コンテンツへスキップ 投稿日:2026年3月27日/更新日:2026年3月27日
HOME » 聖書入門サイト » 未分類 » 他責思考-現代社会が生んだ歪んだ思考

他責思考-現代社会が生んだ歪んだ思考

他責思考

自分がミスを犯した時、人間は責任逃れをしたくなります。これも人間の性、罪の現れです。責任転嫁は人間の専売特許です。最近では、責任転嫁は他責思考とも呼ばれるようです。「自分は悪くない。こうなったのは、~のせいだ」と他に責任を押し付けます。他責思考は、現代社会が生んだ歪んだ思考ではないでしょうか。実例を挙げながら、狂った世の中に氾濫している他責思考の元を探ります。

他責思考が裁判で勝訴

アメリカ、カリフォルニアで、メタとグーグルに対して、ある女性が起こしていた裁判に、最近(2026年3月26日)判決が下りました。

この女性は、子どもの頃にソーシャルメディアに依存するようになったとして、MetaとGoogleを相手に損害賠償を求める裁判を起こしていました。

私はこの判決の記事を2‐3度と読み返しました。それだけ衝撃的だったのです。つまり、この女性が依存症になった原因をつくったのは、運営会社にあったと認めたのです。この女性の訴えそのものが、他責思考の現れです。また公に、裁判所が、他責思考は合法的である、世の中の基準であると認めたのです。これこそ、他責思考が社会全体に蔓延している証拠でもあります。

凶悪な殺人罪も他責?

この狂った世の中では、様々な犯罪が犯されます。もっとも恐ろしい犯罪は殺人でしょう。凶悪な殺人罪でさえ、他責として扱われることがあるのです。

犯罪を犯した人に、判断能力があったかどうかが問われます。もっと簡単な言い方をすれば、その人が精神的な病にかかっていなかったか、気が狂っていたのかが検証されるのです。もしその被疑者に判断能力も責任能力もなかったと、裁判所が決定するとどうなるのでしょうか。驚くなかれ、その人は無罪になる可能性が大なのです。

どんな理由にせよ、人を殺そうと思った時点で、人は多少なりとも精神的な病にあるのではないでしょうか。「人を切り刻んで、自分の家の中に置いていた」小説に出てくるような実話も、実際に起きているのです。確かに、このような人は気が狂っているとしか思えません。これほど血なまぐさい殺人でなくても、毒殺でも人が意図的に他人を殺す時は、気が狂っていると私は思います。極端に他責的に考えれば、すべての犯罪者たちは、精神的に病にあるとも言えます。もしそうであれば、すべての犯罪者は無罪放免になってしまいます。

他責思考の原因

自己責任で考えずに、他責思考になってしまう原因は何でしょうか。もちろん、人間の罪が根っこにあるのは間違いありません。しかし現代社会では、人間が(特に日本人は)主体性を失っているのではないかと思うのです。たとえば、人間関係での言動を現す表現にも表れています。

  • パワハラされた、受けた
  • セクハラされた、受けた
  • モラハラされた、受けた

このような場合、人は受け身です。人の言動を受ける側に立ちます。パワハラ、セクハラ、モラハラをする方に責任があるのであって、受ける側にないのです。なぜなら、受ける側は被害者だからです。「自分がどのようにハラスメントに対応するか」という責任は、まったく議論にも上りません。それは、まさに論外なのです。ハラスメント思考は、現代社会の他責思考の一片を現しているのではないでしょうか。

他責思考ではなく自己責任で生きる

21世紀の混迷した世の中だからこそ、他責思考ではなく自己責任で生きる必要があると私は思います。地べたに足をつけて、しっかり自分の足で歩いて行く、生きていって、人は初めて成長できると思います。他の記事で、「自分を生きる意味」について書いています。参考にしていただければ、幸いです。

人が他責思考で生きている限り、自分の自由と責任を管理は出来ません。自分の人生の行く道を選んでいるのは、自分自身です。たとえ、他人からアドバイスを受けたとしても、そのアドバイスを受け入れるか否かは、自分自身で決めます。人は他の人のために生きることは出来ません。他の人を助けたり、支えたりすることは出来ますが、代わりに生きることは出来ません。

読者の皆様は、他責思考で生きているでしょうか。自責思考で生きているでしょうか。当たり前だと思っている事でも、実は自分の成長には役立っていない場合もあります。他責思考は、顕著たるその一例だと思います。皆様は、他責思考について、どのようにお考えでしょうか。

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください