イエス・キリストは実在したというテーマは、歴史や宗教に関心を持つ多くの人々にとって興味深い議題です。本記事では、キリストは実在したとする2つの証拠を探求します。歴史的文献や考古学的発見を通じて、イエス・キリストの存在についての理解を深めることを目的としています。信仰の枠を超えて、実証的な視点からこの重要な人物の実在について考察していきます。さあ、キリストは実在したかどうか、その真相に迫ってみましょう。
キリスト教以外からの文献
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康が、歴史上、実際に存在し生きた人物であることは疑う余地がありません。なぜなら、歴史文書に残されているからです。明治時代を境に日本が変わったという事実も、疑う余地もありません。数十年前までは、それを見た人たちが生きていたのです。
2000年も前の話ですが、イエス・キリストという人物は、ローマ帝国時代に生きた事は証明されます。彼についての証言は、聖書以外の書物に記録として残っています。たとえば、イエスが死んでから80年くらいたった後に、AD 117年頃、ローマ人の著名な歴史家コーネリアス・タシタスは、次の様に書いています。
「キリスト(Christus)は、チベリアスが皇帝の時、総督の一人ピラトの手によって多くの苦しみを受けた」(Tacitus,Annals XV.44)
残念ながら、ユダヤ教にはキリストに関する正確な資料が残されていません。ユダヤ教の指導者たちは、メシアであるイエス・キリストを十字架に着けたわけですから、当然、そのような人の記録など残しておくがありません。
聖書が示す膨大な証拠
使徒ヨハネの手紙第一の証言
初めからあったもの、わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て、手で触れたものを伝えます。すなわち、命の言について。この命は現れました。御父と共にあったが、わたしたちに現れたこの永遠の命を、わたしたちは見て、あなたがたに証しし、伝えるのです。わたしたちが見、また聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたもわたしたちとの交わりを持つようになるためです。わたしたちの交わりは、御父と御子イエス・キリストとの交わりです。わたしたちがこれらのことを書くのは、わたしたちの喜びが満ちあふれるようになるためです。(1ヨハネ1章1節ー4節)聖書協会
上記の聖句を書いた ヨハネは、イエスと共に寝食を共にして、また笑ったり泣きもしたでしょう。ヨハネは、彼自身の手でイエスの手を握りしめ、その目でイエスを見て、その耳でイエスの教えを実際に聞いたのです。これらのことばからもわかるように、イエスは一人の人として生きた歴史的人物なのです。

イエスは、現在も神の愛のメッセージを、わたしたちに語りかけています。素直に耳を傾けてみましょう。イエスは、あなたの人生を変えてくれます。
使徒ヨハネの福音書の証言
上記の証言をしたヨハネは、福音書も書いています。その最後に彼は次のように証言しています。
これらのことについて証しをし、それを書いたのは、この弟子である。わたしたちは、彼の証しが真実であることを知っている。イエスのなさったことは、このほかにも、まだたくさんある。わたしは思う。その一つ一つを書くならば、世界もその書かれた書物を収めきれないであろう。ヨハネの福音書21章24-25節 聖書協会
主イエス・キリストは、12人の弟子たちに「創造主なる神が示す人間の生きる道」を教え、寝食を共にして過ごしました。その記録が、新約聖書の福音書に記されています。2000年も経った今、私たちはこの新約聖書を通して、その教えを読むことが出来るのです。
この方は、人間が生きるべき生き方を教えただけではありません。人間の心に大きな問題があったからです。この問題を片づけない限り、人間には愛も喜びも平和もなかったのです。それは人間の罪深い心でした。自己中心的であり自分勝手な考え方が、人間の心に宿っていたのです。その結果、人間は創造主なる神様から離れていくことを決意したのです。そ
現代の世の中の観察すれば、人間の罪深さがわかるでしょう。主イエス様は、人間が罪から解放されるようにと、この人間の罪のために死なれたのです。弟子たちはこの十字架の死を証人として見たのです。死んで墓に埋葬されたキリストは、3日目に死から復活したのです。この復活した主イエス・キリストに、500人以上の弟子たちは出会ったのです。

使徒パウロの証言
主イエス・キリストの十字架の死を見なかったある若いユダヤ人は、その頃、ユダヤ教の一番有名な先生の下でユダヤ教の伝統を学んでいました。そして教会が、ペテロの最初の説教によって始まりました。教会が急激に成長した時です。この若いユダヤ人サウロは、教会を「神の敵」として迫害をし始めましたのです。
そんな時に、イエスは天からこの若いユダヤ人に話しかけます。
ところが、サウロが旅をしてダマスコに近づいたとき、突然、天からの光が彼の周りを照らした。サウロは地に倒れ、「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる。」…サウロは地面から起き上がって、目を開けたが、何も見えなかった。…ところで、ダマスコにアナニアという弟子がいた。幻の中で主が、「アナニア」と呼びかけると、アナニアは、「主よ、ここにおります」と言った。すると、主は言われた。「立って、『直線通り』と呼ばれる通りへ行き、ユダの家にいるサウロという名の、タルソス出身の者を訪ねよ。今、彼は祈っている。 アナニアという人が入って来て自分の上に手を置き、元どおり目が見えるようにしてくれるのを、幻で見たのだ。」しかし、アナニアは答えた。「主よ、わたしは、その人がエルサレムで、あなたの聖なる者たちに対してどんな悪事を働いたか、大勢の人から聞きました。ここでも、御名を呼び求める人をすべて捕らえるため、祭司長たちから権限を受けています。」すると、主は言われた。「行け。あの者は、異邦人や王たち、またイスラエルの子らにわたしの名を伝えるために、わたしが選んだ器である。わたしの名のためにどんなに苦しまなくてはならないかを、わたしは彼に示そう。」使徒の働き9章3-16節 聖書協会
サウロは、主イエス様によって触接召されて、主のしもべとしてキリストの福音を宣教したのです。彼自身、自分が真実を語っていること、嘘偽りなど一切ないことをハッキリ言っています。
聖書は不思議な本です。まったく違った人によって書かれているにもかかわらず、内容は一貫して同じなのです。イエス・キリストによる救いが、全体のテーマです。人間がどのように生きるべきが説明されているのです。

キリストが実在していたとしたら
もし主イエス・キリストが本当に実在したと信じられるのなら、どうなるのでしょうか。次の問題は、深刻ですが笑ってしまうような質問です。イエス・キリストが言った「わたしは神から来た」という宣言は、本当かどうかという疑問です。3つの可能性があります。
- イエス・キリストは、真実を語っていた。
- イエス・キリストは、気が狂っていた。
- イエス・キリストは、最初から大嘘をついていた。
さては、真実は何でしょうか。もし1-2であれば、聖書など読むに値しないでしょう。たとえ良い教えであっても、嘘八百であれば、最初から読む価値などないのではないでしょうか。でも、もし3が本当であれば、すべての人間に関わる大きな問題です。このサイトでは、丁寧に一つ一つの疑問に答えていきます。
外部リンク イエス・キリストは実在したのか
