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コンテンツへスキップ 投稿日:2023年5月9日/更新日:2025年11月16日

イエス・キリストは平和の使者-ヨハネ12章12節

ロバに乗ったキリストは平和の使者

平和の使者の意味は何でしょうか。イエス・キリストはろばに乗って、ご自分が旧約聖書で預言されている平和の使者であることを示されました(ヨハネ12章12-19節)。旧約聖書ゼカリヤの預言を成就させましたが、ろばに乗った意味は何かを考えます。この出来事は、平和の使者としてのキリストの役割を強調する重要な瞬間です。私たちもそのメッセージを受け取り、日々の生活の中で平和を広める努力をする必要があります。

その翌日、祭りに来ていた大勢の群衆は、イエスがエルサレムに来られると聞き、なつめやしの枝を持って迎えに出た。そして、叫び続けた。「ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように、イスラエルの王に。」イエスはろばの子を見つけて、お乗りになった。次のように書いてあるとおりである。「シオンの娘よ、恐れるな。見よ、お前の王がおいでになる、ろばの子に乗って。」弟子たちは最初これらのことが分からなかったが、イエスが栄光を受けられたとき、それがイエスについて書かれたものであり、人々がそのとおりにイエスにしたということを思い出した。イエスがラザロを墓から呼び出して、死者の中からよみがえらせたとき一緒にいた群衆は、その証しをしていた。群衆がイエスを出迎えたのも、イエスがこのようなしるしをなさったと聞いていたからである。そこで、ファリサイ派の人々は互いに言った。「見よ、何をしても無駄だ。世をあげてあの男について行ったではないか。」ヨハネ12章12‐19節 聖書協会

平和の使者

この出来事は、イエスが自己をどのように理解しているか、また周囲の人々がイエスをどう見ているかを考える重要な視点を提供します。彼が「平和の使者」として来られた時、当時の人々はどのような期待を抱いていたのでしょうか。彼らは物質的な解放を求めており、ローマ帝国の圧政からの解放を願っていました。しかし、イエスの目的はそれ以上のものでした。彼は心の平和をもたらすため、私たちのために十字架にかかることを選びました。 

イエスの平和のメッセージの重要性

ホサナの叫びは、ただの歓声ではなく、深い信仰の表れでもあります。人々はイエスに対する期待を込めてこの言葉を使い、彼の到来を歓迎しました。しかし、彼らの期待とは裏腹に、イエスは平和の使者として来られたのです。この矛盾は、私たちの日常生活にも反映されます。私たちが時に求めるものと、神が私たちに与えようとしているものが異なる場合があります。それでも、私たちは信じ続け、神の計画を受け入れる姿勢が必要です。

私たちが今日体験する様々な問題や困難の中で、イエスの平和のメッセージはますます重要になっています。彼は私たちに愛と許しを通じて平和をもたらすように教えています。私たちが周囲の人々とどのように接し、困難な状況にどのように対処するかが、真の平和に繋がります。このメッセージを日常生活に取り入れることで、私たち自身が平和の使者となることができるのです。

また、十字架の死と復活は、私たちに希望をもたらします。どんなに状況が厳しくても、神の愛と救いは常に私たちのそばにあるのです。私たちが直面する試練に対しても、信仰を持って進むことができます。その信仰が、私たち自身の内に平和を生むのです。

キリストの権威

私たちの生活の中での平和の使者としての役割

イエス・キリストが私たちに求めているのは、彼のように生きることです。私たちもまた、平和の使者として、日々の生活の中で周囲の人々に愛と理解をもって接することが求められています。家族や友人、職場の同僚に対して、どのように接するかが、私たちの信仰を示すものとなります。小さな行動でも、愛と平和を広める力を持っています。

ホサナとは、古代アラム語で文字通りの意味は「救いたまえ」ですが、神を褒めたたえる時に使われた言葉です。旧約聖書、詩篇118篇25節にも、ヘブル語でこの表現が使われています。へブル語(ヘブル語はアラム語の姉妹語です)ではhoshiah naです。そのままの音がギリシャ語に翻訳されているのです。

ではユダヤ人たちは、どのような思いでこのような表現を使って、主イエス・キリストを褒めたたえたのでしょうか。ユダヤ人たちは、イスラエルがローマ帝国の支配から解放され、独立した国家として復興されると願っていました。ですから、主イエス・キリストを「イスラエルの王」として褒め称えたのです。

しかし、天の神様はまったく違った計画を、主イエス・キリストに託していました。キリストの十字架によって、神様はすべての人間に救いを差し伸べたのです。さらにキリストの死から復活によって、最後の敵である死、悪魔のわざである死に勝利したのです。これはキリストを信じる人の勝利となりました。

このように、私たち一人一人が日常の中で平和の使者としての役割を果たすことができます。イエスが私たちに与えてくれたメッセージを実践することで、周囲に平和をもたらすことができるのです。私たちが行動することで、神の国がこの地に実現するのを助けることができるのです。

旧約聖書 ゼカリヤ9章9節の預言

イエス・キリストは、ロバを見つけてロバの背に乗りました。主キリストは、ゼカリヤ9章9節の預言を知っていました。自らがこの預言を成就する者としてロバに乗って、ご自分がメシアであることをユダヤ人たちに知らしめたのです。

ロバに乗ることに何の意味があるのでしょうか。馬に乗る者は戦士であるのに対して、ロバに乗る者は平和の使者として象徴的に言い表せています。ユダヤ人たちは、メシアが武力でイスラエルを復興させることを期待していましたが、イエス・キリストは見事にこの期待を裏切ったのです。もちろんユダヤ人たちもキリストの弟子たちも、キリストがロバに乗った意味を知るすべもありませんでした。

キリストの権威

キリストの十字架と復活の後に、明らかにされた預言の意味

弟子たちは、キリストが力なく十字架で死なれたのを見ました。主と慕っていた方が、無残な死に方をしたのです。希望を失った時です。しかし、その3日目にキリストは死から復活しました。主キリストは、悪魔の力、すべての悪に対して勝利したのです。

この時、弟子たちは、主キリストが武力ではなく、天のお父さまなる神様が計画した十字架によって、神様の民の救いが成されることを知ったのです。天の神様は、イスラエルの民との旧い契約を破棄して、新しい契約を結んだのです。

クリスチャンは、神様の新しい契約に与っています。人種や国瀬を問わず、主キリストを信じる者は誰もが、神様の恵みを受ける権利をいただいています。私たちが平和の使者として生きることで、他者にその恵みを伝えていくことが大切です。ヨハネの福音書を学びながら、神様の救いの契約を深く理解し、実践していきましょう。

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