私たちは皆、それぞれの人生において意味ある目的を持ちたいと願っています。「何かしよう」という言葉には、私たちが神に造られた者としての使命感が込められています。このブログでは、私たち一人ひとりがどのようにしてその使命を見出し、行動に移していくことができるのかについて考察していきます。神聖な存在としての自覚を持ち、社会に対してどのように貢献できるかを探ることで、より充実した人生を送る手助けをしたいと思います。
♪なんのために生まれて、なにをして生きるのか♪・・・アンパンマンの主題歌の一節にもあるこの問いは、我々人間の究極の問いでもある。・・・人間が文字通り、その「命」を「使」って為すべき“使命”とは一体、何か?神のことばである聖書は、そんな問いの答えを我々に指し示しているように思う。ぜひ、この読書の秋を「聖書の秋」にしてみてはどうだろうか?
「なぜなら、わたしたちは神に造られたものであり、しかも、神が前もって準備してくださった善い業のために、キリスト・イエスにおいて造られたからです。わたしたちは、その善い業を行って歩むのです。」 (エフェソの信徒への手紙2章10節) 聖書協会
何かしよう Do Something
マシュー・ウェストというクリスチャン・アーティストの「ドゥ・サムシング(何かしよう!)」という曲があります。その歌詞はおおよそこんな内容です。
「ある朝、私は目を覚ました。気付くと世の中は大変なことになっていた。そして、その状態はますます悪くなっていく一方ではないか?そこで私は向き直り、顔を天に向けて叫んだ。『神様、あなたは一体、何をしているんですか!』、『神様、あなたはなぜ、何もしないで傍観しているだけなのですか?』~しばらくすると、どこからともなく、かすかな声がした。『だから、私はあなたを造ったんだよ』。」。
ともすると私たちもこの歌の主人公と同じように、天に向かって叫んでいるのではないでしょうか?「神様、あなたは一体、何をしているんですか!」、「神様、あなたはなぜ、何もしないで傍観しているだけなのですか?」と。そんな私たちに神様は同様にこう応えられているのでないでしょうか?。「だから、私はあなたを造ったんだよ」。

神の作品、神の傑作なのだから
冒頭でお読みした聖句、新約聖書エフェソの信徒への手紙2章10節で、私たちが“神に造られたもの”であるということの一つの意味は、まさに、マシュー・ウエストの「ドゥ・サムシング」にも歌われておりますように、この問題の絶えない世の中にあって、救いを恵み、賜物としていただいている私たちが、それに応答しつつ与えられている命をはじめとする様々な賜物を生かして、ドゥ・サムシング、すなわち、何かをするということなのではないでしょうか?私たちは、まさに主にお入用とされて、何かをすることが期待されている神に造られたもの。神の作品、いや神の傑作なのではないでしょうか?
私たちは、神を傍観者として責め立てるのではなく、むしろ、自分自身こそが傍観者にならないで、それこそ、「神が前もって準備してくださった善い業のために」神に造られたもの、すなわち、神の作品、いや、神の傑作として、より主体的に、「ドゥ・サムシング」、何かできることをさせていただこうではありませんか?
最後まで読んで下さいましたあなたに、神様の祝福と平安が豊かにありますように!
