。
人間の罪の本質は、1000年たとうが、2000年たっても、変わりはないのです。人間は、いつも同じ罪を繰り返す、神の憐みがなければ、救いようのない存在です。どうしようもない存在なのです。
このような人間には、神様の憐れみと同時に神様が決めた規則が必要でした。そうしなければ、人間は罪と共に奈落の底に落ちていくからです。この理由で、律法がイスラエルに与えられたのです。
イスラエルに律法が与えられた目的
次の聖句に律法が与えられた理由が書かれています。申命記6章1-4節を読んでみましょう。この聖句が示すように、神の律法は、祝福として与えられているのです。人々を縛り付けたりするものではありません。神様の教えは、必ず私たち人間に祝福を与えてくださいます。これが、旧い契約において、イスラエルが律法が与えられた理由です。
この律法に示された原則は、クリスチャンにも受け継げられています。たとえば、主イエス様は、一番大切な旧約聖書の戒めとして、心から神様を愛することと隣人を自分のようにあいすことと定めています。この律法もクリスチャンに受け継げられています。
それでも質問が湧いてきます。新しい契約下にいるクリスチャンにとって、旧約聖書で示された様々な律法に何の意味があるのでしょうか。いけにえを捧げることについて律法、食べ物に関する律法、礼拝に関する律法など、どのように律法を捉えたら良いのでしょうか。これらの疑問に答えるには、今日、時間が足りません。この質問は来週のメッセージ、(来週の記事)のために、取っておきたいと思います。
イエス・キリストについて行こう
最後に、主イエス様の招きの言葉をもう一度聞いてみましょう。2つの聖句を読んでみます。マタイ11章28-30節を読んでみましょう。
この2つの聖句は、まったく違った招きのように聞こえます。最初の一つは、自分を捨てて、十字架を負いなさいと諭しています。2つ目の聖句は、軛を負って、わたしに学びなさいと招いています。
実は、この2つの聖句はまったく同じことを言っているのです。コインの裏表のような感じです。イエスの軛を負って主に学ぶには、自分の人生哲学と考えを捨てなければできません。主イエス様に、私たちの命を預けるのです。このステップが、主イエス様の弟子になるための第一歩ではないでしょうか。だから、今日も主イエス様に応えましょう。「あなたについて行きます」と告白しましょう。
- 記憶喪失にならないために-アブラハムからキリスト
- 新しい契約-キリストのミッションインポッシブル
- 悪い時代をイエスが明らかにする-ルカ11章29節
- エリサベトとマリア-ルカ1章39節
- 外部リンク 旧約聖書の律法は今も有効ですか

偶像礼拝の罪は昔も現代も変わらないですね。
本当に日本の人々が偶像礼拝から救われイエス・キリストを信じることが出来るように日々祈ります。
2026年も日々自分を捨てイエス・キリストに従っていきたいと願います。
主に感謝です🌿