「悲しむ者は幸いです。その人は慰められます」と書かれています。悲しむ者の信仰という観点において、この聖句は非常に重要な意味をもっています。私たち人間は、一生のうちに多くの悲しみを経験します。自然災害や不慮の事故で、命を落とす人たちがいます。残された遺族の悲しみは、計り知れません。
この様なとき、悲しみは誰によって慰めされるのでしょうか。多くの友人や親類の方々が、慰めの言葉をかけるでしょう。仏教の葬式では、「御仏に委ねなさい」といわれます。仏像に悲しみを打ち明けている人も、神様の慰めを受けるのでしょうか。主イエス・キリストの教えの真意は、どこにあるのでしょうか。悲しむ者は幸いの意味は何でしょうか。
その悲しみは、神に向けられるべき
人間のニーズを軸にこの聖句を解釈すると、次のような解釈になります。「この聖句を素直に読みなさい。天の神様は、悲しんでいる人間を誰でも憐れみ慰めてくれている。だから、何を信じていてもそれは大きな問題ではない。憐み深い神様は、信仰の違いなど小さなことにこだわるお方でない。」この解釈によれば、周りにいる人たちに悲しみと嘆きを打ち明ける人は、慰めらるのです。
主イエス様の真意は、このような解釈にあるのでしょうか。その悲しみは、誰に向けられるべきでしょうか。神様を軸に「悲しむ者は幸いです。その人は慰めらえます」を解釈すべきだと管理人は思います。
すべての悲しみを神に打ち明けること、これが主イエス様の御心です。私たちを創造してくださった神様は、私たちのすべてをしっています。悲しみも苦しみもご存知です。神様は、悲しむ私たちを慰めてくださいます。自分が愛する人が死んで召された時、私たちはもちろん天のお父様に嘆きと悲しみの祈りをささげます。死は例外なく、人生の中で一番悲しい出来事だからです。しかし、主イエス様がこの聖句で教えている悲しみとは、死や不幸ゆえの悲しみだけではありません。
その悲しみは、自分の罪深さを知る心の嘆き
だから、神に服従し、悪魔に反抗しなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げて行きます。神に近づきなさい。そうすれば、神は近づいてくださいます。罪人たち、手を清めなさい。心の定まらない者たち、心を清めなさい。悲しみ、嘆き、泣きなさい。笑いを悲しみに変え、喜びを愁いに変えなさい。主の前にへりくだりなさい。そうすれば、主があなたがたを高めてくださいます。ヤコブ4章7-10節 聖書協会
私たち人間は、悪魔によって支配されている世の中で生きています。日々、その悪魔を離れて神に近づきなさいと教えられています。私たちが神に近づくとき、私たちの心に変化が起こります。聖なる神の御前で、自分自身をまっすぐに見るときに、自分の罪深さを知ります。
神の光のスポットライトが、自分の心の奥底にある罪深さを明らかにします。自分の罪深い自己中心的な心が、はっきりと示されます。喜び笑っていた人も、自分の罪深さを知るとき悲しみ嘆きます。これは悔い改めの心です。
マタイ5章4節で主イエス様が教える悲しむ者とは、死や不幸で悲しんでいる人々を指しているのではありません。自分の罪深さを嘆き悲しんでいる人々は、神の慰めを受けると教えているのです。

自分の罪深さに嘆き悲しんだ預言者イザヤの言葉を読んでみましょう。
ウジヤ王が死んだ年のことである。わたしは、高く天にある御座に主が座しておられるのを見た。衣の裾は神殿いっぱいに広がっていた。上の方にはセラフィムがいて、それぞれ六つの翼を持ち、二つをもって顔を覆い、二つをもって足を覆い、二つをもって飛び交っていた。彼らは互いに呼び交わし、唱えた。「聖なる、聖なる、聖なる万軍の主。主の栄光は、地をすべて覆う。」この呼び交わす声によって、神殿の入り口の敷居は揺れ動き、神殿は煙に満たされた。わたしは言った。「災いだ。わたしは滅ぼされる。わたしは汚れた唇の者。汚れた唇の民の中に住む者。しかも、わたしの目は王なる万軍の主を仰ぎ見た。」するとセラフィムのひとりが、わたしのところに飛んで来た。その手には祭壇から火鋏で取った炭火があった。彼はわたしの口に火を触れさせて言った。「見よ、これがあなたの唇に触れたので、あなたの咎は取り去られ、罪は赦された。」イザヤ6章1‐7節。
預言者イザヤは、神様の聖なる御座の幻を見た時、自分の心の闇に光が当てられ自分の罪深さを知りました。そして、彼は「わたしは汚れた唇の者」と告白しました。自分の罪深さに対する嘆きであり悲しみだったのです。しかし憐れみ深い神様は、イザヤを清め慰めました。
私たちも、イザヤと同じように聖なる神の御前に立つとき、心が変えられます。自分の罪を悲しみ嘆きます。イザヤが罪ゆえに「滅ぼされる」と感じたほど、私たちは罪深い存在なのです。そんな私たちを、憐れみ深い神様は慰めてくださると約束してくださっています。
憐れみ深い神は、罪に嘆き悲しむ者を慰めてくださいます。だから、日々、悪魔から離れ聖なる神様に近づきましょう。神様の祝福を受けると約束されています。読者の皆様の上に、神様の恵みが宿りますように。