コンテンツへスキップ 投稿日:2023年8月26日/更新日:2023年8月21日

異邦人、すべてのイスラエルが救われる

ローマ11章11‐32節では、異邦人にも福音のメッセージが宣べ伝えられすべてのイスラエルが救われると書かれています。すべてのイスラエルとはどんな意味でしょうか。この記事では11章を文脈に沿って読み、パウロの真意を解き明かします。

神様の救いが異邦人にも来た理由

最初に、先ほど読んだローマ11章11-16節から解説します。パウロは、ここで神様の救いが異邦人にも来た理由を説明しています。なぜ異邦人にも神様の救いが来たのでしょうか。

ユダヤ人たちがイエス・キリストを受け入れることなく、十字架につけたからなのです。天から地上に降りてきたイエス・キリストは、異邦人たちにではなく、ユダヤ人たちだけに福音のメッセージを伝えました。ユダヤ人教師たちが、どれほど攻撃してきても迫害してきても、キリストは辛抱強く、神様の御心を語りました。

しかし、彼らは、キリストの招待状をゴミのように捨ててしまったのです。このユダヤ人の不信仰ゆえに、神様の恵みが異邦人にも届いたのです。

このように考えると、私たちは、ユダヤ人の不信仰を蔑むことはできません。キリスト教の総人口の内、ほとんどのクリスチャンが、実はユダヤ人ではない異邦人です。我々異邦人クリスチャンは、どのように神様の救い、神様の恵みを考えたらいいのでしょうか。

野生のオリーブである異邦人と純粋なオリーブであるユダヤ人

私たち異邦人クリスチャンは、信仰を持っていないユダヤ人たちに対して、誇ったり高ぶったりできない訳を、パウロは説明しています。

ローマ11章17-24節を読んでみましょう。

オリーブの木をたとえに、ユダヤ人と異邦人クリスチャンの関係を説明しています。ユダヤ人たちは、純正のオリーブの木です。犬や猫でいえば、血統書付きです。私たち異邦人は雑種です。ユダヤ人たちは、神様の血統書付きですが、信仰によってその関係を持ちませんでした。

ところが、私たち異邦人クリスチャンは、血統書は持っていないけど、主イエス・キリストを信じて神様の家族の仲間に入ることができたのです。だからといって、慢心してはいけません。

神様は、信仰を持たなかったユダヤ人たちを裁きました。純正なオリーブの木でもあっても、信仰をもっていなかったゆえに、切り取られました。

純正のオリーブ木ではない私たちが、信仰を捨てたらどうなるでしょうか。簡単に切り取られてしまうのです。

実際、信仰には、ユダヤ人も異邦人もありません。すべての人間が公平に裁かれるのです。私たち人間は、イエス・キリストに裁かれ、最後には裁きの座に立ちます。その時に、申し開きをするのです。パウロは、ローマの手紙で書いていることは、神様の救いの招待状は、すべての人間に届いているということです。ユダヤ人にも届きました。我々異邦人にも届いています。問題は、どのようにその招待状に応えるかです。

すべてのイスラエルが救われる

兄弟たち、自分を賢い者とうぬぼれないように、次のような秘められた計画をぜひ知ってもらいたい。すなわち、一部のイスラエル人がかたくなになったのは、異邦人全体が救いに達するまでであり、こうして全イスラエルが救われるということです。・・・・

ローマ11章25-26節

この聖句の解釈は、キリスト教を分断、分裂させています。個人的には、分裂させるほどの問題ではないと思います。しかし、それを信じている人にとっては、生か死くらいの重要な問題です。

ある人たちは、この聖句を言葉通りに読んで、すべてのイスラエル民族が救われこの地上で1000年間支配すると信じています。また、日本のあるクリスチャングループは、日本人、特に天皇家はイスラエルの子孫であると信じています。これらの人たちにとって、この聖句はとても重要です。もし日本人が、イスラエルの子孫であれば、最後にはすべての日本人が救われることになります。

しかし、果たして、この解釈はローマの手紙でパウロが意図していることでしょうか。パウロは、ローマの手紙の中で幾度となく、キリストに信仰をもった人たちが本当のイスラエルであると言っているのです。この聖句も同じです。異邦人全体にキリストの福音が伝わり、異邦人クリスチャンもユダヤ人クリスチャンも含めた、すべてのイスラエルが救われると教えていると私は思います。

神様の働きは、人間にはわからない

ローマ11章30-32節を読んでみましょう。すべての人間は罪に定められました。しかし、それは私たち人間が、神様の憐れみを受けるためです。救いに異邦人もイスラエル人も関係はありません。主イエス・キリストを信じる者が救わられると明らかにしています。

ローマ11章33-36節

ああ、神の富と知恵と知識のなんと深いことか。だれが、神の定めを究め尽くし、神の道を理解し尽くせよう。「いったいだれが主の心を知っていたであろうか。だれが主の相談相手であっただろうか。だれがまず主に与えて、/その報いを受けるであろうか。」すべてのものは、神から出て、神によって保たれ、神に向かっているのです。栄光が神に永遠にありますように、アーメン。

ローマ11章33-36節

いろいろな牧師が、聖書を解釈していろいろ違ったことを教えています。しかし、実際は、私たち人間にはわからないことだらけです。私たちがなぜ救われたのでしょうか。親戚の人々やお友達は、救われずになぜ私たちが神様の恵みを受けたのでしょうか。

ある人は、次のように言うかもしれません。「私はキリストを信じる事を選びました。信仰を持ちました。だから救われているのです。」しかし、これは真理の半分しか語っていません。神様の導きがなければ、私たちはキリストの下に来ることもなかったかもしれません。

その逆に、ある人はカルヴァンの予定説の神学に基づいて、次のように言うかもしれません。「私は神様によって直接選ばれたので、信仰を持つことができました。私の意志ではなく、神様の御心によって選ばれ救われました。」しかし、このような発言も真理の半分しか語っていません。私たちは、操り人形ではありません。ある人は神様に操られ神様の救いに与り、また別の人は地獄に行くように定められている訳ではありません。

上記の聖句で、パウロ自身、救いは神様の働きであり、分からないと信仰告白しています。私たちが、自分の思い込みの聖書解釈によって、「なぜの疑問」に答えることができるのでしょうか。それは神様の領域であり、私たち人間が入るべきではない領域です。

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