4年に1度オリンピックが開催されますが、その時になると必ず愛と平和が叫ばれます。なぜでしょうか。実は、不思議なことに、文化の垣根や国を超え、すべての人々は、同じもの、たとえば喜びや平安を求めているのです。しかし、罪深い人間の知恵によっては、恒久的な愛と平和は実現しません。しかし、イエス・キリストは、すべての人間が求める愛と平和を与えるのです。
愛と平和を求めることは、人間の本質的な願望であり、歴史を通じて数多くの文化や宗教でも強調されています。人々は、困難な状況に直面したとき、これらの価値を求める傾向があります。例えば、戦争や紛争の最中でも、平和を祈り、愛を感じる瞬間が存在します。これが、私たちがなぜ愛と平和を求めるのかを示しています。
すべての文化と国々で愛と平安を求めている
すべての文化と国々で、人は愛、喜び、平安を求めています。すべての文化において、愛、喜び、平安をもたらす正義の味方を求めているのです。悪を懲らしめるスーパー・ヒーローを求めています。戦争をしている国々も、敵対対立している国々も、自分たちの正義のために悪を懲らしめるヒーローが来るのを待っています。なぜでしょうか。
それは、すべての人間が、神に似せられて創られているからです。すべての文化の娯楽、テレビや映画に、正義の味方がいるのです。しかし、それは人間が作ったヒーローです。本物ではありません。本物のスーパー・ヒーロー、本物の正義の味方は、イエス・キリストです。
イエス・キリストは、私たちの正義の味方です。テレビや映画の想像上の人物ではなく、実際に悪に打ち勝ったのです。この世を支配している悪の力、悪魔に勝利しています。人間が作り出した空想物語のヒーローのようではありません。
この世には、いつも悪がはびこっています。悪魔が支配しているのです。しかし、イエス様はこの悪の力に勝利しました。イエス様だけが勝利できました。人類の歴史の中で、すべての人間は、連戦連敗でこの霊的な戦いに負けてきました。人間にとって、勝利するのは不可能なことだからです。しかしイエス・キリストは、悪魔に勝利をして、私たちにも勝利を約束しているのです。
日々の生活で人は常に愛と平和を求めている
愛と平安を求める思いは、個人の生活の中でもたくさんの例が見られます。例えば、家庭内での小さな争いや意見の相違があったとき、私たちはしばしば和解を望みます。これもまた、愛と平和の欲求の一部です。私たちは、互いに理解し合い、受け入れ合うことを通じて、真の愛と平和を実現しようとしています。
さらに、愛と平和を求めることで、私たちはコミュニティや社会の中で結束を強めることができます。共同体の中で互いに支え合うことは、個々の力を超えた大きな力となります。これにより、私たちはより良い未来を築くことができるのです。このように、愛と平和の追求は、社会的なつながりをも強化します。
また、私たちの人生における試練や困難も、愛と平和を実感する機会となります。病気や失敗を通じて、他者の愛情や支援を受けたとき、それは私たちにとって深い喜びとなります。このような経験が、私たちの心に愛と平和をもたらすのです。
人間社会での愛と平和の実現は、時に困難な道のりです。しかし、イエス様の無条件の愛は、その道を照らしてくれる光となります。私たちが互いに愛し合うことは、イエス様の命令であり、それを実践することで真の平和がもたらされます。
このように、愛と平和は私たちの人生において非常に重要です。それは、私たちが他者とどのように関係を築き、どのように生きるかを決定づける要素です。愛があるところに平和が生まれ、平和があるところにさらに愛が広がります。

イエス・キリストは私たちに愛と喜びを与える
イエス・キリストは、私たち一人ひとりに向けて深い愛を持っておられます。彼の愛を受け入れることで、私たちは他者に対しても愛をもって接することができるようになります。この愛は、私たちが困難な状況に直面したときでも、他者を思いやる行動へと導いてくれるのです。
これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。ヨハネ15章11-13節 聖書協会
主イエス・キリストは、人間が渇望している愛と喜びを与えました。人間の愛は、ギブアンドテイクの愛です。持ちつ持たれつの愛です。ところが主イエス様は、一方的に私たち人間を無条件いに愛してくれたのです。
人間社会では、優秀な人が褒められ重宝されます。「頭が良い子と悪い子」の2人の子供を持った親は、どのようにこの2人の子供たちを愛すでしょうか。無意識に「頭の良い子」をより可愛がるかもしれません。その結果、「頭が悪い子」は劣等感に苦しみ悩まされるでしょう。
しかし、主イエス様の前では、そのような人の能力によって区別されることはありません。主イエス様について行く人たちは、条件なしに祝福を受けるのです。そこに喜びがあります。優秀な人も能力がない人も、裕福な人も貧しい人も、高学歴な人も低学歴の人も、すべて同じように神様の恵みを受けるのです。
イエス・キリストは、私たちが愛と平和を実感できるように、常に私たちを見守っています。彼の教えに従うことで、私たち自身が愛の行いを広め、他者に平和をもたらす存在となることができます。これが、私たちの使命でもあります。
イエス・キリストの教えは、私たちが愛と平和を求める道しるべです。例えば、彼は私たちに、敵を愛し、迫害する者のために祈るように教えました。これは、私たちが持つべき心の姿勢を示しています。愛と平和は、相手に対する理解と受容から生まれるのです。

悪から私たちを救って下さった
イエス様が十字架に張りつけられた時、誰もが次のように考えていました。「これで終わりだなと。これでこの人は死んでしまうんだ。すごい先生だったけど、ただの人間だからね。」と考えていたのです。誰も、イエス様が死から復活するなんて想像もしていなかったでしょう。しかし、このこのような思いを、イエス様は見事に裏切りました。イエス様は、人間の敵である悪魔と死に勝利したのです。
自分たちの過去を振り返ってみましょう。私たちはみんな、多かれ少なかれ悪魔の罠にはまっていました。助けを求めて泣いていたでしょう。しかし、誰も助けてくれず、もがき苦しんでいました。
私たちが求める愛と平和は、個人の幸福だけでなく、社会全体の調和にもつながります。愛が広がれば、暴力や争いのない世界が実現します。私たちが日々の生活の中で実践する愛の行為は、平和の礎を築くことになるのです。
そんなもがき苦しんでいた私たちをイエス様は、優しく見守っていました。ところが、イエス様は、私たちを救うために、天から降りてきたのです。私たちに手を差し伸べてくれて、私たちの心に話しかけてくれました。
クリスチャンになっていない方にも、今もイエス様は話しかけています。手を差し伸べています。イエス様のかすかな声を聞いた方は、もう答えるしかありません。「あなたについて行きます。生き方を教えて下さい」と。

キリストは私たちに平和を与える
私たちクリスチャンは、悪の力から救ってもらいました。しかし、これが私たちクリスチャンの物語の最後ではありません。イエス様は、私たちを一人ぼっちになんかしません。次のように、私たちに語りかけています。「信仰をもち、わたしに従いなさい。世の終わりまで、わたしは、いつもあなたといっしょにいるのだから」と元気づけてくださっています。
この世で生きている間、私たちの勝利はイエス・キリストによって与えられています。しかし、霊的な戦いも続きます。悪魔は、まだ私たちをまだ騙そうとしているからです。でもイエス様は、次のように私たちに言っています。
これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって、平和を得るためである。あなたがたには、世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは、すでに世に勝っている。ヨハネの福音書16章33節 聖書協会
私たちが追い求める愛と平和は、単なる概念ではなく、実際に実践することで初めて意味を持つものです。日々の生活の中で、小さな愛の行為を積み重ねることが、私たち自身の心にも平和をもたらします。愛と平和を実践することが、私たちの信仰の証です。
最後に、愛と平和の追求は私たちの人生を豊かにするものです。イエス・キリストによって与えられる愛と平和を、私たち自身も他者に分かち合うことで、さらに深い喜びを得ることができます。私たちの生きる目的は、この愛と平和を広めることにあるのです。
イエス・キリストは、私たちのスーパーヒーロー、正義の味方です。夢物語ではありません。私たちに、愛、喜び、平安、正義を与えて下さっています。私たちが生きている限り、イエス様に日々ついて行きましょう。
