主イエス・キリストが建てる聖書的な教会の7つの特徴について考えます。キリスト教には、カトリックを始まりプロテスタンまで、星の数ほど教団、教派がありますが、どの教会が主イエス・キリストの御心に適った教会なのでしょうか。また各教派、教団にはそれぞれの伝統があり、その伝統に基づいて教会運営が行われています。教会において、最低限これだけは守っておきたい原理、原則はあるのでしょうか。
イエス・キリストの約束
キリストは約束しています。「 わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない」(マタイ16・18)。陰府とは、悪魔がもたらした死の世界を指す言葉です。キリストが建てる教会には、死の世界の力さえ対抗できません。
教会 (教会という言葉は、キリスト教の専門用語ではありません。他の宗教においても使われています。)と訳されている単語「エクレシア」は、もともと集会や共同体という意味があります(使徒19章32、39,40節)。ですから、本来、「教会」は共同体と訳されるべきです。この共同体の特徴を7つ挙げてみます。

イエス・キリストだけが人生の師と告白する共同体
マタイ23章2-10節を読んでみましょう。教会の頭は主イエス・キリストだけです。この方だけが、クリスチャンの人生の師であり人生の先生です。教会という共同体のすべてを支配している方です。ところが人間が作る教会には、多くの人生の師、人生の先生と呼ばれる人たちがいます。よく考えてみると、その方々も私たちと同じように罪人に過ぎません。
クリスチャンは、主イエス様から直接学ぶことが出来ます。説教者の説教というフィルターを通さなくても、聖霊によって導かれて主イエス様の教えを理解して、神の御心を知ることが出来るのです。
上下関係ではなく、兄弟姉妹としてつながっている共同体
人間が作る教会の中には、ピラミッド型の組織をもっている多くの教会が存在します。一般の会社と同じようにピラミッド型の組織を作っている教会には、当然のごとく上下関係があります。上下関係があれば、下にいる人は上にいる人に従う義務があるでしょう。しかし、へブル13章17節のような聖句をどのように理解すべきでしょうか。
リーダーに従うべき?
教会のリーダーたちに従うのは、無条件ではありません。そのリーダーたちが、神の僕としての働きをしていることが前提となります。教会のリーダーたちは、権威をありません。この世の基準では上の人たちが、下の人たちを支配して権力を振るいますが、教会ではそのような上に立っている人たちが、主の僕として人々に仕えるのです。そのようなリーダーには、主は従いなさいと教えているのです。マルコ10章42-45節を読んでみましょう。
上下関係ではなく
本来の教会には、上下関係の組織はありません。役割の違いがあったとしても、教会内には上下関係の人間関係は存在しないのです。あるクリスチャンが、他のクリスチャンの上に立つ権威をもつようなことはありません。なぜでしょうか。主イエス・キリスト以外は、皆、罪深い者だからです。クリスチャンは、上下関係でつながっているのではなくて、主イエス・キリストの兄弟姉妹としてつながっているのです。
主イエス・キリストの契約に与っている「主の弟子」の共同体
教会は、主イエス・キリストの弟子であるクリスチャンの集まりです。主イエスと師弟関係をもっている人たちの集合体です。この師弟関係ゆえに、クリスチャンは主イエスから学び続けます。聖霊なる神様を通して、主イエス様は直接、私たちに話しかけてくださっています。教え導いてくださっているのです。エペソ4章12-16節を読んでみましょう。
教会は、主の弟子であるクリスチャン同士が、契約を結んでいる共同体でもあります。クリスチャンは、孤立して存在することはできません。お互いに支え合う契約を、クリスチャンは結んでいるのです。クリスチャン同士が支えあう関係の中で、主イエス様は、教会メンバーそれぞれに大切な賜物として能力を与えてくださっています。その賜物を使うことによって、またお互いにつながり励まし合うことによってクリスチャンは成長していくのです。

神の聖霊が宿っている共同体
一人一人のクリスチャンは、神の恵みの保障として神の聖霊をいただいています。神の聖霊は、神の律法としてクリスチャンの心に宿っています。神の聖霊によって、クリスチャンは神をもっと深く知ることができるのです。クリスチャンが選ばれたという証しであり、御国を受け継ぐという保証でもあるのです。
聖霊に働きはそれだけではありません。私たちが何を祈っていいのかわからない時でも、私たちの心のうめきを聞き導き、父なる神とつなげてくださいます。聖霊は、クリスチャンの祈りのエージェントでもあるのです。
主イエスは、「世の終わりのときまで、いつもクリスチャンといる」と約束されました。主イエスは、聖霊としてクリスチャンと共にいるのです。本物の教会には、主イエスの聖霊がクリスチャンの絆として働いてくださっています。
神の聖霊による自浄能力がある共同体
クリスチャンが生身の人間として生きているように、教会も生きています。クリスチャンがサタンにだまされ霊的に病気になることがあるように、教会も病気にかかることがあります。しかし、本当の教会は、聖霊による自浄作用によって、そのような霊的病気から癒されるのです。
主イエス様を信じてバプテスマを受けた人たちは、主の聖霊によって新しく生まれた人たちです。一人一人のクリスチャンはみな、聖霊のバプテスマを受けているのです。聖霊の力は、ヒットり一人のクリスチャンに働き、また教会全体にも働いています。だから、自浄能力があるのです。
主イエス様は2‐3人が主の名によって集まるところには、主もおられると約束されています。聖霊が主の霊として、教会に宿っているのです。聖霊が働いている教会では、教会のリーダーが聞きたくない事であっても、善を善、悪を悪とハッキリと言える雰囲気があります。そのような態度を、一人一人のクリスチャンをもっています。

イエス・キリストが愛したようにお互いに愛し合う共同体
本物の教会では、クリスチャン同士が、主イエス・キリストが愛してくださったように、お互いに愛し合います。お互いに受け入れ合い、赦し合い、支え合います。キリストの愛が、クリスチャン同士を共同体として結び付けているのです。エペソ4章30-32節を読んでみましょう。
クリスチャンも罪人である人間です。人間関係で誤解をすることもあります。しかし、そんなことがあっても、本物の教会のクリスチャンは、お互いに赦し合うことができるのです。
この世の光として地の塩として善を行う共同体
マタイ5章13節ー16節を読んでみましょう。主イエス・キリストは、この混迷した罪深い世にあって、神の愛の言葉を話しました。主キリストの弟子であるクリスチャンにも、同じ使命を与えました。教会は、善を行い神の栄光を現すために存在しているのです。教会のリーダーと思われる牧師だけが、地の塩、世の光として御言葉を取り次いでいるのではありません。一人一人のクリスチャンが、他の人々にキリストの愛を分かち合うように命令されているのです。
結論
主イエス・キリストが建てている教会について考えてみました。いかがでしたか。教会は、人間の伝統の産物ではありません。神様の権威によって創られました。ところが人間は、長い歴史の中で組織やルールを作りました。人間が作る教会には、信者を縛り付けるようなルール・規則があります。
しかし、このようなことは、神様の御心に適っているでしょうか。主イエス・キリストが建てている教会を求めましょう。そのような教会になれるように、心から祈りましょう。皆様のご意見とご感想を、どうぞコメント欄にお書きください。
