神によって癒される涙を流す幸せ。涙を流したり、悲しむこと以上に悲惨なことは何か?それは、涙を流すことができず、悲しむことさえできないことである。ある意味、共に悲しんで下さるお方の前で思いっきり涙を流したり、顔を曇らせることができるのは、幸いなことなのかもしれません。つまり、共に涙を流して下さる主の前で分かち合う悲しみや悩みは人の前での笑いにまさり、全てを理解して下さっている神の前で顔を曇らせることは私たちの心の解放や心の回復につながっていくということなのではないでしょうか?
「悩みは笑いにまさる。顔が曇るにつれて心は安らぐ。」(コヘレトの言葉7章3節) 聖書協会
ある方は言いました。「涙を流したり、悲しむこと以上に悲惨なことは何か?それは、涙を流すことができず、悲しむことさえできないことである。」。確かに、そういう面があるのではないでしょうか?ある意味、共に悲しんで下さるお方の前で思いっきり涙を流したり、顔を曇らせることができるのは、幸いなことなのかもしれません。つまり、共に涙を流して下さる主の前で分かち合う悲しみや悩みは人の前での笑いにまさり、全てを理解して下さっている神の前で顔を曇らせることは私たちの心の解放や心の回復につながっていくということなのではないでしょうか?「涙こそ、主が理解して下さる言語です」という言葉もあるのです。
「梅雨空に、秘められしかな、汝が恵み」・・・恥かしながら、かつて教会の俳句会の末席に名を連ねた俳句会系クリスチャンの私の一句です。

今にも泣き出しそうな梅雨空を見ていましたら、雨というものはある意味、自分にとっては極めて不都合である一方、農業を営む誰かには待望の“恵みの雨”かもしれないと思い至り、また、そんな雨の恵みは巡り巡って、この私のためにも降り注いでいるのだということに、はっと気付かされた、という次第です。
“Every cloud has a silver lining.”・・・これはあるジャズのナンバーのさびのフレーズですが、その意味するところは「どんな暗雲にも太陽の存在をほのめかす銀色の縁どりがある!」というものです。
あの暗雲、梅雨空の向こうにも太陽が輝いているように、私たちの心の暗雲の背後にも必ずや輝く主の救いや備えがあることを覚えたいと思います。
読んで下さいました皆様、お一人お一人に、主なる神様の平安が豊かにありますように! シャローム!!!
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