管理人の20代の時の人生は、たとえて言うならば、嵐に翻弄され続けた辛酸の人生でした。悔い改めて私のような再生不可能な人間でも、主キリストによって再生されました。その経緯を説明してみます。自分の職歴や学歴を書いた記事もあります。
パチンコ玉になった辛酸の人生
パチンコ玉になったと想像してみて・・・
管理人は、「自分がパチンコ台に打たれたパチンコ玉のようだった」と思っています。パチンコ玉が釘に当たり跳ね返り、徐々に下に落ちていき、最後には流されてゴミになっていくような、夢も希望もない人生でした。自分が行きたい所もわからず、行く先は「釘に聞いてくれ」としか言いようがない、悲しい空しい人生でした。何の指針もない、目的や目標もない、行き当たりばったりの人生でした。
パチンコ玉人生をやってる私自身は、自分がそんな空しい生き方をしているなんて気が付きませんでした。自分なりに懸命に努力していたつもりでした。ちょうど壊れている自転車に乗っているようなものです。自転車のペダルを踏み続けますが、前に進んでくれません。逆に、後ろに下がっているような感じです。ペダルもすごく重く感じるのです。だから、何をやってもうまくいかないのです。
パチンコ玉人生の現実
行き当たりばったりの人生は、結構疲れます。パチンコの玉が、あちこちに当たります。玉が釘に当たるたびに、生身の人間は傷を負っていきます。パチンコ玉は徐々に下って穴に落ちていきますが、生身の人間は下に行くにしたがって重荷も増してきます。自分が奈落の底に落ちていくのを、実感するのもこんな時です。
私の20代の頃、特に印象的だった出来事があります。それは、友人との関係が突然壊れた時です。その時、私は自分の人生がどれほど無意味で、孤独であるかを痛感しました。友人との思い出や楽しい時間が一瞬で消えてしまったように感じ、心の底から悲しみがこみ上げてきました。これは、私が今振り返っても非常に辛く、悔しい経験でしたが、その経験が私を変え、悔い改めの道へ導いてくれたのです。
私のような経験を持つ人は、意外に多いのではないでしょうか。実際、多くの人が自分の過去を悔い、そこから抜け出せずにいると思います。パチンコ玉のように、人生の中で行き当たりばったりの状態が続くと、心の中にある夢や希望も次第に消え去ってしまいます。どうすることもできず、ただ日々の生活を消化するだけの状態になってしまうのです。

クリスチャンの友人に相談して
パチンコ玉人生から脱却するために
このような人生を送っているとき、私は一度だけ友人に相談したことがあります。彼は私に、人生の目標を持つことの重要性を教えてくれました。彼の言葉は、私にとって目から鱗のようなものでした。目標を持つことで、自分がどれだけ無駄に生きていたかを思い知らされました。それ以降、少しずつですが、目標に向かって努力するようになったのです。
パチンコ玉のような人生から脱却するためには、時には自分自身を見つめ直す必要がありました。自分にとって本当に大切なものは何か、何を成し遂げたいのかを考えなければなりません。私はその過程で、キリスト教の教えに触れる機会がありました。信仰を持つことで、ただのパチンコ玉ではなく、自分の意思で進むことができる人生が待っていることに気づいたのです。
奈落の底で見た主イエスの光
人生の中で、何度も失敗や挫折を経験してきました。特に、仕事での失敗は、私にとって非常に堪えがたうものでした。頑張っても結果が出ず、周囲からも評価されない日々が続くことに、次第に気力を失っていました。しかし、そのような時期も必ず終わりが来ると、信じて努力し続けました。
パチンコ玉人生を歩む人は、それなりに努力をします。しかし、実際は、行き当たりばったりの習慣は直っていませんから、自分の力でもがけばもがく程、下に落ちていくのです。人生の嵐に翻弄され、疲れ果てて、最後には死ぬしかないかな?のように感じた時もありました。ではどうすればよいのでしょか。管理人の場合は、主イエス・キリストに希望の光を見出しました。
イエス・キリストとの出会い
私の人生の方向性が変わったのは、ある特別な出会いがきっかけでした。その人物は、私に対して無条件の愛を示してくれました。その優しさに触れることで、自分自身を見つめ直す機会を得たのです。彼の存在は、私にとって光のようなものでした。その後、私も他者に対して同じような愛を持つことができるようになりたい、と強く思うようになったのです。
新たな価値観を持つことで、他の人々と共に生きる喜びを実感できるようになりました。共感することや、他人を理解することの大切さを学びました。これまでの人生で感じていた孤独感が薄れ、今では周囲の人々と深い絆を持つことができています。
キリストへの信仰は、うまく説明できませんが、安心感を私に与えてくれました。日々の生活の中で、感謝の気持ちを忘れずに、過ごすことができるようになりました。周囲の人々にも感謝し、愛を持って接することができるようになったのです。このような心の変化が、私の人生を豊かにしてくれています。

悔い改めの道を行き始める
どんな過去をもった人でも、どんな悪い習慣をもった人でも、人はキリストによって変えられます。私自身が生き証人です。
多くの人が、過去を悔いて過去に生きています。悔やんで悔やみ続けて、時間がそこで止まっている状態です。このような人は、世間を怨み、他人を怨み、自分がこの世で一番不幸な人間だと思っているかもしれません。私自身、世界中の不幸を、自分一人で背負っているように思えました。最初から出直したいと思っていますが、それもできないでいるのです。「時間を返してくれ」と心の中で叫んでいました。
しかし、管理人には過去を悔いている暇はありませんでした。すぐさま、主イエス・キリストに助けを求めたのです。信仰の道に行くために、管理人は、愚か者だったので、ここでも結構遠回りをして、紆余曲折を経験しました。
このように、人生の方向転換で、新たな一歩を踏み出すことができました。過去を振り返ることは時に辛いですが、その経験がなければ、今の自分は存在しないと思います。自分の過去を受け入れることで、未来に向けた希望が生まれるのです。今では、悔い改めが、私の人生の重要な一部となっています。

人生再生は主イエス・キリストにしかできない
人生再生を4つの視点から見ると…
この世の中には、人生再生の観点で言えば4種類の人間がいるように思えます。
- 一番目は、自分の人生に多少なりとも迷いはあったとしても、人生再生など必要ないと思っている人たちです。
- 2番目は、管理人のようにパチンコ玉人生を送って、人生再生したいのだけれども、どこに行っていいかわからなくて迷っている人たちです。
- 3番目は、人生再生を他の宗教や趣味に見出した人たちです。
- 最後の4番目は、主イエス・キリストに助けを求めて、主キリストに光を見出した人たちです。
主イエス・キリストに人生を委ねる時
すべての人間にはまるキリストの道
管理人は、主キリストを受け入れない人たちを否定するつもりなど毛頭ありません。ただ確信を持って言えることは、主イエス・キリストが教える人生の生き方は、すべての人間にぴたっと当てはまるように思います。
本来の人間の姿の生き方が示されています。私たち人間の創造主なる神との関係を持ち、隣人を自分のように愛するように、すべての人間は創られているのです。
行き当たりばったりから抜け出して
パチンコ玉人生は、疲れるだけの辛いだけです。主キリストは、パチンコ台から抜け出す道を、私たちに示してくださいます。この道には、暗闇の中でも一筋の光がいつも目の前を照らしています。キリストが教える道を学んで、後悔は致しません。
私たち人間は、自分の欲望に駆られて生きていきがちです。その結果は、迷路に入り込むように、迷走するのです。キリストを知らなければ、誰もが迷路に入っているとは思えません。しかし、私が確信をもっていることがあります。もし迷路に入っている人と自覚しているのであれば、キリストの教えを試すのは一生一度の大チャンスです。ぜひ試してみてください。
皆さんもぜひ、自分自身の人生を見つめ直し、悔い改めの道を歩んでみてください。主イエス・キリストが教えてくれる生き方は、必ずあなたを変えてくれると信じています。私の経験が少しでも役に立てれば嬉しいです。
