人は人生のどこかで迷い、「自分はいったい何がしたいのか」と問いかけ自分探しをします。このプロセスで、特に若者は自分の能力や価値観を探り、自己評価をしようとします。中には劣等感に悩む人もいます。しかし、一人で悩んでいては、蟻地獄のような泥沼に入りかねません。自分探しをキリストに聞いてみてはいかがでしょうか。
自分探しの旅路
人生にはいろいろな選択肢があります。その選択肢の中で、どこを目指したらいいのでしょうか。何事も未知の世界です。やってみなければ、分からないことだらけです。人は、何か分からないけれど、何かを求めて生きています。そしてその何かを求めて、駆け抜けて来たけれど、求めていたものとは違っていたというようなことはないでしょうか。人は「何か分からないけれど、何かを求めて生きている」哀れな存在かもしれません。
自分探しが目的になってしまったら、本末転倒です。自分が誰なのか、何のために生きているのか、どのような能力があり、何が出来るのかを知り、その先に目的、目標があるからです。間違った自分探しの方法を選ぶのは、ちょうどハシゴをかけて屋根の上に行くようなものです。上に行ったけど、欲しいものがありません。ハシゴが外されてしまっている時もあります。下に戻りたいけど、戻れないような状態です。
このような状況にならないためにも、イエス・キリストに自分探しについて聞いてみてはいかがでしょうか。
私たち人間の恐怖や不安
マタイ10章26-31節を読んでみましょう。
生きている限り、私たちは多くのものに恐怖や不安を覚えます。たとえば、地震や台風のような自然災害です。戦争や犯罪のような他の人間がやることに対しても、私たち人間は同様に恐れます。不安が煽られるでしょう。しかしそのような事は、起こるべくして起きます。神様の支配の下にあるのです。
体は殺しても、魂を殺すことはできない物や人を恐れる必要はありません。達観的にいえば、遅かれ早かれ私たちは死ぬのですから。むしろ、この人生をどのように生きるかを考える方が、よほど大切です。キリストが示す道について考えてみましょう。魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れるのが、幸せに生きるための最善の道です。なぜなら、私たち一人一人が、創造主なる神様によって創られているからです。創造主が、私たち人間がどのように生きるべきかを、一番よく知っているのです。
あなたはユニークな存在
「あなたはユニークな存在である」ことをご存じでしょうか。髪の毛の本数さえも、神様によって数えられているほど、一人一人がユニークな存在なのです。この世にあるものすべてに、デザインがあると言えないのでしょうか。デザインがあれば、デザイナーがいて当然です。デザイナーは、デザインしたものの目的、何のために使われるべきかを知っています。私たち人間も同じです。
創造主なる神様に、私たちのデザインと目的を聞かずして、自分探しは出来るのでしょうか。不可能だと私は思います。自分探しとは、人間本来の生き方を知ることです。そこには一本の道が用意されています。
人間本来の生き方を見つけるために
主イエス・キリストは、私たちに人間本来の生き方を教えています。その生き方は、主イエス・キリストが示している1本道にあります。私自身も、20代の頃、罪によって自分自身の心と身体を傷つけながら、空しく生きていました。それでも、何か確かなものはないかと、求めて生きていましたが、デザイナーから離れているのですから、見つかるはずはないのです。
人間には、誰にでも霊的なDNAが心にあります。その霊的なDNAは、罪によって傷ついていますが、主イエスによって呼び起こされるのです。主イエスのことばによって、再起不能からよみがえることができます。創造主なる神様との関係をもって、人間本来の生き方を見つけられます。この一本道には、この暗闇の世の中においても常に光があり、安心して人生の旅路を送れるのです。あなたも主イエス・キリストに人生を委ねてみませんか。
