神は、人間の尊厳として、自由意志を与えました。キリストは「聞き耳のある者は聞きなさい」と言って、自由意志の法則を教えています。「人間には自由意志などない。未来のことはすべて決められている」のでしょうか。実際、このような運命論的考え方は、多くの宗教と哲学にあります。参照サイト わたし達に自由な意志はあるのか《宇宙一わかりやすい科学の教科書》
聞くか聞かないか自分で選ぶ
私たち人間は、自由意志のない、何かに操られている人形なのでしょうか。「聞く耳のある者は聞きなさい」の言葉に、私たち人間の主体性が、表現されています。聞くか聞かないか、するかしないのか、すべて人間は、自分の意志で決めているのです。
自分の考えを言い伝えるために、1つの口が与えられ、話を聞くために2つの耳が与えられています。私たち人間は、そのように創られているのです。キリストは、私たちの肉体的な耳だけではなく、心の耳にも訴えかけています。自分の自由意志を認識すると、そこに主体性が生まれてきます。自分が何をしたいのか、何をすべきかを、自分で決めることを認識するのです。
主体的に物事を見るのは、日本では必ずしも容易ではありません。日本の文化の中では、個よりも全体の方が重要だからです。全体が個よりも優先する世界では、個の主体性は全体の中で消えていきます。しかし、神は一人ひとりを、主体性をもった存在として、創造しました。この神の創造に、個々の人間に対する愛があるのです。「聞く耳のある者は聞きなさい」という表現に、愛という言葉はありませんが、これは神の愛の表現です。主キリストは、私たちを愛し、個人の主体性を大切に思っているのです。

自分から進んで聴く
「聞く耳のある者は聞きなさい」は、人間の自主性を表している言葉です。自分から進んで聴く原則が示されています。私たちがキリストのことばを聞く、聞かないは、神の導きはあっても、100%自由です。
神は、常に私たち人間を招いておられます。愛なる神は、私たちの意志に反して無理やり導いたり、聞かせようとはしません。人の心を操るようなことはしません。愛なる神は、私たちを意志のないロボットのように、操り人形に創造されていません。なぜでしょうか。私たちの創造主なる神は、人間の尊厳として、霊的DNAである自由意思を与えているからです。

自由意志と責任の法則
人間には自由意志があります。人は何をやっても自由です。たとえ、国の法律を犯すような事であっても、その人の自由意志で行っているのです。他の人に迷惑をかける、かけない、嘘をつく、つかないも、その人の自由意志の行いです。「聞く耳のある者は聞きなさい」は、自由意志には必ず責任が伴うという原則が示されています。
自由意志を認識している人は、自分が人生を決めていく権利と責任をもっていると認識しています。自分にとって何が大切なのか、どのような生き方をするのかは、自分自身が決めるのです。自由意志と責任の法則を理解するようになると、不思議と自信がわいてきます。自分の可能性を信じ、自分自身を大きく育てる努力を惜しまないでしょう。

結論
「私は自由なんだから、何でも好きなことをやっていいのではないか」と若い人たちは考えがちです。しかし、自由意志には必ず責任が伴うのです。自由意志、主体性、自主性、責任は、すべてみな相互関係にあります。自由意志があるから、その人の心に主体性と自主性が生まれてきます。さらに、自分の行動に対して責任感も生まれてくるのです。
