私たちは、愛に気づけない狂気の世界で生きています。不思議なことに、この狂気の世界に生きていても、人々は愛に渇望しているのです。信頼できる友達を求めて、愛を求めてさまよっています。私たち人間に希望はあるのでしょうか。
目に見えない神様の愛
目に見えない神は、私たちを様々な形で愛しています。多くの場合、私たちはその大きな愛に気づくことさえしないで、過ごしています。神の愛はちょうど空気のようなものでしょうか。空気を吸う時に意識している人はいないでしょう。空気があって当たり前だと思っているからですね。仮に、「明日から空気がなくなりますよ」と発表されたら空気の重要さに気づくかもしれません。排気ガス、PM25、黄砂で汚染されている空気でさえ、私たちにとってはなくてはならないものです。そんな汚染されている空気でもなくなったら、数十分で地球の生物はなくなってしまいますから。
しかし、人間はこの愛を渇望しているのも事実でしょう。2011年の震災以来、愛や絆が叫ばれています。人と人を結びつけるもの、それは愛なのです。しかし、人間の愛は常に条件付きです。自分に都合の良い「愛の形」です。たとえ、犠牲を払った愛だとしても、何らかの形で見返りを期待します。ギブ・アンド・テイクの愛とも言えます。
しかし、創造主なる神は、私たちに一方的な愛を与えてくださりました。私たちが頼んでもいないのに、神は一人子である方をイエス・キリストとして生まれさせ、私たち人間の罪の贖いのために十字架に付けたのです。人間の方で頼んでもいないわけですから、「大きなお世話」とも言えます。でも唯一の神は、人間が罪によって苦しみ、悲しみで喘いでいるのを見てほっておけないのです。
狂気の世界
罪は様々な形で人間を苦しめます。自分自身を苦しめます。思い悩んだり、ノイローゼになったり、本人にとっては死ぬほどの苦しみにもなるのです。最終的に自殺を選ぶ人もいるでしょう。悲しいことです。そして、人間の罪は、他の人々を苦しめるのです。10代の子供たちが闇バイトに手を染めてしまい、自らを奈落の底に落としています。
夜中の2時に数十台のバイクが、グォーグォーと爆音をたてながら町中を回っているのを聞くと、怒りとも言えない情けない気持ちになります。2025年3月29日の今朝もその爆音を聞いて目が覚めました。このバイクのお兄さん方は「俺はここにいるぞ。俺に気づいてくれ。俺のことをかまってくれ」と言いたくて仕方がないのです。

日本では、戦争反対の人たちが他の国々よりも多くいるかもしれません。戦争に勝っても負けても、戦争は不幸をもたらすだけです。特に日本は、真珠湾攻撃で戦争を始めた国として、敗戦国として、原爆投下された初めての国として、今でもその負の遺産を受け継いでいます。だからなおさら戦争反対の声が高いかもしれません。とは言っても、世界中の緊張感は高まるばかりです。

戦争だけではなく、身近な場所でもいつテロが起きてもおかしくない世の中に生きています。毎年、アメリカでは銃の乱射事件が発生します。このような悲劇はとめられないのでしょうか。人間がこの世に生きている限り無理なのです。私たち一人ひとりが、罪悪という大きな渦巻きの中にいます。また、この渦巻きの一部として動いているのです。私たち人間にはどうする事も出来ないのです。
人間の唯一の希望
しかし、朗報もあります。神が私たち人間を愛してくださっているという事実です。貴方と私を愛してくださっています。生まれた時から、ずっと私たちを見守ってくださっている神がいらっしゃいます。私たちは、ただ単にこの方に応えればいいのです。
父なる神様、私たち人間を創造してくださった神様は、主イエス・キリストを私たちに与えてくださいました。このお方は、私たちを罪悪の渦巻きから救ってくださいます。自分が洗濯機の中に入ってグルグル回っていると想像してみてください。目が回って右も左もわからない状態になってしまいます。実際、私たちが生きている世界は、グルグル回って何が何だか分からない狂気の世界ではないでしょうか。
しかし、自分自身では抜け出せない渦巻きから、主イエス様は私たちを救ってくださいます。私たちは、素直に「あなたを信じます。私を助けてください。」と言えばいいのです。主イエス様にご自分の人生をかけてみませんか。人間が作る宗教は裏切ることはあっても、主イエス様だけは決して裏切ることはありません。この方に人生の全てを委ねてみませんか。
読者の皆様の上に、主イエス様の尊い祝福が宿りますように、心からお祈り申し上げます。