罪深い人間にも希望があることを考えてみます。すべての人間は罪人です。この罪深い世の中で、世の中の荒波にもまれながら、人は疲れ果てて生きています。人間の罪は、自らを精神的にも霊的にも痛み続けます。心は沈み途方にくれるような人生を、多くの人たちは歩むのです。底なし沼のような所で生きている人間に希望はあるのでしょうか。
すべての人間は罪人だけど・・・
では、どうなのか。わたしたちには優れた点があるのでしょうか。全くありません。既に指摘したように、・・・皆、罪の下にあるのです。次のように書いてあるとおりです。「正しい者はいない。一人もいない。悟る者もなく、神を探し求める者もいない。皆迷い、だれもかれも役に立たない者となった。善を行う者はいない。ただの一人もいない。彼らののどは開いた墓のようであり、彼らは舌で人を欺き、その唇には蝮の毒がある。口は、呪いと苦味で満ち、足は血を流すのに速く、その道には破壊と悲惨がある。彼らは平和の道を知らない。彼らの目には神への畏れがない。」さて、わたしたちが知っているように、すべて律法の言うところは、律法の下にいる人々に向けられています。それは、すべての人の口がふさがれて、全世界が神の裁きに服するようになるためなのです。ローマ3章9-19節 聖書協会
ローマ1章では、全人類の罪が書かれています。2章では、神様の律法を受けたイスラエルの人々は、異邦人を裁いているけれど、同じように罪を犯していると明らかにしています。ローマ3章9-20節では、例外なくすべての人間が罪人であることを教えています。そんな私たち人間に、希望はあるのでしょうか。この罪深い世の中で生きている私たち人間は、どのように生きるべきでしょうか。
私たち自身を見るまでもなく、私たちが生きている世の中を観察すれば、どれほど罪深い世の中に生きているかがわかります。罪がどのように人間社会に、また一人ひとりに悪影響を及ぼしてきたのかを考えてみましょう。
人は罪ゆえに弱い存在、不信心な者になった
では罪深い私たちが、どのような状況に置かれているのかを考えてみます。罪深い私たち人間は、弱い者、不信心な者、神様の敵になってしまいました。実際、罪は私たちの心も体も弱くします。たとえば、怒りは人を傷つけるだけではありません。自分自身の心も傷つけます。そのようなネガティヴな感情は、私たちを疲れさせます。自暴自棄になっていきます。
罪は、心を壊すだけではありません。私たちの健康をも蝕んでいきます。タバコやお酒、暴飲暴食、ギャンブル、睡眠不足のような習慣は、私たちの体も弱くします。私自身、20代の時、自分の体に悪いことすべてをやり尽くしていました。26歳の時には、心も体もボロボロでした。その泥沼から何とか抜け出したいと必死にもがいていました。
霊的にも、私は暗闇の中で生きていました。いったい何が善い事なのか、悪い事なのか、善悪の基準などまったくありませんでした。自分の心の中にある欲望のままに生きていたのです。
罪は、自分自身の心を蝕んでいくだけではありません。人間不信の原因の大元です。この世の中を観察してみれば、人間同士がどれ程、お互いに傷つけ合っているかがお分かりになると思います。人類の歴史が始まって以来、私たち人間は常に傷つけ合い、殺し合いをしてきました。血を流す殺し合いだけではありません。人間は他の人の心を傷つけ、生きる命の力を奪い取ってしまうのです。たとえ、血を流すような犯罪を犯さなくても、例外なく誰でもすべて罪深い存在なのです。
読者の皆様はどうでしょうか。こんな私たち人間は、神様から離れた存在になってしまいました。実際多くの人々は、創造主なる神様から離れて生きています。私たち人間のデザイナーである創造なる神様の教えに反して生きてます。そのような人生は、楽しいことよりも、苦しみや悲しみの方が数倍多いのです。オリジナル・デザインから離れて生きていく人間の行先は、どこでしょうか。途中の道がどんなにハッピーに見えても、最終的には破滅が待っています。

神様の裁きは地獄
神様は、人間たちの罪を見て悲しんでおられます。同時に、そのような人間に罪に対して、神の怒りが下ると聖書は明らかにしています。
ある金持ちがいた。いつも紫の衣や柔らかい麻布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。 この金持ちの門前に、ラザロというできものだらけの貧しい人が横たわり、その食卓から落ちる物で腹を満たしたいものだと思っていた。犬もやって来ては、そのできものをなめた。やがて、この貧しい人は死んで、天使たちによって宴席にいるアブラハムのすぐそばに連れて行かれた。金持ちも死んで葬られた。そして、金持ちは陰府でさいなまれながら目を上げると、宴席でアブラハムとそのすぐそばにいるラザロとが、はるかかなたに見えた。そこで、大声で言った。『父アブラハムよ、わたしを憐れんでください。ラザロをよこして、指先を水に浸し、わたしの舌を冷やさせてください。わたしはこの炎の中でもだえ苦しんでいます。』しかし、アブラハムは言った。『子よ、思い出してみるがよい。お前は生きている間に良いものをもらっていたが、ラザロは反対に悪いものをもらっていた。今は、ここで彼は慰められ、お前はもだえ苦しむのだ。そればかりか、わたしたちとお前たちの間には大きな淵があって、ここからお前たちの方へ渡ろうとしてもできないし、そこからわたしたちの方に越えて来ることもできない。』金持ちは言った。『父よ、ではお願いです。わたしの父親の家にラザロを遣わしてください。わたしには兄弟が五人います。あの者たちまで、こんな苦しい場所に来ることのないように、よく言い聞かせてください。』しかし、アブラハムは言った。『お前の兄弟たちにはモーセと預言者がいる。彼らに耳を傾けるがよい。』金持ちは言った。『いいえ、父アブラハムよ、もし、死んだ者の中からだれかが兄弟のところに行ってやれば、悔い改めるでしょう。』アブラハムは言った。『もし、モーセと預言者に耳を傾けないのなら、たとえ死者の中から生き返る者があっても、その言うことを聞き入れはしないだろう。』」ルカ16章19-31節 聖書協会
この世において、どのように生きるかによって、死後に得られる命がどのようなものになるのかが決まってきます。罪に対する神様の裁きは、地獄です。永遠の苦しみを与える地獄です。地獄の苦しみはどんなでしょうか。誰も行ったことがないのでわかりません。
主イエス様の話を真実として受け入れるか否かは、私たちの自由です。無理強いして信じさせるようなことを、主イエス様はしません。私たち個人の選択に任されているのです。自由意志 聞く耳のある者は聞きなさい。
こんな私でさえ救われる
しかし、今生きている人生で苦しみもがいているのであれば、主イエス様に生き方を教えていただくの最上の選択だと私は思います。自分の罪深さを認め主イエス様に下に行くか、それとも自分自身の力と知恵を信じて生きていくか、どちらを選べばいいのでしょうか。私は躊躇なく主イエス様を選びます。
実際、人間は神様から離れては絶望的存在なのです。そこで神様は、私たちに主イエス・キリストを与えてくださいました。神様の方から私たち人間に手を差し伸べてくださったのです。私たちの罪を取り除くために、主イエス様は身代わりになって死んでくださったのです。キリストの犠牲によって罪が赦された理由 主イエス・キリストを信じる人は、この神様の怒りと裁き、地獄の裁きから救わられると約束されています。これは、神様の永遠の愛です。この愛によって生きていくことこそが、私たち人間の使命なのです。
神様の恵みは、罪が赦されるだけではありません。神様は、愛によって生きるために神様の聖霊を私たちの心に与えてくださいました。私たちが、この罪深い世の中で正しく生きるために愛の力を心に注いでくださったのです。この人生を喜びと平安の内に生きるための力です。
どんなに人間が頑張っても、この祝福は受けることはできません。政治だろうと何であろうと、どんな支援を受けても、主イエス様が与える祝福には敵いません。
この愛は、誰も私たちから取り去ることはできません。天にいる天使であっても、この愛を私たちから奪い取ることはできません。神様の敵である悪魔は、常に私たちを神様から引き離そうと画策していますが、神様ご自身が私たちをこの愛で支えてくださっています。

悪魔によってだまされて生きていた私たちを…
私は、天地万物を創造された唯一の神様を信じています。三位一体の神様を信じ、主イエス様を人生の師として信じています。同時に、悪の霊である悪魔の存在も信じています。悪魔は人間をだます、惑わす、迷わす霊的な存在です。
多くの人たちは、悪魔によってだまされ、自分勝手な思いで生きています。私自身、悪魔の道の王道を歩いていたのです。ところが、主イエス様はこんな私たちに今も手を差し伸べてくださっているのです。この世をさ迷い歩いている私たちに優しく声をかけて招いています。
「あなたは何を迷って生きているのか。なぜ重荷を背負って生きているのか。なぜそんなに悩んでいるのか。わたしの下に来て、わたしに生き方を学びなさい」と私たち一人一人に声をかけて下さっているのです。
私たちの過去は、罪深い人生の過去です。空しい人生、無意味な人生の過去です。神様が与えて下さった人間のIDを自ら捨ててしまいました。この混迷した世の中で、私たちはどこへ向かおうとしているのでしょうか。主イエス様はおっしゃっています。いつかこの世には終わりがあると。今の天地はなくなり、新しい天と地が造られると預言しています。それがどんなものかは、誰も知りません。しかし、ハッキリしていることが一つあります。それは、主イエス様は、約束通り、いつか私たちの目の前に現れること、そしてこの世の悪を裁くということ、さらに私たちを天の御国へと導いてくださることです。
主イエス様が再臨する前に、主イエス様を受け入れましょう。この方を信じる生き方こそ、最上の生き方です。悪魔が仕掛ける罪の罠にかかっている限り、私たちは疲れ果て重荷を負って生きていくでしょう。主イエス様によってこの罪の呪縛から解放されましょう。神様の愛によって生きていきましょう。
外部リンク 人間は罪深い存在? 力を自覚、知恵生かせ
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