アメリカ人の多くの方々は、政治的な理由で戦争加担に賛成しています。これは他国の事だからと見逃せない理由が、日本人クリスチャンにはあります。 なぜなら、多くのプロテスタントの日本人クリスチャンは、アメリカのキリスト教に影響されているからです。アメリカの戦争をクリスチャンはどう考えるのでしょうか。
アメリカの戦争の歴史
戦後、アメリカは戦争を繰り返してきました。1950年に始めた朝鮮戦争から小さな戦争を含めると、なんと現在まで38 の内戦や紛争に加担してきています。結果的に、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争のような大きな戦争にも発展していきました。現在でも、アメリカの中東での戦争は続いています。この国は、戦争をやめることがないのでしょうか。
- 外部リンク Wikpedia アメリカ合衆国が関与した戦争一覧
- 戦争と平和 神の御心
この意味では、アメリカ合衆国は、世界一の戦争大国と言ってもいいでしょう。この戦争大国アメリカにおいて、衰えたとはいえ、いまだキリスト教を信じる人が大勢いるのです。さらに多くのアメリカ人のクリスチャンの方々は、戦争参加の是非に否定しないのです。

アメリカのキリスト教の文化と戦争
アメリカの文化の大きな部分として、個人主義(自由と独立)がありますが、それに加えて開拓者精神、困難に打ち勝つ精神(フロンティア・スピリット)があります。開拓者たちがインディアンたちと戦って、領土を勝ち取りました。この勝利の方程式が、国際政治にも影響されています。やられたら倍返しにしてやり返すのが、アメリカの文化です。やられて黙っている民族文化はありません。
だから、クリスチャンであっても、戦争には賛成するのではないでしょうか。わたしの友人であるアメリカ人クリスチャンたちは、湾岸戦争のときも賛同してました。同時多発テロ以降のテロとの戦いにも賛成しています。

世界のリーダー、アメリカの戦争戦略
「アメリカは世界のリーダーであるべき」という考えを、多くのアメリカ人はもっています。アメリカのキリスト教も、この政治的信条に影響されていることはいうまでもありません。さらに世界リーダーとしてのアメリカの国益になるかどうかも、アメリカ人クリスチャンの考えに影響を与えています。結果的に、アメリカのキリスト教全体の信仰にも表れています。
アメリカのキリスト教は、戦争の解釈において聖書のメッセージを正確に伝えていません。「神は、アメリカを神の器、世界に平和を保つ器、また罪悪を罰する器として使っている」という信仰を、(少しニュアンスが違うかもしれませんが)多くのアメリカ人クリスチャンは持っています。だから、戦争も容認されていると解釈しているかもしれません。

結論
人間の権威によって起こされる戦争は、悪の業です。キリストの名によって行われる戦争はありえません。上のアメリカの新聞の見出しは「今日、我々の国は悪を見た」と書かれています。2001年9月11日同時多発テロ事件が起きた時、発行された新聞の見出しです。この当時、わたしはアメリカにいました。このような見出しを見て私は次のように思いました。
「他の国々でアメリカが引き起こしている戦争は、悪ではないのか。」アメリカが加担した戦争によって、多くの方々の命が犠牲にされました。朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、アメリカの多くの兵士が命を落としたのです。他国で行われているから他人事と考え、自分の国が攻撃を受ければ悪と考える、、、なんと自分勝手な考えでしょうか。
日本は、戦後多くの恩恵を経済的にもキリストの宣教と言う点でも受けてきました。だからといって、アメリカと言う国家の罪深さに目をつぶるわけには行きません。私は祈ります。「主イエス様が介入して、戦争と言う悪がなくなりますように。罪深い人間に憐みが注がれますように。」
外部リンク アメリカはなぜ戦争をし続けるのか? ― ドキュメンタリー映画「アメリカばんざい ― crazy as usual ― 」を見て
