ゴスペルとは何でしょうか。一般的には、黒人霊歌と考えられています。しかし、ゴスペルといいうことばは、新約聖書のオリジナル言語であるギリシャ語聖書に出てくる単語です。日本語聖書では福音と翻訳されています。福音という言葉を初めて聞いた方もいるかもしれません。直訳すると「良い知らせ」です。「良い知らせ」であるキリストの福音は、私たち人間にとってどんな意味があるのでしょうか。
創造主なる神様が創った世界
神様は、天地万物を完全な平和がある地として創造されました。太陽、月、星がそれぞれの目的に従って創られ、また動植物、海の魚類を創造されたのです。その創造されたものを見て、神様は良しとされたのです。
そして、この創造のプロセスで、神様は人をご自身に似せられた者として男と女とに創造されました。他の動植物とは区別して創られたのです。神様は、人に「地に満ちよ、地を従えよ、地上に生きるもの、すべての生物を支配せよ」と命じました。
人間には、地に生える木の実が食物として与えれれ、地の獣と空の鳥と地にはうすべての生き物には緑の草が食物として与えられていたのです。自然のすべてが調和を保ち、神様の平安が地上にあったのです。
神様から離れた人間が生きる世界
ところが、人は神様の命令に背き、食べてはいけないと言われた知識の木の実を食べて、神様から離れて生きようになりました。人間の罪の歴史が始まりました。その結果、人間に6つの苦しみが与えられるようになったのです。
- すべての人間は神様から離れた存在になり、神様を悲しませる存在であり、神様の敵ともいえるような存在になってしまったのです。
- 悪魔が、人間に対して常にだまそうとする敵になりました。
- すべての人間に、肉体の死が訪れるようになりました。
- 女性は子供を産む苦しみを味わうようになりました。
- 自然は、人間に対して牙をむき、自然災害などで人間を苦しめるようになりました。
- さらに、過酷な自然の中で人間は食べるために働かなければならなくなりました。
この結果、人間はこの時以来、神様から離れた世界で生きるようになったのです。この世界を見回してください。どんな社会で私たちは生きているのでしょうか。世の中を見たりニュースを聞いたり、また人々の会話から、世界も人も傷ついていると感じないでしょうか。
実際、人間はお互いに傷つけあう世界に生きているのです。戦争は終わることがありません。戦争反対と平和主義者の方々が声を大にして叫んでも、いつの時代でも戦争は続いています。原子力反対を叫んでも、罪深い人間には無駄な努力です。
身近な日本社会を見回してください。犯罪は増える一方です。政治の不正は減るどころか、増える一方です。芸能界の不祥事はどうでしょうか。愚かな人間は、神様から離れて罪を犯し続けているではないでしょうか。現代社会が便利になった分だけ、人間の罪深さが増え続けているのです。便利になっても、私たちは悩み多き生活を送っているのではないでしょうか。
人は罪の世界から抜け出そうとするが
人は、この苦しい世界から何とか抜け出そうとします。ある人はお金に、あるいは成功に、あるいは権力に逃げ場を求めようとしています。一攫千金を夢見て、宝くじをどのくらいの人たちが買うのでしょうか。都会で忙しく働いている人たちは、仕事に懸命に励んでいますが、目が疲れているのに気づかされます。
そのようなプレシャーに耐え切れずに、ある人は麻薬に走ります。また多くの人たちはお酒という合法的な薬物に逃げ場を求めます。一時的な気休めになっても、翌日には暗い現実が待っているのです。またある人たちは、道徳や宗教に救いの希望を求めようとしますが、人間が考えつく道徳や宗教に救いはありません。
どのような手段を使っても、人間は神様のもとに行くことも出来ないのです。最初に神様が創ってくださった完全な関係に戻ることは出来ないのです。では人間はどうすれば良いのでしょうか。このまま、争いごとを続けてお互いを滅ぼし合うのでしょうか。テモテ第一2章-教会での女性の働き

イエス・キリストの福音、ゴスペル
神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。御子を信じる者は裁かれない。信じない者は既に裁かれている。神の独り子の名を信じていないからである。光が世に来たのに、人々はその行いが悪いので、光よりも闇の方を好んだ。それが、もう裁きになっている。悪を行う者は皆、光を憎み、その行いが明るみに出されるのを恐れて、光の方に来ないからである。しかし、真理を行う者は光の方に来る。その行いが神に導かれてなされたということが、明らかになるために。ヨハネ3章16-21節 聖書協会
父なる神様は、人間を罪の呪縛から救うために、独り子である方を人として生まれさせたのです。神様の契約が与えられたイスラエル民族の一人として、イエス・キリストは生まれました。
神様の最初の契約は、イスラエルの民だけに与えられましたが、イエス・キリストの福音は全人類に語られています。イエス・キリストを信じる者は、人種、肌の色、国籍、民族、例外なく、神様の祝福を受けるのです。これが、「良い知らせ」です。キリストの福音なのです。
イエス・キリストは、人間を裁くために、天から降りてきたのではありません。むしろ、神様の永遠の愛を宣べ伝えるために、暗闇にいる私たち人間に来たのです。キリストは、私たち一人一人に招待状を送っています。どう応えるべきでしょうか。
私たちは、暗闇に留まるべきでしょうか。この狂った人間社会に弄ばれて生き続けるべきでしょうか。それとも、主イエス・キリストが与えて下さる光に行くべきでしょうか。
イエス再び言われた。「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」ヨハネ8章12節 聖書協会
人間は暗闇の迷路で生きています。自分がどこにいるのか分かりません。どこから来て、どこへ向かおうとしてしているのかも知らないで、さ迷い歩いているのです。主イエス・キリストを心から信頼して、神様の大いなる祝福を受けましょう。これは宗教ではありません。主イエス・キリストに従う生き方です。ライフ・スタイルです。キリストを信じる者は誰でも、私たちを創造してくださった神様に近づき礼拝することが出来るのです。これが「良い知らせ」であり、キリストの福音なのです。
イエス・キリストは、天にいらして父なる神の右の座にお座りになっているのです。天地万物のすべての権威が与えられており、悪魔を支配するすべての王の王であり、すべての師の師です。この方はいつかまた人間の前に現れます。誰一人として気づかないことはありません。この方が再臨されるとき、この世の終わりが来て、死んだ人も生きている人もすべての人間が裁かれるのです。だから、イエス・キリストの福音を信じて、神様に立ち返りましょう。