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コンテンツへスキップ 投稿日:2022年8月17日/更新日:2025年12月3日

キリストによって生きる新しい生き方-エペソ4章17節

青空の下にある十字架にひれ伏す男性

罪にどのように対処するか、キリストによって生きる新しい生き方が、エペソの手紙4章17節‐5章21節に解き明かされています。この世は罪で満たされています。この罪に対して、クリスチャンは免疫を持っている訳ではありません。罪を悔い改める新しい生き方が示されています。

そこで、わたしは主によって強く勧めます。もはや、異邦人と同じように歩んではなりません。彼らは愚かな考えに従って歩み、知性は暗くなり、彼らの中にある無知とその心のかたくなさのために、神の命から遠く離れています。そして、無感覚になって放縦な生活をし、あらゆるふしだらな行いにふけってとどまるところを知りません。しかし、あなたがたは、キリストをこのように学んだのではありません。エペソ人への手紙4章17-20節 聖書協会

新しい生き方

人間の愚かな考えと知性

1章―3章では救いの神学が説明されています。それに対して、4章からは実際の生活において、クリスチャンがどのような生活を送るべきかが解き明かされています。特に4章17節―5章20節では、異邦人の生活とクリスチャンの生活が対比されており、クリスチャンは古い自分を捨てて、主イエス・キリストによって新しくされている真理が語られています。この箇所は少々長いですが、文脈に沿って読むことにより、パウロの真意をより明確に理解できると思います。

あなたがたは神に愛されている子供ですから、神に倣う者となりなさい。キリストがわたしたちを愛して、御自分を香りのよい供え物、つまり、いけにえとしてわたしたちのために神に献げてくださったように、あなたがたも愛によって歩みなさい。あなたがたの間では、聖なる者にふさわしく、みだらなことやいろいろの汚れたこと、あるいは貪欲なことを口にしてはなりません。卑わいな言葉や愚かな話、下品な冗談もふさわしいものではありません。それよりも、感謝を表しなさい。すべてみだらな者、汚れた者、また貪欲な者、つまり、偶像礼拝者は、キリストと神との国を受け継ぐことはできません。このことをよくわきまえなさい。むなしい言葉に惑わされてはなりません。これらの行いのゆえに、神の怒りは不従順な者たちに下るのです。だから、彼らの仲間に引き入れられないようにしなさい。あなたがたは、以前には暗闇でしたが、今は主に結ばれて、光となっています。光の子として歩みなさい。何が主に喜ばれるかを吟味しなさい。実を結ばない暗闇の業に加わらないで、むしろ、それを明るみに出しなさい。彼らがひそかに行っているのは、口にするのも恥ずかしいことなのです。しかし、すべてのものは光にさらされて、明らかにされます。明らかにされるものはみな、光となるのです。それで、こう言われています。「眠りについている者、起きよ。死者の中から立ち上がれ。そうすれば、キリストはあなたを照らされる。」愚かな者としてではなく、賢い者として、細かく気を配って歩みなさい。時をよく用いなさい。今は悪い時代なのです。酒に酔いしれてはなりません。それは身を持ち崩すもとです。むしろ、霊に満たされ、詩編と賛歌と霊的な歌によって語り合い、主に向かって心からほめ歌いなさい。そして、いつも、あらゆることについて、わたしたちの主イエス・キリストの名により、父である神に感謝しなさい。エペソ人への手紙5章1-20節 聖書協会

この箇所で一貫してあるテーマが「暗闇と光の対照」です。罪にある者は、暗闇の中にいてその知性が無感覚になってしまいます。霊的な目が閉ざされ、何が真実で何が偽りなのかも分らなくなってしまうのです。この真理はいつの時代も変わりません。

1世紀の古代ローマ社会と同じように、偶像崇拝は日本のいたるところで見られます。宗教と言う意味で、霊的に盲目になっている状態です。また、お酒という媒体を通して、人はストレスの原因になっているこの世の悪から逃れようとします。しかし、これは一時的な逃避に過ぎません。

パウロは、エペソのクリスチャンにこのような生き方はもう捨てなさいと勧めています。クリスチャンになって間もない人たちは、過去の悪い習慣、考え方を引きずっていたかもしれません。クリスチャンであれば、バプテスマの日からすべて180度転換して当然と考えられますが、そのようにはなりません。罪人なる人間ゆえに、簡単にはいかないのです。この聖句は次の真理を明らかにしています。

  • 罪との戦いは、クリスチャンである限り続くということ
  • 悔い改めは、日々意識的に、継続的に行われるべきであること

パウロは、クリスチャンに対して、まるで未信者のように諭しています。これは非常に興味深いところです。6章の後半部分と合わせて読んでみると、パウロの戒めはより鮮明になります。悪魔は、クリスチャンの信仰を弱めるためにあらゆる手段を用います。最終的に、世界中が創造主なる神を呪うように策略を練ります。そんな悪魔に対して、クリスチャンは無防備になりがちです。だからこそ、クリスチャンは常に悔い改めの心を忘れてはならないのです。霊的な目をきちんと開いて、主イエス・キリストから目を離さないで、一歩一歩を確実に歩む必要があります。

新しい生き方
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古い生き方と新しい生き方

古い生き方新しい生き方
知性が暗くなった霊によって新しくなった
道徳的に無感覚真理に基づく義なる生活
好色と情欲真理に基づく聖なる生活
嘘偽り真実を語る
怒り怒りを止める
盗み人に施しをする
悪い言葉人のためになる言葉
無慈悲、憤り親切
叫び、そしりお互いに赦しあう
愚かな話主に喜ばれる
偶像礼拝神を礼拝する
暗闇のわざ光のわざ
愚かな人主の御心を知る
酒に酔う主に向かって賛美する

罪は腐った食べ物にたとえられます。食べれば病気になってしまうでしょう。食べれば腹痛をおこし、嘔吐したり下痢もしてしまいます。それと同じで、クリスチャンも罪の中に生きていれば病気になります。腐った食べ物を吐き出すように、罪をすべて吐き出さなければなりません。

パウロは、罪である闇の行いが私たちを霊的に盲目にしてしまい、神の御国から追いやってしまうとハッキリと言っています。上記の表で、クリスチャンになる前、なった後を対比してみました。なぜこのような警告が与えられているのでしょうか。それは、クリスチャンも罪人であり、また元のライフスタイルに戻ってしまう可能性があるからです。罪の現実は、クリスチャンになっても変わりはありません。クリスチャンも、罪人ゆえに時には罪に躓いてしまうこともあります。だからこそ、常に自分を吟味して、神様の御前で主イエス様の名によって祈り、罪を告白しましょう。

新しい生き方

悪い時代

社会は常に変化しているように思えます。最近の世の中は、コロナ禍も相まって、ますます暗くなってきています。文字通り、この世の中は暗闇の中に入ってしまったようです。しかし、「歴史は繰り返される」と言われます。コロナのような感染病が流行するのは、人類の歴史で繰り返されてきました。実は、今の時代もパウロがエペソの手紙を書いた時代とさほど変わりはないのです。エペソ5章16節が書いているように、いつの世も悪い時代なのです。

愚かな者としてではなく、賢い者として、細かく気を配って歩みなさい。時をよく用いなさい。今は悪い時代なのです。だから、無分別な者とならず、主の御心が何であるかを悟りなさい。…むしろ、霊に満たされ、詩編と賛歌と霊的な歌によって語り合い、主に向かって心からほめ歌いなさい。(エペソ5章15節-19節)

悪魔は、神様が私たちに与えてくださっている貴重な命と時間を盗もうとしています。人生を無駄使いする一番の早道は、悪魔の声に従うことです。残念ながら、この世の中には神様の支配に身を置いている人よりも、悪魔の支配に身を置いている人の方が圧倒的に多いのです。悪魔が作る流れに流されるままに生きていけば、破滅の道が待っています。このような世の中で生きているクリスチャンは、主の御心が何かをよくよく見極めなければなりません。

この悪い時代に、クリスチャンとして生きていくには、湧き水のように延々と流れ出る聖霊の力によって満たされる必要があります。主イエス・キリストに目を向けて、神様を褒め称え、賛美の歌声をあげるのが一番の薬です。賛美は一人でも出来ます。一人賛美で心が洗われたような気がするのは私だけでしょうか。礼拝の賛美よりも、新鮮に聞こえてしまうときがあります。かといって礼拝の賛美が悪いと言うわけではありません。一人賛美は、心を神様に向けやすいのかもしれません。読者の皆様にも、一人賛美をぜひお勧めします。

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